「妖精の愛し子の白い結婚〜傲慢な公爵と離婚したら奥手な妖精王から求婚されました」短編
「お前は俺の命の恩人ではない!
俺の初恋の人でもない!
俺が陛下に願ったのは、第三王女のロレッタ様なのに……!
陛下はなぜ側室の子に過ぎないお前をよこしたんだ!
いいかよく聞け!
俺がお前を愛することは決してないからな!」
それが新婚初夜に夫に言われた言葉でした。
私の夫はドレイク公爵家の当主、イグナティウス様。
イグナティウス様は漆黒の髪に、黒真珠の瞳の美男子。
若干二十歳で家督を継ぎ、戦争で数々の武功を上げた彼は、一年後には剣聖と呼ばれ他国に恐れられるほどに成長を遂げました。
此度の戦争を勝利に導いたとして、陛下に報奨を尋ねられ、彼は「プラチナブロンドの髪に、翡翠色の瞳の王女様を伴侶として迎えたく存じます」と答えたそうです。
この国には王女が三人います。
長女のルイーズは二十五歳、金髪碧眼の美人ですが、彼女は既に結婚しています。
三女のロレッタは十八歳。金色の髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ美少女です。
そして私、銀色の髪と紫色の瞳を持つ次女のニコラ。
長女のルイーズと三女のロレッタは正室の子で、私は側室の子です。
イグナティウス様が父に出した条件を聞く限り、彼が伴侶にと望んだ王女はどう考えても私ではありません。
長女のルイーズはすでに結婚しているので、イグナティウス様が伴侶にと望んだのは三女のロレッタだったのでしょう。
「お前のような下賤な母親を持つ、悪名高い王女をよこすとは!
陛下は俺を軽んじているのか!」
母は貧しい子爵家の出身で、王宮で侍女をして働いているとき、父の目に止まり手つきになりました。
公爵家出身の王妃様と比べれば身分は劣るかもしれません。しかし、「下賤」と言われ蔑まれるほど、母の身分は悪くないと思います。
イグナティウス様は、寝室にある物を破壊し、部屋を出ていってしまいました。
父はイグナティウス様の望みがロレッタであるとちゃんとわかっていました。
当初はロレッタをイグナティウス様に嫁がせる予定でした。
父も王家とドレイク公爵家の縁組は悪くないと思ったのでしょう。
ですがロレッタが、「田舎にお嫁に行くのは嫌! イグナティウス様って戦場で戦ってばかりなのでしょう? いくら美形でも血なまぐさい男と結婚したくないわ!」と言って、イグナティウス様との結婚を拒否したのです。
ドレイク公爵家の領地は、国境に面している危険な土地。
ロレッタが嫁ぎたくないと言った気持ちも、わからなくもありません。
それでも父はイグナティウス様の望みを叶えると言った手前、ドレイク公爵家に誰も嫁がせない訳には行きませんでした。
父は側室の子である私の存在を思い出し、未婚だった私を公爵領へ嫁がせたのです。
「それにしても……イグナティウス様は部屋のものを派手に破壊していきましたね。
今夜どこに寝ましょう?」
イグナティウス様が鏡や、窓ガラスや、花瓶などの硝子製品を壊していったので、部屋中破片だらけです。
部屋を片付けてから寝たいところですが、私は今裸足。
私がネグリジェを着てベッドに座ってた所に、イグナティウス様が部屋に入ってきて、先ほどの暴言を吐いて、家具を破壊してから出ていったのです。
なのでスリッパにも硝子の破片がついています。
そのままスリッパを履いたら、足を切ってしまいそうです。
かと言って靴下を取りにタンスに行くにも、破片だらけの床を歩かなければいけません。
呼び鈴を鳴らして使用人を呼ぼうにも、その鈴も壊されてしまいました。
「はぁ……どうしたらいいでしょう」
「困っているのかいニコラ?
なら僕が何とかしてあげよう」
そのとき聞き覚えのある声がしました。
振り返ると、花瓶に生けられていた花が床に散乱していました。
その中の一本が眩く光り、長身の青年が現れました。
歳の頃は二十代前半。
彼の髪の色は晴天の空のように青く、サラサラのストレートヘアはよく手入れされていて、サファイアのように輝く瞳は凛々しく、肌は白磁のようにきめ細かく、顔立ちは人形のように整っていました。
「アル様、私はもう公爵家に嫁いだ身。
夜更けにお一人で尋ねて来られては困ります」
彼の名は、アルヴァリス様。
私の幼い頃からの知り合いで、こう見えて妖精王なのです。
「それは、すまない。
ほら、でもお供を連れてきたから一人じゃないよ」
「ニコラーー!
会いたかったのだ!」
「まぁキース、あなたも一緒だったの?」
アル様の背後から、身長十センチほどの羽の生えた小さな男の子が現れました。
彼の名はキース。水色のショートカットに、アクアマリンの瞳の可愛らしい男の子です。
キースはアルヴァリス様の付き人のような存在です。
ちなみにアルヴァリス様は普通の人間のサイズで、キースは子猫ぐらいの大きさです。
胸に飛び込んできたキースを、私はそっと抱きしめました。
「実をいうと一人では心細かったのよ。
会えて嬉しいわ」
「ボクもなのだ」
「ああ、こらこら!
キース、ニコラはもう独身ではない。
今公爵夫人なのだ。
気軽に抱きついたりしないように」
私達が再会を喜びあっていると、アル様がキースの羽を掴んで、ひょいと持ち上げました。
「そんなこと言って、アルヴァリス様は自分がニコラに抱きつけないのが寂しいだけなのだ」
「まぁ、そうなのですか?」
そう言えば私がまだ幼かった頃は、アル様の胸に飛び込んで、彼に頭を撫で撫でしてもらったものです。
あの頃は、彼が妖精王だとは想像もしていませんでした。
幼い頃の私は彼のことを、離宮によく遊びに来る庭師さんだと思ってました。
「ち、違う!
キース!
人をむっつりスケベみたいに言うな!」
「ボクはそこまで言ってないのだ。
自分でそう言うということは、アルヴァリス様は自分がスケベだという自覚があったのだ」
「僕は『スケベ』なんて言ってない!
『むっつりスケベと』言ったのだ!」
「同じようなものなのだ」
ふふっ、この二人のやり取りを見るのも久し振りです。
このところ、結婚の準備でバタバタしていましたから。
「離宮を出たら、お二人には会えないと思ってました」
初めてアルヴァリス様にお会いしたのは、母と暮らしていた離宮でした。
彼らと会う時はいつも離宮の庭だったので、彼らにはそこでしか会えないのだと思っていました。
「ニコラが望むなら僕はどこにでも行くよ。
僕は花一輪さえあれば、どんなに遠い場所でも行くことができるから」
アル様は穏やかな微笑みを浮かべました。
彼の笑顔を見ていると癒やされます。
本当は誰もいない所に一人で嫁ぐのは心細かったのです。
それにイグナティウス様に歓迎されていないのがわかって、少し落ち込んでいました。
二人が来てくれなかったら、私は荒れ果てた部屋で泣いていたかもしれません。
「ボクもアルヴァリス様について、ニコラに会いにくるのだ!
ニコラがどこにいても絶対に行くのだ!」
「アル様、キース、ありがとうございます。
二人にそう言って頂けたので元気が湧いてきました」
仲間がいるって心強いですね。
「さぁ、部屋を片付けてしまおう。
君が硝子の破片で怪我をしたら大変だからね」
「ボクも手伝うのだ」
アル様とキースが魔法を使うと、床に散乱していた硝子の破片が綺麗になくなり、部屋も家具もイグナティウス様が壊す前の状態に戻りました。
「ついでだから、人間の男がドアに触れると電流が流れるようにしておこう。
きっとびっくりするだろうな」
アル様が顎に手を当て、クスクスと笑っています。
「ボクは意地悪な女が部屋に入ってきたら、くしゃみが止まらなくなる魔法をかけるのだ。
想像すると笑えるのだ」
キースが愉快そうに言いました。
「あのお二人とも、お手柔らかに」
イグナティウス様には、酷い言葉を言われました。
ですがこの家の使用人の方まで、意地悪だと決まった訳ではありません。
「わかってるよ。
この家の人間を傷つけて、君の心を曇らせたりしないよ」
アル様はそう言ってくれたのですが、ちょっとだけ心配です。
◇◇◇◇◇
私とアル様との出会いは、私がまだ幼い頃でした。
その頃の私は、母と離宮に隔離されるような形で暮らしていました。
食べ物も余り貰えないので、庭にある山菜や木の実を集めて飢えをしのいでいました。
その日は木に登って、林檎を取ろうとしていました。
ですが幼い体では上手く林檎の木に登れませんでした。
そんな時、アル様にお会いしたのです。
私の前に突然現れたアル様は、今と変わらないお姿をしていました。
妖精の歳の取り方は人間と違うのかもしれません。
彼の第一声は「君は他の人間と違って良い匂いがするね」でした。
当時五歳だった私への第一声がそれだったので、今考えると変態じみています。
ですが幼い私は良い匂いと言われて、喜んでいました。
「林檎が欲しいなら、取ってあげるよ」
彼がそう言うと、まだ青かった林檎まで真っ赤に色づきました。
そして私の前に次々と林檎が落ちてきたのです。
あっという間に私の前に林檎の山が出来ていました。
「寂しい庭だね。
少し花を咲かせようか」
アル様がそう言うと、雑草で覆われていた庭に、ピンクや白や黄色の花が咲き乱れました。
そんな彼を見て、当時の私は「イケメンでなんでも出来る庭師さん」と思っていました。
子供の頃の私は、相当ぼんやりしていたようです。
こんなすごいこと魔法でも使わなければできないのに、そんな発想にすらたどり着かなかったのですから。
「ありがとう、庭師のお兄さん」
私がお礼を言うと、アル様は少しだけ困った顔をしていました。
「僕は庭師ではないよ。
でも君がそう呼びたいならその呼び方を許可してあげよう。
その代わり、僕の愛し子になってくれないか?」
「愛し子ってなぁに?」
「愛し子は特別に僕の加護を受けた存在だよ。
君は僕好みの匂いがするから、一緒にいたくなったんだ。
僕の愛し子になれば、いっぱい美味しいものを食べさせてあげるよ。
林檎を毎日沢山上げるし、庭園中をいつもお花でいっぱいにしてあげる」
「林檎、毎日いっぱい食べれるの?
うん、なる!
愛し子になる!」
空腹だった私は林檎に釣られて、妖精王の愛し子になる事を了承しました。
「じゃあ契約成立だね」
彼はそう言って、私の額にキスしました。
「これで、君は僕の愛し子だ」
そう言ってアル様はニッコリと微笑みました。
それはそれは美しい笑顔で、私はアル様にしばし見とれていました。
ですが今になってよく考えると、幼児を食べ物で釣り、初対面の幼児の額にキスするとか、かなり危ない人ですよね。
アル様は妖精なので人の価値観では測れないので、セーフかもしれませんが。
◇◇◇◇◇
私が公爵家に嫁いで一カ月が経過しました。
公爵家の一日は、冷たいパンとスープだけの朝食から始まります。
昼間は使用人に陰口を叩かれ、時々意地悪なこともされます。
「イグナティウス様は昨日も荒れていた。はぁ……ロレッタ王女が嫁いで下さればこんなにもことには……」
「ニコラ様は、ロレッタ王女を虐めていたっていうじゃないか? あの女は性根が腐ってるね」
「なぜそんな悪名高い性悪女が当家に嫁いで来たのか……」
「迷惑な話だ」
使用人は私の姿を見ると、これ見よがしに嫌味を言ってきます。
庭を散歩中に、頭の上からゴミをかけられることもあります。
たまに屋敷に帰って来るイグナティウス様から罵倒されたり、物を投げつけられたりします。
夕ご飯は冷たいスープだけだったり、腐った林檎一個だったりです。
そんな感じで公爵家での日々は過ぎていきました。
離宮にいた時とほとんど変わりませんね。
通常運転です。
公爵家の方が与えられたお部屋が広く、お庭が広いので離宮での生活より快適かもしれません。
「今日は腐ってない林檎を半分ももらえました。
散歩中に頭の上からかけられるゴミの量もすくなかったです。
スープは相変わらず冷たかったですが、小さなじゃがいものかけらが入ってました。
今日はとってもついてますね。
公爵家の方々が少し優しくなった気がします」
もしかしたら、気まぐれに態度を軟化させただけかもしれませんが。
「いや、そんな扱いに慣れては駄目だよニコラ!
こんな扱いをされてついてると言う時点で、君の感覚は壊れてるからね!」
「どう、考えても虐めなのだ!
許してはいけないのだ!」
一日が終わり、私が部屋で休んでいると、いつものようにアル様とキースが遊びに来てくれました。
二人がいつでも来れるように、部屋に飾る花だけは欠かさないことにしてます。
毎晩アル様とキースが遊びに来てくれて、お菓子や果物を差し入れしてくださるので、お腹も心も満たされています。
「でも、私には陰口を言われたり、意地悪なことをされるのが、日常のようなものですから」
離宮にいた時も、使用人やロレッタに嫌味を言われたり、食事を捨てられたり、突き飛ばされたりしてました。
「そんな環境に慣れてはだめだよ。
こんな酷い環境が当たり前だなんて思っては駄目だ!」
食事を捨てられて空腹な時はアル様が食べ物を持ってきてくださり、突き飛ばされて怪我した時はアル様から授かった回復魔法で治していたので、不自由はしませんでした。
「そもそも君はロレッタを虐めたりしてない。
なのに何故性根が腐ってるだの、性悪女だの言われなくてはいけないんだ!」
「むしろロレッタに虐められていたのは、ニコラの方なのだ!
性悪女の称号はロレッタに相応しいのだ!」
ロレッタには、バケツの水を頭からかけられたり、足をかけて転ばされたり、ドレスにインクをかけられたり、毎日のように意地悪をされていました。
でも誰も私の言う事を信じてくれませんでした。
そればかりか、いつの間にか私がロレッタを虐めているという噂が王宮内で流れていたのです。
「でも、皆は私がロレッタを虐めていたと信じています。
私が何を言っても誰も聞いてくれませんでしたから」
八歳の時、母が亡くなってから私には人間の味方がいなくなりました。
正室の子で清楚で可憐な見た目のロレッタ。
側室の子で王族の厄介者の私。
皆がどちらの言う事を信じるか、考えるまでもありません。
「でも寂しくはないですよ。
私にはアル様とキースがいてくれましたから。
二人が私の事を信じてくれている、それだけで十分幸せです!」
「ニコラ……!」
それなのにどうしてアル様が悲しい顔をなさるのですか?
虐げられているのは私なのに、アル様の方が私より辛そうな顔をしています。
「ああ……!
こんなことならニコラが人間の男と結婚する前に、妖精の国に攫ってしまえばよかった!」
「そうなのだ!
アルヴァリス様がヘタレだから悪いのだ!
あなたがもたもたしている間に、ニコラが人間の男と結婚してしまったのだ!」
「妖精の国には、十七歳未満の人間の少女を攫ってはいけない決まりがあるんだよ。
だからニコラが十七歳になるまで待ってたけど……、十七歳になったニコラは想像を絶するくらい綺麗になっていて、なんて声をかけていいかわからなくて……時間ばかりが流れて……。
うだうだ悩んで城に引きこもってる間に…………ニコラは人間の男と結婚してしまった……」
「ニコラが子供の時はぐいぐい迫っていたのだ!
子供にしか迫れないアルヴァリス様はロリコンなのだ。
変態なのだ。
こんなのがボク達の王様とかキモいのだ! 最低なのだ!」
「キース、歯に衣着せるって言葉を知ってるかい?
ロリコン、変態、キモい、最低のコンボは流石にきついよ。
妖精王でも泣いちゃうよ」
キースのストレートな言葉に、アル様は泣きそうな顔をしました。
「そんなことはどうでもいいのだ!
もたもたしないで、今からでもいいのでニコラを攫って妖精界に連れて行くのだ!」
「それは無理。
妖精の世界の法令、第二百五十六条、第三項に『結婚している人間を攫ってはいけない』ってあるから……」
「そんな法令破ってしまえばいいのだ!」
「妖精王が法令を破るのは不味いよ」
妖精の世界にも決まり事があるのですね。
「そうだ!
人間の世界には離婚という制度があるのだ!
ニコラとイグナティウスを離婚させればいいのだ!」
「そうか、その手があったね!」
二人は私とイグナティウス様を離婚させたいようです。
イグナティウス様とは政略結婚。お互いに愛情はないので、彼と離婚しても問題ありません。
ですが……。
「二人共、簡単に言わないでください。
これは王命による結婚なのです。
そう簡単に離婚なんか出来る筈がありません」
王命による結婚なのです。離婚なんて出来る筈もないんです。
この話をしたら、アル様はますます落ち込んでしまいました。
「今日の所は一旦帰るのだ!
だけど僕は諦めないのだ!
絶対にニコラとイグナティウスを別れさせるのだ!」
キースはしょんぼりしたアル様を引きずって帰っていきました。
本当にそんな方法があるといいのですが……。
◇◇◇◇◇
次の日
まだ日も明けきらない頃、アル様とキースがやってきました。
アル様の目の下にはくまができていて、いつもつやつやの髪はボサボサになっていて、いつもの煌くような美しさがありませんでした。
「アル様、キース、どうしたのですか?
こんな朝早くに?」
「昨日、人間界の法律の本を端から端まで読んで調べたんだ!」
それでアル様の目の下にくまが出来ていたのですね。
「王命による結婚を覆す方法が二つある事がわかった!
一つはどちらかが死ぬこと!」
「あの……イグナティウス様を殺したりしませんよね?」
二人が人殺しされるとは思えませんが、念の為に聞いておきました。
「夫を殺して妻を人間界に連れ帰るのは、妖精の国の法に触れるからやらない!」
妖精の国にそういう法律があって良かったです。
「二つ目は、白い結婚による離婚だ!」
「白い結婚……ですか?」
それはいったいどのような制度なのでしょう?
「白い結婚とは、結婚してもその……ふ、夫婦の契を交わさず……清い体のまま、一年間過ごすことだ!
そうすれば無条件で離婚が成立する!
結婚自体が白紙撤回されるんだ!」
そう説明したアル様のお顔は少しだけ赤く色付いていました。
私もアル様の口から「夫婦の契」とか、「清い体」とか聞くことになるとは思ってもいませんでした。
彼の口からそんな言葉を聞くと、こちらまで顔に熱が集まってしまいます。
「そ、そんな法律があったのですね。
知りませんでした」
「白い結婚が成立すれば、君は自由になれる!」
アル様が私の手を取り、真剣な口調で訴えてきました。
アル様にこんな風に見つめられるのはいつ以来でしょう?
子供の頃はなんとも思いませんでしたが、彼の顔が近くにあると……心臓が妙にドキドキします。
「そうなったら嬉しいです」
このまま見つめ合っていたらおかしくなってしまいそうです!
私はアル様から、パッと手を離しました。
「絶対に白い結婚を成立させるよ!
そして君を自由にして……その後は、君を妖精の国に連れて行って……その……けっ、けっ、けっ……けけけけけけけけけ」
アル様は途中で言葉に詰まってしまったようです。彼の顔は耳まで真っ赤でした。
白い結婚成立後、住む場所がなくなった私を妖精の国に招待してくださるつもりなのでしょうか?
妖精の国には一度行ってみたかったのです。
キースのような可愛らしい妖精が沢山いるのかしら?
「ああもう、肝心な時にアルヴァリス様は締まらないのだ!
妖精の国にニコラを連れて行って結……婚……!
むぐぅーー!!」
何か言いかけていたキースの口を、アル様が塞ぎました。
「な、なんでもないよ!
キースは子供だから……時々、意味不明な事を言うんだよ!」
「はぁ、そうなのですか?」
途中で言葉を遮られると、余計に気になってしまいます。
「とにかく、これから一年間!
いや、正確には十一カ月、イグナティウスには君の体に指一本触れさせないからね!
安心してくれ!」
「イグナティウスだけでなく、人間の男をニコラに近づけないのだ!」
「頼りにしてます」
二人が味方についてくれるなら、安心です。
「そうだ! イグナティウスをす巻きにして、一年間納屋に入れておけばいいのだ!
そうすればニコラに触れないのだ!」
「いい考えだねキース。
でもそれなら、イグナティウスを崖から逆さ吊りにした方が良くないかい?」
「アルヴァリス様は冴えてるのだ!
その方法で行こうなのだ!」
話が恐ろしい方向に向かっています。二人を止めなくては……!
「盛り上がってるところごめんなさい。
イグナティウス様を傷つけるようなことはしないでください。
彼も初恋のロレッタと結婚できなかった被害者なのですから」
私には嫌な面しか見せないイグナティウス様も、きっとロレッタには優しい笑顔を見せるのでしょう。
「ニコラはイグナティウスを庇うんだね……。
も、もしかして……イグナティウスのことが、その……好きなのかな?」
アル様は真っ青な顔をしていました。
顔を赤くしたり、青くしたり、忙しい方です。
「いえ、全く。
彼にそういう感情は一ミリも抱いていません。
初対面で奇声を上げて物を破壊するような人を、好きになる理由がありませんもの」
イグナティウス様は可哀相な人だと思います。ですがそれとこれとはべつです。彼への恋愛感情はゼロです。
「そっか……よかった!」
アル様は心の底から安堵している様子でした。
「なら、白い結婚を成立させて、イグナティウスとの結婚を白紙撤回することに、異議はないんだね」
「はい。大賛成です」
嫌いな人と一緒の家に住むのは、お互いにストレスです。
私との白い結婚が成立すれば、イグナティウス様は別の女性と結婚出来ます。
望みは薄いですが、もしかしたら今度こそロレッタとの結婚が叶うかもしれません。
「なら、これから僕とキースの二人で君の傍にいて見守るよ。
君の髪の毛一本、イグナティウスに触れさせたりしないからね」
「そうして頂けると助かります」
「他の人間がいる時は姿を消してるから安心して」
「はい」
そう言えば離宮にいた時も、二人は私以外の誰かがいる時は姿を見せませんでした。
だから二人の存在を知っているのは私だけです。
二人が常に傍にいてくれるなら安心です。
でもアル様がずっと傍にいると言うのは、少しだけ緊張します。
イグナティウス様は私に興味などないので、彼の方から私に触れてくる事など起こらないとは思いますが、用心に越したことはありません。
彼も男ですから、誰でも良くて、むがーっという気持ちになるときがあるかもしれません。
そんな時、運悪く彼に遭遇したら何をされるかわかりませんから。
◇◇◇◇◇◇
その日から、二人は私以外の人には見えないように姿を消して、私の事を護衛してくれました。
庭を歩いているとき窓からゴミを撒かれても、バケツに入った雑巾の搾り汁をかけられそうになっても、足をかけられて転ばされそうになっても、アル様が守ってくれたので無事でした。
お庭を散歩しているとき偶然イグナティウス様に遭遇した時も、
彼が「なんで初恋の人で命の恩人のロレッタじゃなくて、お前のような悪名高い女が俺の嫁なんだ!!」と言って癇癪を起こし、
私に向かって石を投げつけて来ましたが、
アル様が魔法で守ってくれたので無傷でした。
アル様の姿は他の人には見えませんが、彼が放っている殺気を感じたのか、イグナティウス様は早々に去っていきました。
彼らに守られるようになって気づいたことがあります。
それは度重なる虐めにより、自分で思っていたよりストレスが溜まっていたということです。
アル様が守ってくれるようになってから、ストレスが減ったせいか、以前より体の調子が良いのです。
誰かが傍にいて守ってくれるって、こんなにも心地よいものだったのですね。
「この家の人間はニコラを虐めるクズばかりなのだ。
全員す巻きにして地下牢に入れたいのだ」
「抑えろキース。
僕も全員の足にロープをくくりつけて、崖から吊るしたいのを我慢しているんだ」
その代わり、二人はストレスが溜まっているようです。
アル様とキースの抑えが利かなくなって、この家の人達に危害を加える前に、イグナティウス様との白い結婚を成立させ、この家を出ていきたいです。
「そう言えばイグナティウスはロレッタのことを、初恋の人とか、命の恩人って言ってたけど、二人の間に何があったのだ?
イグナティウスは、どうしてそこまでロレッタに執着するのだ?」
イグナティウス様が去ったあと、キースがそんな疑問を口にしました。
「イグナティウス様は公爵家の嫡男です。
お城のパーティーやお茶会に、招待されたこともあったでしょう。
イグナティウス様がお茶会に参加した時、ロレッタに一目惚れしたのかもしれませんね。
もしかしたら、初恋の人がいる国を守るという強い意志があったから、イグナティウス様は戦場から生きて戻れたのかもしれません。
そう言う意味でロレッタはイグナティウス様の命の恩人なのでしょう」
戦場から戻ったのに、報奨であるロレッタに逃げられたイグナティウス様が少し気の毒になりますね。
「僕たちが考えても仕方ないことだよ。
イグナティウスがロレッタを本気で愛しているなら、国王に頼み込んででも、ロレッタを口説き落としてでも、彼女を嫁にすればいい話だからね」
「それもそうですね」
アル様の意見に同意です。
好きの反対は無関心。
イグナティウス様がどんな理由でロレッタに惚れたのか、何故彼女を命の恩人と呼ぶのか、私は微塵も興味がありません。
「人の事を笑ってられないのだ。
アルヴァリス様も頑張るのだ!
ニコラの白い結婚が成立したあと、彼女に逃げられないようにするのだ!」
「ぐっ……!
最大限努力する!」
アル様が努力しなくても、私はアル様とキースから離れたいとは思ってませんよ。
白い結婚を成立させ、妖精の国に行けるのが今から楽しみなのです。
二人から逃げ出す理由がありません。
◇◇◇◇◇
それから月日はあっという間に過ぎました。
その日、私は朝から教会に出かけていました。
屋敷に帰ると、騒然としていました。
メイドの一人に理由を尋ねると、イグナティウス様が魔獣に襲われ怪我したとのことでした。
彼の傷口は深く、医者でもお手上げらしいです。
「こんなときロレッタ様がいてくださったら……!
彼女の治癒魔法で旦那様を救っていただけるのに……!」
メイドはそう言って泣いていました。
私は急いでイグナティウス様の部屋に向かいました。
イグナティウス様は嫌な人です。ですが見殺しにするわけにはいきません。
彼の部屋に入ると、医者と家令がいました。
二人は「何しにきた! 邪魔だ!」と言って私を追い返そうとしましたが、私はそれを無視しイグナティウス様のベッドにいきました。
ベッドに横たわる彼は、全身を包帯に覆われ虫の息でした。
私は彼の体に手を当て、治癒魔法を使いました。
淡い光が彼の全身を包みイグナティウス様の傷は完治し、彼は目を覚ましました。
そう言えば……ずっと昔、似たような事があったような……?
うーん、思い出せません。
思い出せないという事は、きっとどうでもいいことだったのですね。
とにかくイグナティウス様が目覚めて良かったです。
挨拶もなしで出ていくのは気が引けますから。
家令がイグナティウス様に、私が魔法を使ってあなたを助けたと伝えました。
医者と家令が「奇跡だ!」「聖女だ!」と言って騒いでいます。
「俺の体を温かい物が包んでいた気がする。
もしかして……十年前、城のお茶会に参加したとき、魔獣に襲われた俺を助けてくれたのは君だったのか……?」
イグナティウス様がキラキラした目で私を見てきます。
今まで私を散々邪険にしてきたのに、今さらそんな目で見られても気持ち悪いだけです。
私は彼に言われて記憶の糸を手繰りました。
そう言えば……十年ほど前に重症の男の子を助けた事があった気がします。
治療魔法をかけたあと、しばらく男の子が目を覚まさなかったので傍に付いていました。
男の子が目を覚ましかけたとき、どこからかロレッタがやってきて、「公爵家のイグナティウス様じゃない! 彼は私が助けた事にするわ! あなたはさっさと消えて!!」と言われた気がします。
イグナティウス様に言われてぼんやりと思い出しました。
彼には大切な事だったかもしれませんが、私にとっては思い出せないくらいどうでもいい事でした。
きっとロレッタは目覚めた彼に「私が治療魔法を使ってあなたを助けたんです」とでも言ったのでしょう。
彼女は幼い時から面食いでしたから、当時美少年だったイグナティウス様に恩を売れたらラッキーとでも思ったのでしょう。
大人になったロレッタは男性の好みが変わったのか、イグナティウス様との結婚を拒否しましたけど。
そう言えばロレッタも治療魔法が使えました。
最も彼女の治療魔法は、ささくれを治す程度のささやかなものでしたが。
それでもロレッタが治療魔法が使えるのは事実なので、イグナティウス様の怪我を治したと言っても、周囲に疑われる事はなかったでしょう。
「ニコラ、俺は君を誤解していた!
俺達の出会いは最低だった。
お願いだ!
最初からやり直そう!
これからは君に優しくする!
誓うよ!」
イグナティウス様がそう言うと、家令が「旦那様、初恋の人と結婚出来て良かったですね」と言って涙ぐみました。
勝手に盛り上がって、勝手に感動されても困ります。
「あの、盛り上がってるところ失礼ですが、これを受け取ってください」
私は一枚の紙をイグナティウス様に渡しました。
「これは……?」
「白い結婚による結婚の白紙撤回受理証明書です」
「白い結婚……!?
白紙撤回受理証明書……!?」
イグナティウス様が驚いた顔をしています。
「はい。
この家の誰も覚えていないようでしたが、昨日はイグナティウス様との結婚一周年の記念日でした。
一年間、夫婦の契を交わさなかった夫婦は、白い結婚により、結婚を白紙撤回出来るのです。
ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉を聞いたイグナティウス様は、顔を真っ青にしていました。
「だから私、今朝一番に教会に行って白い結婚による結婚の白紙撤回を求めてきたんです。
誰も馬車を出してくれないので歩いて教会に行ったので、少々時間がかかってしまいました」
本当はアル様とキースと一緒でした。
アル様が私に早く歩ける魔法をかけてくれたので、さくさく教会に着きました。
「そう言う訳で、あなたと私はもう他人です。
さようならイグナティウス様。
どうぞ初恋相手のロレッタにプロポーズするなり、口説き落とすなりして、頑張って彼女との結婚を勝ち取ってください」
私はその場でカーテシーをしました。
「待って!
待ってくれ!
誤解してたんだ!
幼い頃魔獣に襲われ重症を負った俺を助けてくれたのはロレッタ様だと思い込んでいた!
でも君に回復魔法をかけて貰って気づいたんだ!
あのとき俺に回復魔法をかけてくれたのは君だったと!」
「そうですか、それで?」
「それでって……。
だから君との関係をやり直したいなと……」
「無理ですね。
どうかあなたが私にしてきた事を思い出してください。
初夜での暴言と部屋の破壊に始まり、イグナティウス様には顔を合わせる度に暴言を吐かれ、物を投げつけられました。
使用人の方々にも、頭からゴミをかけられたり、バケツの水をかけられたり、足をかけられたりしました。
今さら誤解と言われたところで、どうにもなりません。
私、あなたに一ミリも興味ありませんから」
私がそうはっきり伝えると、イグナティウス様は呆然としていました。
私に酷いことをしたという自覚はあったようですね。
どうかその事を忘れないで、これからはまともに生きてほしいですね。
「それでは失礼します」
「待ってくれ!
行かないでくれ!
家令、ニコラを止めろ!」
私が部屋から出ようとすると、イグナティウス様が往生際が悪く縋り付くように私に向かって手を伸ばしてきました。
イグナティウス様の命を受けた家令も私に迫ってきます。
しかし、彼らの手が私に届く事はありませんでした。
アル様が張った結界が私を守ってくれたからです。
結界に弾かれた二人は、壁まで飛ばされました。
病み上がりのイグナティウス様には、少し衝撃が強かったかもしれません。
アル様は彼らにも見えるように、自分にかけていた姿を消す魔法を解きました。
そして彼は私を後ろから抱きしめました。
「悪いけど、汚い手でニコラに触れないでくれる?
ニコラはもう僕のだから」
「お前は誰だ!」
「妖精王だよ。
君たちの悪事は全部見ていたよ」
アルが正体を明かすと、部屋にいた人は驚きを隠せないようで、彼を指差し口をパクパクとさせていました。
教会で白い結婚による結婚の白紙撤回が受理されたあとのこと。
アル様は教会の展望室に私を連れていきました。
そして私の前に跪いたアル様は、私に求婚したのです。
「この一年ずっと後悔していた。
君にもっとはやく気持ちを伝えていればよかったと。
意地悪な人しかいない王宮から君を攫ってしまえばよかったと。
もう誰かに君を攫われて後悔したくないから伝えるね。
僕と結婚してください」
イグナティウス様と結婚してからの一年間、アル様は私の事を守ってくれました。
いえ、初めて会った時から彼はずっと私の味方でした。
私はそんなアル様に、いつの間にか心惹かれていたようです。
私が「はい」と答えると、その場で口づけされました。
最初は触れるだけの口づけで……そのあとは……とても私の口からはいえません!
今思い出しても顔から湯気が出るくらい恥ずかしいです。
「アル様は勇気を出してニコラに告ったのだ!
二人はラブラブなのだ!
邪魔者は消えろなのだ!」
キースも皆の前に姿を現しました。
二人の妖精の出現に、部屋にいた人達は目を白黒させています。
「そういう訳で、ニコラは妖精の国に連れて行くね」
「さよなら皆さん、もう二度とお会いすることはないでしょう」
「あっかんべ~なのだ〜!」
アル様の魔法で私達は妖精の国に転移しました。
転移する間際、イグナティウス様が何かを叫んでいましたが、聞き取れませんでした。
気にするだけ無駄なので、忘れることにします。
妖精の国はパステルカラーの虹が空にかかる素敵な国でした。
私は妖精達に歓迎され、アル様に愛され、幸せに暮らしました。
アル様との寿命の差が心配だったのですが、妖精王と結婚すると寿命が伸びるみたいです。
これならずっとアル様と一緒にいられますね。
これはずっと後になって知ったことなのですが、私に意地悪をしていた人達は、春や秋になると涙と鼻水とくしゃみが止まらなくなったそうです。
それらの症状は、どんな名医に診せても治ることがなかったそうです。
それから身内に妖精王の愛し子がいると、ごく稀に回復魔法を授かる人間がいるそうです。
ロレッタもその類で、ちょっとだけ回復魔法が使えたみたいですが、私が去ったあとはその力も消えたみたいです。
――終わり――
※国民が不幸になるラストが不評だったので、変更しました。ニコラに意地悪した人だけ不幸になりました。
※ぬるいざまぁにしたらそれはそれで不評で、「国は滅んだほうがよくね?」って感想いただきました。
作者にどうしろと??
ざまぁ好きな人は下記のざまぁを採用してください。
「これはずっと後になって知ったことなのですが、私が去ったあと王国は妖精の国の加護を失ったそうです。特にドレイク公爵領の被害が甚大だったそうです」
ぬるいざまぁが好き人は下記のざまぁを採用してください。
「これはずっと後になって知ったことなのですが、私に意地悪をしていた人達は、春や秋になると涙と鼻水とくしゃみが止まらなくなったそうです。それらの症状は、どんな名医に診せても治ることがなかったそうです。」
この作品は「ざまぁ」タグ付けていません。なのでそういう作品にざまぁ展開を求められましてもね……という感じです。
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