1章 8
瓦礫の街に漂っていた静寂が、不意にざわめき出す。鴉は立ち止まり、研ぎ澄まされた視線で周囲を見渡した。
――影が動いている。
いや、影そのものが意思を持つかのように、不気味に蠢いている。
それはかつて人間だった“何か”だ。だが、高濃度の放射線に汚染され、もはや人の形すら歪んでいる。瓦礫の隙間から、次々と異形の影が現れはじめる。
「……久しぶりだな」
鴉は冷たく呟き、鉄パイプを肩から下ろした。
影たちは低く、どこか生き物めいた唸りをもらしながら、じりじりと鴉に近づいてくる。その動きは不規則で、狂気そのものが形を持ったようだった。
鴉は短く息を吐き、冷静に距離を測る。
「くだらねぇ。どんな化け物になろうが、元は人間だ。倒すだけだ」
影が飛びかかってきた瞬間、鴉は迷いなく鉄パイプを振り抜く。
グシャッ――!
重い手応えとともに最初の影が崩れ落ちる。しかし、すぐ次の影が仄暗い瓦礫の中から迫ってきた。
「まだいたのか」
鴉は冷徹な目で襲いかかる影を捉え、鉄パイプを何度も振り下ろす。
グチャッ!! ゴシャッッッ!!!
影たちの唸り声が次第に弱まり、やがてまた静寂が街に舞い戻った。鴉は鉄パイプを肩に担ぎ直し、倒れた影の残骸を一瞥する。
「変異しようが、所詮は生物。殴って死ぬ程度なら脅威じゃねぇな」
鴉が次の影に鉄パイプを振り下ろそうとした、その時だった。不穏な気配が瓦礫の向こうから迫ってくる。
二体の影が、まるで導かれるように互いに近づき、絡み合いはじめる。その輪郭が徐々に崩れ、巨大な塊へと変貌していく。
「……なんだ?」
鴉は警戒を強め、鋭い目でその異常な現象を見据えた。
影たちは完全に人の形を失い、異様に膨れ上がった肉塊の怪物と化す。吐き捨てるように鴉が呟いた。
「合体だと?くだらねぇショーだな」
鴉は無機質な声で呟きつつ、鉄パイプを肩から静かに下ろし、一歩だけ身を引く。
その刹那、影の塊が地響きを上げて突進してきた。重量感に反して驚くほどの速さだ。
鴉はすかさず身を翻し、紙一重で巨大な攻撃をかわす。瓦礫の破片が圧倒的な力で四方に飛び散った。
「デカいから鈍いと思ったが、そうでもないのか」
鴉は冷徹なまなざしで影の挙動を読み取り、機をうかがいながらじりじりと距離を詰める。
影が再び咆哮を上げ、鴉めがけて猛然と突進した。
素早く横へ飛び退き、鴉は鉄パイプを握り直す。
「まともに当たれば死ぬな。だが、攻撃は大味だ」
冷静な計算のもと、鴉は影のわずかな隙を逃さなかった。
巨大な身体が動きを緩めた一瞬――。
鴉は全力で鉄パイプを振り下ろす。
グシャッ!
重い音が響き、巨躯の影が短く震える。息をつく間もなく、鴉は二撃、三撃と容赦なく畳みかけた。
グシャッ!
グチャッッッ!
攻撃のたびに影の形は揺らぎ、咆哮も弱まっていく。
メキッッッ――!
最後の一撃が首尾よく決まり、影の怪物は瓦礫の地に崩れ落ちる。
異様な静寂が、再び瓦礫の街に戻った。
鴉は鉄パイプを肩へ投げ上げ、冷ややかに呟く。
「でかくなったところで、頑丈なだけじゃ話にならねぇな。くだらねぇ進化しやがって」
そう言い残して、鴉は一瞥をくれてから、再び荒廃した街へと足を踏み出した。