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1章 17

鴉と綿花がいる場所から遠く離れたところ。

人気のないビルの屋上に闇の中、一つの人影が潜んでいた。狙撃者は静かに息を整え、スコープ越しに微動だにしない。標的は、しゃがみ込む小さな背中。

無防備な綿花に、十字の標がピタリと重なる。

引き金にそっと指をかける。その指先に、一切のためらいはない。


同時刻、鴉は嫌な胸騒ぎに顔を上げた。

夜の静寂に紛れて、わずかな殺気が漂う。


(……何か、おかしい)


鴉の本能が警鐘を鳴らす。綿花の肩越しに夜の闇を鋭く睨むと、声を低くして問いかける。


「……綿花。今、お前にハッキリとした殺気が向けられてた。心当たりはあるか?」


しゃがみ込む綿花を気遣う様子も見せず、表情は真剣そのもの。


「誰かに恨まれるようなこと……あるいは、誰かに狙われてる自覚は」


鴉の問いかけが終わるや否や、綿花は急に立ち上がった。涙に濡れた顔のまま、勢いよく鴉の胸元に飛び込む。

思いもよらない行動に、鴉は一瞬とまどい、体をこわばらせる。そんな鴉の耳元に、綿花の小さく震える囁き声が滑り込んだ。


「――私ね……もし本当に、あなたが妹を殺してるって確信できたら」


綿花は背中で何かを握りしめるように、わずかに身を震わせながら続けた。


「遠くで待機してる人に、私の背中に仕込んだ爆弾を撃ち抜いてもらう。あなたも巻き込んで――道連れにするつもりだったの」


静かで冷たい決意の声が残る。

にわかには信じがたい内容に、鴉の胸がきしむ。

綿花の両腕の重みが、これまでになく生々しく心にのしかかった。

鴉は綿花を強く振りほどこうとする。

しかし、必死に鴉の服を掴み、爪が食い込むほどの力で離れようとしない。


「離せ!」

「逃がさない!」


もみ合いの中、綿花の腕には恐怖と覚悟が交錯しているのが伝わる。その執念に、鴉の動きが一瞬鈍った。

その刹那、鴉の視線は遠方から、わずかに光るものをとらえた。銃口が月明かりにかすかに反射するのが見える。


(まずい──!)


次の瞬間、夜空を裂くような圧倒的な殺気が鴉の身体を鋭く奔る。

その瞬間、鴉の世界は研ぎ澄まされた静寂に包まれ、空間に見えない“線”が浮かび上がる。

それは殺気の軌跡。敵が意志をもって放つ害意が、空気を震わせて鴉の感覚に焼きつく。


(……来る、あのルートだ)


鴉にだけ見える“殺気の道筋”は、敵の狙撃の弾道線と完全に重なっていた。

殺気と攻撃のルートは一致する。

それは幼いころから身につけた、生まれ持った才能と苦い訓練の成果だ。警戒心と集中力が合わさらなければ発動しないが鴉はこれのおかげでどこに、どのタイミングで攻撃が届くのか既に把握していた。

鴉は、綿花に掴まれたまま一瞬だけ苦悩したが、すぐに決意を固める。

次の瞬間、綿花の鳩尾に鋭く拳を叩き込んだ。

思わず綿花が苦鳴と共に力を緩めた隙に、鴉は素早く背へと回り込む。


「……悪いな」


爆弾の仕込み位置を的確に探り、首元から手を服の中に入れて巧みに外す。殺気のルートと弾道が重なる“着弾地点”を正確に計算し、鴉はそこへ爆弾を全力で投げ込んだ。

ちょうどその瞬間──。

遠方から放たれた凶弾が夜を裂き、爆弾へ一直線に飛び込む。瞬間、鴉の目の前で装置が閃光と共に轟音を上げて炸裂した。

強烈な爆風が街の静寂を貫き、空気を震わせて広がる。鴉はとっさに身を翻し、綿花に覆いかぶさるようにして地面に伏せた。背中や肩に、爆発で飛び散った金属片が凄まじい勢いで降り注いだ。服を貫き、肌を裂き、細かな破片が体中に刺さる。

焼けるような痛みと血のにじみが広がったが、鴉の表情には微塵の動揺もなかった。


「ごほっ、げほっ」


咳き込む綿花を守りきったことを確認すると、鴉は何事もなかったようにゆっくりと立ち上がる。

服は穴だらけになり、肌のあちこちから血がにじんでいる。だが、鴉の瞳は一点。

わずかに煙が流れる夜の闇を鋭く射抜いていた。


「あのビルだな」


先程放たれた弾丸。その殺気の軌道。

鴉はわずかな痕跡と光の反射、空気の流れさえも頼りに、発射されたルートをなぞる。

脳裏で軌道をトレースし、鴉は迷いなく狙撃手の居場所を特定した。

その目には、もはや人間離れした冷静さと研ぎ澄まされた闘志が宿っている。


「悪いが、俺はまだ死ねない」


低く静かな声が、不思議と綿花の胸に響いた。その瞳には決して折れない光が宿っている。

鴉は体に刺さる無数の破片を気にも留めず、風を切るように走り出した。本来なら動くことさえ困難なはずの重傷を負っているのにもかかわらず。


「なんだぁ!?あのバケモノ!」


狙撃者がそれを視界に捉え、一瞬の躊躇もなく連続で引き金を引く。夜の闇に何発もの弾丸が閃光となって放たれる。

だが、鴉は“殺気の道筋”を読んでいた。

殺意が空間を走る微細な感覚を頼りに、ほとんど未来が視えているかのように身をかわす。

地面を跳ねる、側転する、壁を蹴ってジグザグに迫る。どの弾丸も鴉を捉えることはなかった。

眼前に迫りくる鴉の姿に、狙撃者の背筋が冷たい恐怖で硬直する。


(近い! もう目の前だ──)


「どうした、よく狙えよ」


鴉の中には痛みも、ためらいもなかった。

狂気じみた集中力が、唯一の標的だけを射抜いていた。闇を裂く弾丸の雨の中、鴉は一気に跳躍した。

電柱に片手で飛びつき、その勢いを利用してさらに高く、素早く身を翻す。空中で一瞬、視界のなかに狙撃者の姿と銃口を捉えた。

鴉の手にはワイヤーナイフ。

刹那。音もなくナイフが狙撃者めがけて投げ放たれる。ナイフはまっすぐ放たれた後、鴉の手首の動きひとつで軌道を変え、ビルの狙撃者へむかってワイヤーがしなる。


ガキン!シャルルルル!


「やめろ!なんだこれ」


ナイフは銃口に突き刺さると捻りを加えられて銃身にワイヤーが絡みついていく。巻き付く力は弱まるどころかそのまま狙撃者に伸びていく。


「なっ……!」


抵抗する暇もなく、ワイヤーは一瞬で狙撃者の胴体を締めつけた。

直後、狙撃者の体の力が抜けていく。ワイヤーに染み込ませてあった毒が、瞬く間に体内へと侵入していたのだ。膝が崩れ落ち、視界が歪み、呼吸がどんどん浅くなっていく。

電柱から華麗に着地した鴉は、うつろな目の狙撃者に目もくれず静かにワイヤーを引いた。


「それが報いだ」


夜風が冷たく吹き抜けるなか、鴉の周囲だけが、まるで別世界のような静寂に包まれていた。


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