25:聖女は、王都へ帰還する
私は走っていた。王都へ向かって。史上最大級に面倒な残業案件――もとい、クレーム処理を片付けるために。
カインは、私の超人的なスピードについてこれず、早々に脱落した。後から馬で追いかけると言っていたが、おそらく王都に着く頃にはすべてが終わっていることだろう。南無南無。
久々の全力疾走は、なかなかどうして気持ちがいい。風を切り、大地を蹴る、この感覚。私の有り余る身体能力が、躍動しているのが分かる。
この調子なら、カインの言う通り、半日もかからずに王都へ到着できそうだ。
そんなことを考えながら、ならばベストタイムを目指してみようと、さらに脚に力を込めようとする。
その時だった。
――ピカッ!
突如、前方から眩いばかりの黄金の光が奔流となって、私に殺到した。
「うわっ!?」
あまりの眩しさに、思わず足を止めてしまう。
それは、ただの光ではなかった。
温かく、そして有無を言わせぬ、強大な聖なる力。
私の脳裏に直接語りかけてくるような、切実な「助けて」という祈りの声。
そして、次の瞬間。
私の身体は、その光に完全に飲み込まれていた。
視界が真っ白に染まり、ふわりと浮き上がるような奇妙な感覚に包まれる。
これはもしや、ファンタジーによくある瞬間移動というやつか?
次に私が目を開けた時。
そこは、見覚えのある場所だった。
豪奢な祭壇。
高い天井。
かつて聖女として退屈な日々を過ごしていた、大神殿の最上階にある祈祷室。
ただし、天井は、私が今まさに突き破ってきたせいで巨大な穴が開き、空や周囲の景色がよく見えるようになっていたが。ただでさえ背の高い建物だから、見晴らしがとてもいい。
私が着地した衝撃で、床には大きなクレーターができている。
そして、そのクレーターの前には、ふたりの人物が呆然と立ち尽くしていた。
ひとりは、私の宿敵と言っていい人物、宰相デューク・ヴァルト。
もうひとりは、私を追放に追い込んだ現聖女、リリアナ。
どうやら、とんでもない修羅場のど真ん中に強制召喚されてしまったらしい。
「……な……ぜ……ここに……」
リリアナが、震える声で呟いた。
彼女の美しい顔は、涙と驚愕でぐちゃぐちゃだ。
「呼びつけたのは、貴女でしょうに」
「え……?」
私は服についた埃を払いながら、心底うんざりした顔で彼女に言う。
「確かに、不本意ながら王都へ向かおうとはしてましたよ。でも神パワーで、いきなり王都まで飛ばされても困ります。こっちには心の準備みたいなものも必要なんですから、人の都合も考えてください」
「も、申し訳、ありません……?」
なぜかリリアナは、私の理不尽な愚痴に、素直に謝罪した。自分で言うのもなんだけど、本当に理不尽だと思う。
まあ、いい。
結果的に、移動時間が大幅に短縮されたのだ。クレーム処理も早く始められる。
「せ、セレスティア……! き、貴様生きていたのか! いや、それよりも、なぜ、このタイミングで……!」
ようやく我に返ったらしい宰相が、狼狽したように叫んだ。
その顔にはもはや、かつての冷徹な余裕はない。不測の事態に対処しきれず、他責思考でただただ喚く。自分の組んだシナリオに乱入してきた規格外の存在を前に、ただ取り乱しているだけだった。
「私の、計画を……! 私の神聖な儀式を、邪魔するなぁぁっ!」
彼は罵詈雑言をわめき散らしながら、手にした禍々しい短剣を振り回す。
私はその様子を、冷めた目で一瞥する。
そして、判断した。
――対話不能、と。
「……うるさいですね」
私は一言だけ呟くと、床を蹴った。一気に距離を詰める。
宰相が何か反応を見せるよりも早く、私は、彼の目の前にいた。
脂汗の浮いた醜い顔面に、聖女の拳を叩き込む。
――メゴッ!!
乾いた音。
それに反して重たい衝撃。
宰相は、白目を剥きながら綺麗に一回転し。
ぐしゃり、と、そのまま床に崩れ落ちた。
ピクリとも、動かない。
殺してはいない。
気絶しているだけだ。
死んでもらっては困る。
なぜなら彼には、これからたっぷりと、責任を取ってもらわなければならないのだから。この面倒な残業案件の、すべての責任を。
「……え……?」
リリアナが呆然としながら、その瞬殺劇を見ていた。
彼女はまさか、夢にも思わなかったんだろう。この国の最高権力者が、問答無用で一撃のもとに殴り倒されるなんて。
私は、そんな彼女には目もくれず。
自分が開けてしまった天井の大穴から、王都の景色を見下ろした。
そこは、地獄のようだった。
空は禍々しい紫色の雲に覆われている。
街のあちこちからは火の手が上がっていた。
人々の悲鳴と、建物の崩れる音が、不協和音となって響き渡っていた。
そして、王城のすぐそば。
ひときわ邪悪な空気が渦巻いている、その場所に、ヤツはいた。
天を突くほどの巨躯。
蝙蝠のような翼。
山羊のような頭。
全身が黒い炎に包まれた、まさに悪魔としか言いようのない、巨大生物。
あれが、古の魔神。
その足元には、王国騎士団の騎士たちが豆粒のような小ささで見える。彼らは必死に抵抗を試みているが、暴れる魔神にまったく歯が立っていないようだった。
魔神が腕を一振りするだけで、数十人の騎士が吹き飛ばされる。鎧姿の人間が、まるで木の葉のように舞い上がり、まき散らされる様は、まさに絶望的な光景だ。
「……面倒、極まりないですね」
私は、ぽつりと呟いた。
これからアレを相手にしなくてはならないと思うと、本当に面倒くさい。
「でも、あのデカブツをぶっ潰さないことには、私のスローライフに安寧はやってこない。仕方ない。これもすべて、心置きなく安眠するためです」
「……セレスティア様……」
リリアナが、私の背中に声をかけてきた。
声は震えていたが、どこか希望の色が宿っているようにも感じられた。振り返ると、彼女はその場に膝をついている。涙を流して、私に頭を下げていた。
「……ありがとう、ございます……! 私の、身勝手な祈りに、応えてくださり……! あなた様こそ、真の、救世主……!」
「いえ、勘違いしないでください。私は、あなたやこの国を救いに来たわけではありません。ただ、私の平穏を邪魔するハエを叩きに来ただけです」
私は、彼女の感謝をばっさりと切り捨てた。実際に、彼女のためではないし。こうして聖女パワーでショートカットさせられたのも、たまたまだ。
それに、感傷に浸っている暇など、ない。
「じゃあ、行きますよ」
私はそう言うと、膝をついたままのリリアナを、ひょい、と俵のように担ぎ上げた。もちろん、女性に対する配慮など一切ない。ただの荷物扱いだ。
「え? きゃっ! あ、あの……!?」
「あの魔神とやらは、私が何とかしましょう」
リリアナが、驚きと羞恥で悲鳴を上げる。
私はそれを無視して、必要なことだけを彼女に述べていく。
「魔神のせいで被害に遭った人たちは、貴女が何とかしてください。その『聖なる力』、今使わずにいつ使うんですか。神殿で祈ってる暇なんてありませんよ」
「……!」
リリアナが息をのむのが分かった。
どうやら彼女は、私の言葉の意味を正確に理解したようだ。
そうだ。
聖女の役目は、祈ることではない。
その力を、人々のために使うことだ。
私と、彼女では、その力の使い方が違うだけなのだ。
「――行きます!」
私はそう叫ぶと、リリアナを担いだまま大神殿の最上階――私がぶち抜いた天井の大穴から、躊躇なく飛び降りた。
「ひやあああああああああああ!」
いきなりのダイブで驚いたんだろう。リリアナの絶叫が、王都の空に木霊する。
「大袈裟ですね。舌を噛みますよ?」
私は平然と言い放つ。大神殿の階段を悠長に降りている暇などないのだ。
降りようとしているのは、大神殿の広場。平時ならば、聖女や大司教の有難い説法などを聞くために、王都の人たちが集まる場所だ。
もちろん、今は誰もいない。だから、聖女を俵抱きした私が大神殿の最上階から飛び降りても、誰かに見咎められることはない。何か言われても気にしないが。
地面が、眼下に猛スピードで迫ってくる。
そしてあっという間に落ち切って。
ズウウウウゥゥゥンッ!!
ものすごい衝撃音と共に、私たちは大神殿前の広場に着地した。
もちろん、私が降り立った場所は綺麗なクレーターと化している。
「……う……ぷ……」
高すぎる場所から飛び降りた恐怖と衝撃のせいか、リリアナは完全にグロッキーになっていた。それでも彼女は、必死で私の身体にしがみついている。
「……い、いきなり、飛び降りるなんて……! 少しは、心の、準備を……!」
彼女が涙目で抗議の声を上げようとする。
でも私は、そんなことお構いなしだ。
ぐったりとしたリリアナの身体を抱え直し、魔神が暴れている方へと目を向けた。いつの間にか魔神は移動している。どうやら王城を目指しているようだ。
ここから、戦場までは一直線。
「――さて。残業開始、といきましょうか」
地面を強く蹴って走り出す。
私の身体は、再び砲弾と化した。
周囲の景色が、猛スピードで後ろへと流れていく。
「いやああああああああああああ!」
私の肩に担がれているリリアナが、再び絶叫を上げた。
その悲鳴は、ドップラー効果で奇妙に伸び縮みしながら、破壊された王都の空に響き渡る。周りには誰もおらず、彼女の声を耳にしているのは私だけ。
ならば、気に留めることもない。
私はリリアナの悲鳴を無視して、さらに走るスピードを上げた。
史上最強の救世主(脳筋)と、史上最弱の救護班(気絶寸前)のコンビ。
歴史上なかったであろう組み合わせの聖女が今、戦場へと向かう。
すべては私の平穏なスローライフのために。
待っていろ、魔神。
お前の理不尽な存在そのものを、私の拳で粉砕してやる。
-つづく-




