1章 21
激しい戦いのさなかでも、鴉は冷静に状況を見極めようとしていた。
影たちの攻撃は確かに素早く鋭いが、どこか加減されていて、とどめを刺す気配がない。傷は負わせても、致命傷には至らない。まるで“生け捕り”が最優先の命令で動いているかのようだ。
「……まさか」
鴉は一瞬、男の方に視線を投げた。サングラスの男は端末を片手に、余裕の表情で戦いの様子を眺めている。その姿と言動、そして不自然な影たちの動き。
(こいつ、影たちを自在に操っていやがるのか?)
鴉の脳裏に疑念がよぎる。影はこの男の意のままに動き、命令どおり手加減してくる。奴はこの状況すべてをコントロールしているのかもしれない。
「……まずいな」
鴉は手の中のナイフをぎゅっと握り直し、どう突破口を見いだすか、素早く頭を巡らせた。
鴉はさらに冷静さを保ちながら、影たちの動きと男の様子に注意を向けた。
ただ無秩序に襲いかかってくるようで、実は鴉と綿花の逃げ道を巧妙にふさぐような動き――まるで生きている人間が意志を持って立ち回っているかのようだ。
(影に指示を出してる?いや、声はない。念じてるようにも見えない)
ふと気づく。男が片手に持つ端末。何度も画面をタップし、そのたびに影たちの配置や動きが微妙に変化しているようだ。
例えば鴉が突撃しようとすると、タイミング良く影が壁から飛び出してくる。綿花が後退しそうになった瞬間、背後から影がけん制する。
そして男は片時も端末から視線を外さず、その表情は観察と指示の両方に集中しているようだった。
(やはり、あの端末……。あれで影の位置や動きを管理してる?まるでリアルタイムで作戦を組み立ててるみたいだな)
鴉は一瞬、男の指の動きと、それに呼応した影たちの挙動を読み取ろうと観察する。
(もし端末を破壊できれば……)
小さな突破口が一筋、鴉の脳裏に浮かんだ。
瞬時に周囲を観察する。
倒れた椅子、机、壁に垂れ下がるカーテン、割れたガラス片、むき出しの配線と古びた配電盤。その下にはアルコール消毒液と書かれたボトルも転がっている。
「綿花、周りのものを使え!」
鴉の合図に、綿花は槍で椅子を蹴倒して影たちの動きを鈍らせ、さらに花瓶や机も突き飛ばして男の注意を引きつける。
「やけになったか?大人しくしろ!」
鴉はワイヤーナイフでカーテンを素早く切り、ガラス片を包んでワイヤーナイフで男の端末めがけて投げつける。しかし男は肩を前に出して、それが端末に当たらないように鴉の投擲を肉体で防ぎきった。鴉から入れ替わるように綿花は槍でアルコールのボトルの栓を弾き飛ばし、床へ撒き散らす。
「ちぃっ!小賢しいぞ、無駄な抵抗はよしやがれ」
イライラした様子で男は2人に呼びかける。
今もなお、迫り来る影たち。
その時、鴉は配電盤と金属製の椅子の脚に目を留めた。
(…….やってみるか)
鴉は素早く椅子の脚をつかみ、力一杯むき出しの配線に押し付ける。
ギッ、と唸るような手応え。
――次の瞬間、バチバチッと激しい閃光が椅子の脚から飛び散り、強烈な放電が影たちの間を駆け抜ける。
影たちは動きを止め、痙攣したまま一瞬動けなくなった。もちろん鴉も無傷では済まないが口から煙を吐きながらも気絶まではいかずに耐えたようだ。
さらに綿花がタイミング良く槍の先を配電盤付近に突き立て、そこから起きた火花がアルコールの撒かれた床に引火した。
瞬時に炎が走り、廊下に即席の火のバリケードが現れる。混乱による影響か影の化け物達は怯んで動かなくなり一瞬の隙が生まれた。それを鴉は見逃さない。
「今だ、行くぞ!」
炎と煙、混乱の中を鴉と綿花は一気に駆け抜け、男めがけて突進した。
「大人しくしていれば無傷で済んだものを…!」
男は事態が逆転しつつあるのを悟ると、素早く背後にあったバイクに飛び乗った。
キーを回すと、エンジンが激しく唸りを上げる。
「覚悟しな、ガキども!」
男はアクセルを全開にし、バイクの車体を狂ったようにふかしながら鴉たちめがけて突進してくる。
タイヤが床を焦がし、煙が舞い上がる。
炎と影、混乱の中、ヘッドライトが鋭く二人を照らした。
「来るわ!避けなきゃ!」
綿花はとっさに槍を構え、鴉はバイクの動きと進路を見極める――迫り来る轟音と圧力を、全身で感じながら。
(来る……!)
男のバイクは轟音と共に、蛇のように左右へと激しく揺れながら鴉たちへ突っ込んでくる。ただの一直線ではなく、標的を翻弄するような不規則な軌道。
熟練の操作技術だった。
「綿花、気をつけろ!」
鴉の眼が鋭く細められる。轟音と迫るバイクの圧力の中で、鴉の感覚が異様に研ぎ澄まされていく。
(殺気が――そこか!)
男の向ける殺気。
その一瞬の流れと圧力、呼吸や視線のぶつかり方。
鴉には、男がぶつけてくる意思と共に、着弾するであろう位置がはっきりと「見えた」。
「左だ、綿花!」
鴉の声に呼応し、綿花はバイクの進路から一瞬だけ身をずらす。
その直後、バイクの車体が炎と煙をかき分け、まさに綿花がいた場所をかすめて突っ走った。
男はバイクをその場で急旋回させ、黒煙をあげてUターンする。
今度は一直線に、殺意をむき出しにして鴉だけを標的に突進してきた。
鴉は一瞬足を止め、腰のワイヤーナイフを逆手に構える。
バイクのヘッドライトが彼を正面から射抜く。
「大人しく従えばよかったものを、馬鹿な兄ちゃんだ!」
(……ここで仕留める)
鴉は狙いを定め、ワイヤーナイフを思いきり反対側の壁へと投げつけた。
カシャン、と鋭い音を立ててナイフが壁に突き立つ。そのまま鴉は手元のワイヤーを素早く引き出し、部屋の端から端へ、一直線にピーンと張った。
──罠は張られた。
バイクのエンジン音が轟き、男は猛スピードで鴉に向かって突っ込む。
ワイヤーはちょうど胸、あるいは首の高さ。
男は突進の勢いそのままで、罠の存在に気づかない。
「くたばりやがれ」
鴉の目が細く鋭く光る。
次の瞬間、バイクがワイヤーを切り裂くように突っ込んだ――。