小さなドラゴンの住処
俺はドラゴン。
住む場所を失くし、彷徨う事しか出来なくなってしまった魔獣だ。
もう何日も何も食べていないからか、足元が覚束ない……。
「ガウァ……」
お腹が空いて力が出ない……。体が動か、ない……。
「グルゥ……」
俺は力無くその場に倒れた。
意識を失う寸前、向こうの方から走り寄ってくる男が見えた。
自分は、死んでしまうんだと思った。
ーーー
「気が付いた?」
その言葉を聞き、目を開いたら、1人のちっちゃい女の子が俺の方に覗き込んでいた……。
「ガウッ!?」
それを見て思わず飛び退いてしまった。
「あ、ごめんね。驚かせちゃって……。」
眉を下げ、シュンと項垂れる女の子を見て、少し悪い気がした。
「ガ……ガゥ……。ガウッ!」
どうすれば良いか分からず、とりあえず精一杯の元気な声を出した。
少女はそれを見てフフッと笑ってくれた。
「待っててね、今美味しい物が来るからね。」
少女が俺の頭を撫でながら、楽しげに笑っていた。
「ガウ?」
美味しい物? その言葉に疑問を感じていると、この場に香りが立ち込めた。その匂いは、今まで一度も感じた事のない物だった。
吐き気のする様な血生臭さも無く、炎を放った時の様な焦げ臭さでも無かった。
いわばそれはオイシイ匂いだった。
「おう、目を覚ましたか。」
突然現れた変な木の容器を持った男。
匂いはその男から来ているのだと分かった。
「が……ガウッ!」
もう我慢できなかった。俺は思わずその男に飛びつき、そして、その男の手によって一瞬で抑えられた。
「ガゥ……。」
俺は、また負けたみたいだ。せっかく目の前にオイシイ物があるのに……。
「全く、料理は逃げないから大人しくしろ。」
……? 男の反応が思っていたのと違う……。
てっきり、すぐにでも首に刃物を突き立てられるのかと思っていた。
でも男はそれをせずに、ただ手で俺を抑えながら、ニッコリと笑っている。
「ほら、食べてみろ。」
男は目の前に容器を置き、パカッという音をたてた。次の瞬間、更に強烈な匂いが飛び出してきた。
10匹食べたらその内の一匹は美味しいと言う事は今までにもあった。
でも、これはそんな物とは格が違う香りだった。
「ガ……ガウ?」
食べて良いのかな、俺が……こんな美味しそうな物。
「ふふっ、何も気にしなくていいんだよ、お食べ。」
俺の胸中を見透かした様に、少女は言った。
恐る恐る、自分の口にその白い何かを放り込んだ。
「ガウッ!?」
包み込んでいた物を歯で破いた時、ソレは訪れた。
中からとんでもない肉汁が溢れ出してきた。
さっぱりとした味わいで何か強い香りを放つ物がシャキシャキと音を立てている。
全てが新しい。そんな感じた事も無い物の中に、1つだけ自分が知っている物があった。
でも、それも自分が食ってきた物とはあまりにもかけ離れていた。
その肉は噛む度に汁が溢れて、舌を刺激する。硬くもなく、噛み切れない程柔らかくもない。
そもそも噛むという事をせずとも、自然とホロホロと解けていくその肉は神秘というしかなかった。
「美味いか?」
俺は男のその言葉に大きく頷いた。
「ガウゥゥッ!」
美味しい……。こんな美味しい物食べた事が無いし、聞いたことも無い。
「えへへ、それは小籠包って言ってね、店長直伝のとっておきの料理なんだよ!」
ショウロンポウ……それは何だか分からないけれど、料理というのが凄いという事は分かった。
「ガウガウッ!」
俺は一気に口の中にソレを掻き込んだ。
口の中に温かい汁が染み出し、口内が幸せいっぱいになっていく。
「ガアァァァァ!」
気づいた時には咆哮を上げていた。
それ程美味しかった、それ程に驚きの連続だった。
「えへへ、良かったね。」
隣に居た少女は、そんな俺の頭をゆっくりと撫でてくれていた。
ーーー
この店は『アニマルレストラン』魔獣専用の店であり、俺はここの店長だ。
「ガウガウッ!」
そんな店がやたらと人懐っこいドラゴンに住み着かれてしまった。
「店長店長ー! 見てください、この子お手覚えました!」
この店の助手が突然呼び掛けてきた。
赤髪赤目のその女の子は猫耳が生えている。いわゆる魔獣と呼ばれる種族の少女だ。
彼女が居るとこの店に来る魔獣は大人しくなるので、助手として住んでもらっている。
そして、そんな助手のちっちゃい手にドラゴンの大きな赤い手がチョンと乗っている。
物凄く気遣いの感じる乗せ方だ。爪が刺さらないように気を付けているに違いない。
「ガウッ!」
今度はドラゴンがスッと自分の手を開いた。
鱗の影響でゴツゴツしているが、中々良い手だ。
歴戦の跡の様な切り傷は多いが、それでこそドラゴンらしい手と言えるだろう。
そして、ドラゴンの掌に早速助手が手を乗せていた。
……なんか、あいつ逆に飼われてないか?
「えへへ、良い子良い子!」
満足した様に助手はドラゴンの頭を撫でていた。それに対し、ドラゴンは目を閉じて心地良さそうにしている。
……とりあえず、本人達が良いなら良いとするか。
「とにかく今日のご飯はどうするんだ?」
そう言った時、ドラゴンが瞬時に反応した。
助手の手を払い除けてやって来たせいか助手が少しシュンとしている。
「ガウガウッ!」
ドラゴンの人差し指と親指を両手で使って必死に丸を作っている。なるほど、このハンドサインはあれか。
「小籠包で良いんだな?」
「ガァウッ!」
どうやらそれで良かったらしい。頷きながら、元気良く跳ねている。
「よし、それじゃぁ作ってこよう。ちょっと待ってろ。」
「ガウッ!」
満足そうにしているドラゴンの元に助手が早足で駆けていった。
「良かったね! ドラ!」
何かいつの間にか愛称が出来てしまっている。俺の知らぬ間にいったい何があったんだ……。
「ガウガウッ!」
ドラゴンは嬉しそうに尻尾を揺らしながら、助手の方へと振り向いた。
なるほど、何となく分かった。
あいつ名前を呼ばれるのが好きなのか……覚えておこう。
「さてと……。」
そんな事は置いておき、早速料理に取り掛かるとしよう。
事前に作ってあるスープを温め直し、餡を作る。豚ひき肉と小さく切った葱と玉ねぎ、後はすりおろした生姜等を入れ、捏ねていく。
本来なら醤油や料理酒などの調味料も入れていきたい所だが、どうやらドラはあまりそれが好きではないらしい。
助手が『寧ろ砂糖を入れたら良いんじゃない?』とか言ってたのは忘れることにしよう。
ともかく肉に掛ける調味料が少ない分、スープは本格的に作った。鶏ガラスープの爽やかな匂いが水蒸気と共に湧き上がってきたら完成だ。
「よし……!」
一応味見をしてみるが、やはりこれならドラも満足するだろう。
さっぱりとした味わいの中に少し強めの主張をする貝柱の出汁の味が染みている。我ながら中々悪くない出来である。
そんな事を考えていると、すぐそばにドラが来ていた。キラキラとした瞳でこちらを見つめている。
「ガウガウゥッ!」
その鳴き声をあえて通訳をするならば『味見するなら俺もしたい』……と言ったところだろうか。
「全く、助手を放っといて良いのか? ちゃんと小籠包は食べさせてやるから、向こうの助手と一緒に……。」
『待っていろ』まで言おうとした瞬間、助手が居ない事に気がついた。
まさかと思ったその時、ドラゴンの影から助手が現れた。
「えへへ、私も来ちゃった。」
来ちゃったではないだろう来ちゃったでは……。
「店長……飲んじゃ駄目?」
助手は上目遣いになりながら、懇願するようにじーっとこちらを見てくる。
正直こうなればこいつはもう動かん、というか俺もこういう目には弱い。こちらが折れるしか無いだろう。
「ったく……。」
早速スープを皿に入れ、2人の元へと出した。
「さ、それ飲んだら早く元の席に戻れよ。」
「はーい!」
「ガウッ!」
2人はスープを一気に飲み干し、満足した様に元の席に戻っていった。
脱線してしまったが、とにかく料理の続きをするか……。
先程の餡をスープと混ぜ合わせて行く、そしてここからはスピード勝負だ。
スープが逃げぬ様に生地で餡を包んでいく。そして、それは丁寧に、かつ素早く包んで行かねばならない。しかし問題はない、何せこんな事は何十年とやって来た事だ。
すぐに30個程の小籠包が出来上がった。
後はこれを肉まんを蒸すとき等にも良く使われるあの木の奴。通称セイロで蒸していけばいい。
「ガウガウッ!」
すぐにドラが飛び出してきた。それを抑えながら、俺は小籠包の完成を見守る。
大体蒸してから6分程度でオーケーだ。俺は早速セイロの蓋を外し、ドラの前に出した。
「さ、ドラ……召し上がれ。」
生地で包んでいるというのにその香りの存在感は凄い。生姜や鶏、貝柱等の素材が協調して生み出す香りはドラの口内を一瞬で涎に満たしたらしい。
「ガウガウッ!」
満面の笑みで小籠包を口に放り込んでいる。その度に幸せそうな顔になってくれるので、こちらも作った甲斐があると言うものだ。
「良かったね!」
助手はドラの頭を撫でながら、食い入る様に小籠包を見つめている。
そろそろ彼女の賄を作ってやらないとドラの分まで食ってしまいそうだな……。と思っていた矢先。
「ガウッ!」
何とドラの方から助手に小籠包を差し出した。
小籠包を手に乗せ、ズイと助手の前に寄せている。
「い、良いの?」
「ガウッ!」
ドラは助手の問いにコクリと頷き、その手の小籠包を渡していた。
助手は熱そうにしながらも、口に小籠包を放って、満足そうに味を噛み締めていた。
「うーん! 美味しい! ありがとね、ドラ!」
「ガウガウッ!」
その後も2人は分け合いながら、ゆっくりと食べていた。どうやら賄は作らなくてもいいらしい。
賄なんて無くても、今や助手は幸せそうに料理を食べている。
その様子を見ながら、ぼーっとしていると、突然店の扉が開いた。
客が来たのかと思ったが、どうやら……違うらしい。
それはボロボロになった一人の兵士だった。
傷だらけの鎧を纏いながら、フラフラとこちらに近づいてくる。
「た、隊長……助けて、ください……。」
兵士は昔の俺の名を呼びながら、バタンとその場に倒れた。
あの二人はそれを不思議そうに見つめていたが、ハッとした表情に戻り、その兵士をベットへと連れて行った。
俺は内心、少し焦っていた。
ーーー
「うぅ……。」
どうやら、目を覚ましたみたいだ。こいつが何の為にここまで来たのか、しっかりと聞かないとな……。
「何のようでここに来た? 隊長はもう引退したと言ったはずだが……。」
確かに俺が元隊長であったのは間違いない。
しかし辞める手続きもちゃんと踏んでいるのだ。今更、戦争関連で呼び出される筋合いは無いんだが……。
「はっ、そうですよ! 実はそれどころじゃないんです! もうすぐ我が軍が負けてしまいそうで……。」
……まぁ、そりゃそうか、まさかこんな所まで飯を食いに来る訳でもあるまい。こいつが来る要因と言ったらそれしかないだろう。
「ちょっと待ってください! 店長はしっかり辞める手続きをしたし、その時にはそちらも了承したそうじゃないですか! 今更やばくなったから助けてなんて身勝手ですよ!」
助手が俺の腕に抱き付きながら兵士にフーッと威嚇している。
兵士も思う事があったんだろう。それを聞いて頭を俯かせている。
「それは、そうなんですが……。じ、人類の危機なんですよ。」
どうやらただの戦争と言う訳でも無いらしい。威嚇していた助手もその言葉を聞いて少し身を引いている。
「相手は何者なんだ?」
「……デビルマターです……。」
俺は内心舌打ちが出た。
想像の3倍ぐらい最悪な相手だ。確かデビルマターは形を自由に変えれる浮遊生物……人間が戦うには少々きつい相手だな。
「……勢力図を見せてみろ。」
「はい……。」
兵士がスッと出してきた紙に目を通そうとしたその時。
「店長……もしかして戦うつもりなんですか?」
少々泣きそうな顔で助手に聞かれてしまった。
勿論戦うつもりなど毛頭ないが、こう言われると少し罪悪感が出てくる。
「大丈夫だ、戦いはしないさ。」
俺は助手を諌め、勢力図に目を通す。
それは……大体予想通りの勢力図だった。
「おい、この砦にもう少し兵士を増やした方がいい。」
それを聞いて、目の前の男が少し意外そうな顔をした。
俺と地図を交互に見比べ、やがて口を開いた。
「この砦……ですか?」
「そうとも。一見なんてこと無いただの砦だが、この戦争では重要な地点だ。」
デビルマターと戦う上で1番気を付けないといけない物は何か。
それは海に面している場所の守りだ。
「元来人間ってのは海に面している場所の守りが薄い。デビルマターに対してはそれが悪手となる。」
何せ奴等は浮遊生物だ。下に陸があろうが海があろうがまるで関係ない。
となると人間が古来より行ってきた海や山などを背に拠点を作るという戦法が逆に不利に働いてしまう。
「良く見てみろ、この砦を壊されたら一気に本拠地まで攻められるぞ。」
「な、なるほど……。」
感心した様に頷いている。とりあえず今出来る助言と言えばこれぐらいしかない。
そして、この助言も完璧ではない。
それを察してか兵士の顔が少し険しくなった。
「でも、ここの兵力を増やすという事は……。」
「あぁ、どこかの地点を見捨てる事になる。」
兵士ってのは自然から湧いてくる訳じゃない。砦の兵士を増やすという事は別の場所の守りが薄くなるという事だ。
取捨選択、どこを取ってどこを捨てるか……いや、そもそもどこも捨てずに現状維持をするか……。そして、それは俺が決めるべき事ではない。
そんな事まで決めてしまうと部外者の助言の域を超えてしまう。
「俺が言えるのは、これまでだ。後は、そちらで決めてくれ。」
そう言った時、兵士が少し悲しそうな顔をした。
何やら言いたい事があるらしく、兵士が重い口をゆっくりと開いた。
「やっぱり、軍隊には戻って来てくれないんですか?」
「あぁ……俺はこの店の店長を辞める気はない。」
兵士は少し肩を落とした。まずい状況である事はよく分かるが、それでも俺はここから離れたくはない。
いや、もう戦場に行きたくはないのだ。
俺の意思が変わらぬ事を察した様子で、兵士はスゴスゴとその場を去っていった。
「ガウ……。」
ドラが心配そうに声を出した。
俺は安心させるようにドラの頭を撫でた。
「店長が戦場に行っちゃうかと思った……。」
力が抜けた様に助手がベットに倒れ込んだ。
どうやら俺は二人に相当心配を掛けてしまっていたらしい。
しかしだ……。
「俺は戦場に行くつもりはない。安心しろ。」
これは紛れもない事実だ。今更あの場所に戻る気はない……。
ーーー
俺は元魔獣隊隊長だ。
魔獣達を統率し、魔術を駆使して、あらゆる戦争に勝ってきた。
しかし、こちらに敵対する魔獣との戦争をしていた時に、事件が起こった。
俺はその戦争の際には魔獣がこちらに来るので仕方ない。これは防衛戦なのだと、自分に言い聞かせ、戦争をしていた。
しかし、そうでは無いのだと知った。
「将軍殿、これはいったいどういう事ですか……。」
将軍は俺の問いには応えず、眉を寄せ、険しい表情で頭を下げた。
「……君の部下には、悪い事をしたと思っている。」
「俺はそんな事を聞きたいのではありません! 何故戦争を起こさせたのですか!?」
俺が将軍に提示した資料には、魔獣の居住区について書かれてあった。それを見る限り、何故魔獣がこちらに襲ってくるのか、その理由はは明らかだった。
俺達人間が彼等の住む場所を侵略してしまっている。だからこそ、魔獣も抵抗して来ているのだ。
それは、俺が考えていた状況と、まるで逆だったのだ。
「人類の為だ……。」
自分の行いに悔いる様に唇を噛み締めながら、将軍は重い口を開いた。
「人類の為とは……?」
「人間は圧倒的に増え過ぎてしまった……。住む土地がまるで足りていない、このままでは大変な事になってしまう……。」
それは確かに問題になっていた事だ。人間が住める場所はもう無い、このままでは家の無い孤児が溢れてしまう事態になってしまってもおかしくは無い。
ただそれを解決する為に、関係のない魔獣を巻き込んでもいいと言うのか……。
「……もっと他に解決する方法があるはずです……。」
「そんな物は無い……だからこそ、我々は非道だと分かっていても、こんな手段を取らざるを得ないのだ。」
「それは問題の先延ばしでしょう! いずれ奪う土地も無くなってしまいますよ!」
その言葉に、将軍はただただ押し黙った。
やがて、全てを諦めているかの様な、少し達観している表情で、呟いた。
「悪いな隊長殿……私は自分が死んだ先の事を考えれる程、高尚な人間ではないのだ……。」
「そう、ですか……。」
私は、もう将軍……いやこの軍隊自体に説得の余地が無い事が分かってしまった。
しかし、人間がそういう道を選ぶのを止める事も出来ない。そんな事が出来るだけの力は持ち合わせていない……。
「本日限り……ここを抜けさせて頂きます。」
私に出来るのは、精々そんな政策に参加しない事ぐらいだった。
この事は自分の部下にも話した。そして返ってきたのは猛烈な批判だった。
「隊長! 聞いてた話と違いますよ……。守る為だって聞いたから、同じ種族の者と戦ったのに……!」
仕方ない事ではある。結果的に見れば俺は彼等を騙した事になるのだから。
「すまない……せめてお前達の住む場所だけは、俺が責任を持って確保する……。許してくれとは言わん、だが、人間を攻める事だけはしないでくれ……。」
そうすれば、全力で報復されてしまうだろう。
共に戦っていた仲間であろうが関係ない。
しかし、魔獣達はその願いには返事をせず、背を向けた。
「……すみません、本日にて、魔獣隊を抜けさせて頂きます。」
そう言って、俺の部下は全員その場を去った。
その後、奴等は魔獣を守る為、戦争に参加し、その半数以上が戦死してしまった。
その事を知ったのは、それから1年後の事だった。
ーーー
俺は失意のままに、どことも付かぬ場所を歩いていた。
そんな中、1人の魔獣の女の子を見つけた。猫の様な耳が生えており、赤い髪をした小さい女の子だった。
「っ……!」
俺はその少女の様子に戦慄した。
3〜4歳程の歳に見えるその少女はガリガリに痩せ細ってしまっていたのだ。
「おい! 無事か!?」
今にも倒れてしまいそうなその体を俺は抱き止めた。
「……ご飯……食べたい。」
少女はそんな事を呟きながら、俺の腕の中で立つ力を失くした。
「すまない……。すまない!」
……俺はその少女を引き取る事にした。
ーーー
あれから約10年の月日が流れ、今や少女には、痩せ細っていたあの頃の姿は見る影もない。
「ん?どうしたの、店長。」
「いや、何でもないさ。」
俺はその事に安心し、のんびりと少女とドラゴンを見ていた。
「ガウガウッ!」
「よぉし、それじゃぁドラ! おまわり!」
今日も2人はそう言って、元気に遊んでいる。
ーーー
「ガウガウッ!」
ドラと少女が仲良くじゃんけんをして少女が負け続けている。
そんないつもと変わらない風景を眺めていた時、突然店の扉が開いた。
「おう、いらっしゃい!」
今度は誰だ、と思って見てみると、そこには懐かしい姿があった。
青い毛皮を纏った虎のような魔獣。
それは間違いなく、元魔獣隊隊員であり、俺の部下だった。
しかしその魔獣の状態はそれどころではなかった。
「だ、大丈夫!?」
その体には全身から血が溢れていた。助手が心配そうに駆け寄ったその時、一瞬で奴は助手の後ろに回り込んだ。
「えぇっ!?」
助手が驚いている間に首元に爪が掻き立てられてしまった。
「……何のつもりだ?」
魔獣は苦渋を噛み潰した様な険しい表情をしながら、俺の問いに答えた。
「恥を承知で申し上げたい。隊長には、今すぐ戦場に向かってもらう……。」
「なんだと?」
まさかとは思うが、魔獣が人間に肩入れし始めたのだろうか……。
いや……違う。
「デビルマターが……魔獣の住む地まで襲い始めたのか?」
その問いに魔獣がコクリと頷いた。
「奴等は我々が住める唯一の場所にまで攻めてきた。今は何とか抑える事が出来ているが、それもいつまで保つか……。」
「そういう事か……。」
確かにそれはやばい事態だ。こいつがこうやって来たのも理解出来る。
とはいえ、このままだと少し話を聞きずらい……。
「悪いが助手を離してやってくれ。危害を与える気は、無いんだろう?」
そう言った瞬間、虎の表情が明らかに歪み眉間に皺が寄った。
「分かって、居たのか……。」
「あぁ……。」
こいつはどんな状況でも魔獣に危害を加えれる様な奴じゃない。それは、助手の様な獣人だって同じ事だ。
「っく……! 頼む、このままでは後1時間と保たない! 今すぐ魔獣を助けに行ってもらいたい!」
虎が助手から離れ、こちらに頭を下げてきた。
正直、予想以上にまずい状態になっている……。今すぐ行くか行かないかを決めないと駄目だ。
「くそっ……。」
俺は無意識の内に助手とドラの方に目を向けていた。
相当危険な戦になる事は間違いないだろう……。もしこれで死んでしまったらこの2人はどうなってしまうのか……。それだけが不安だった。
すると、突然ドラが『ガウ』と鳴いた。
胸を張って自信に満ちた様子で俺の事を見ていた。俺が意図を測りかねていると、助手が口を挟んできた。
「ドラも、一緒に戦うつもりなんだって!」
「なんだと!? そんなの駄目に決まっているだろう! あまりにも危険すぎるッ!」
「ガウッ!」
俺がそう言っても、ドラの意思は硬く、まるで変わる気がしなかった。
「店長、私も戦うよ。」
更に助手までこの戦いに参加すると言い出した。2人ともまるで意思が変わりそうにない。
「何故、そんなに戦おうとするんだ……。魔獣にそこまで接点は無いだろう!?」
どうしても、2人に戦わせたくはなかった。せめて、大した理由も無いのなら、俺だって止める事が出来る。
そうして、助手から返ってきた答えは、予想外の物だった。
「だって、店長凄く苦しそう……。」
「なんだと?」
「店長は少し前からずっと辛そうな顔してたんだよ……。だから、嫌でも分かるよ、店長なら魔獣を放っておかないって。」
それはそうかも知れない。俺は、気付かぬ間に相当顔が強張っていたみたいだ……。
「……だからね、せめて私達も行きたいなって、店長を一人で行かせたくないなって。そう思ったんだよ。」
「ガウッ!」
……そういう事か。
これを聞いた限り、俺にはもう止める事なんて出来ないな……。
「ありがとう、2人共、それならば防衛戦を手伝ってくれ。」
2人の事を腕で抱き寄せ、静かに呟いた。
俺の腕の中で、2人はゆっくりと頷いてくれた。
「あぁ、良かった……。どうやらもう心配は要らないみたいだ。」
それを見て、虎は安堵したように呟き、その場に崩れ落ちた。微かな寝息が聞こえる、どうやら相当疲れていたらしい。
「お前たちの事は……私が……。」
奴は少し笑みを浮かべながら、そんな寝言を溢していた……。
眠っている虎を見ながら、俺は必ず魔獣を助けると決意した。
「さてと、行くぞ!」
「うん!」
「ガウッ!」
俺は2匹の仲間と共に、戦場に向かった。
ーーー
「よし、着いたな……。」
俺は3つの魔術を極めている。
その内の1つが【ワープ】色んな場所に瞬時に移動出来る能力だ。
発動した後に2、3秒ほど動けないというデメリットはあるが、それでも充分な程に役に立つ魔術だ。
そして、この魔術は俺の近くにいる者も共にワープ出来る。今回の場合はドラと助手だ。
それを使って、瞬時に魔獣達が戦っている場所にたどり着く事が出来た。
「行くぞお前達! あれが、今回の標的だ!」
目の前の光景ははっきり言って圧巻だった。
魔獣達が必至に張っている結界にうぞうぞとした黒い物体が寄せ集まっている。
あれが『デビルマター』黒い不思議な物質に悪魔の魂が宿った禁忌の代物。
そんな奴が居るせいで、薄黄色の透明感がある結界が、悍ましい黒色の結界の様にも見える程だった。
少なくとも状況が深刻である事は間違いない。一刻も早く助けてやらねばデビルマターの餌食となってしまう……。
「ガァウッ!」
ドラは初っ端からやる気満々らしい。蹴散らしてやると言わんばかりに爪を光らせている。
「よぉし! 私もやるよ!」
助手が魔法を紡ぎ、デビルマターへと標準を定める。
2人共戦力としては充分な程の強さを有している。ならば俺は2人の支援に徹するとしよう。
俺の魔術の内の1つ、【同調法】……こちらの事を信頼してくれている者の情報を知り、その者に対して一瞬で自分の考えを送り出せる魔術。
そしてもう一つ……【監視者の瞳】という魔術、これは戦況を瞬時に把握出来る能力だ。
様々な視点から戦場を見る事が出来る為伏兵や相手の罠などを一気に看破できる。
【監視者の瞳】によって戦況を把握し、その都度【同調法】でそれに合わせた作戦を伝える。そして時に【ワープ】を活用し、敵陣を撹乱する。
これが魔獣隊隊長と呼ばれていた俺の基本戦術。結界の中の魔獣には信頼されていない為か作戦を伝えるというのは出来ない。
更には魔獣は群れとなると単独で複雑な動きは出来ない。
精々出来ても突進ぐらいだろう。
しかし、それならば突進すれば勝てる状況に持って行けば良い。
幸い俺には仲間も居るのだから、不可能ではないはずだ。
『ドラは敵陣に突っ込め! 助手はその支援を頼む!』
「ガウッ!」
「はい!」
同調法で伝えた指示に従い、2人が動いていく。
これにて、デビルマターと俺達による戦いの火蓋が切って落とされた。
ーーー
「ガァウッ!」
『ドラ!右の方にブレスを放て!』
俺は店長の言う通りに口から炎を放った。
すると、30匹は超えるレベルのデビルマターに対してブレスを喰らわす事が出来た。
「ガウガウッ!」
俺はとにかく暴れ回り、時にやってくる店長の言う事を聞く、それだけで随分と戦いに活躍出来た。
助手も雷の魔法で敵を倒してくれてるらしく、俺達だけでも充分デビルマターを倒せてる。
戦況は大きくは動かないが徐々に変わっていっている。
「ガァァァッッ!」
デビルマター達を一気に爪で薙ぎ払う。
気持ち悪いくらいに居たデビルマターも今はもう居ねえ。
これなら……勝てるッ!
と思った次の瞬間、予想外の事が起こっちまった。
何かが割れる音共に、デビルマターが一気に魔獣を襲い始めたのだ。
俺は魔獣達の生命線であった結界が壊れてしまった事が、分かった。
「ガァァァァッッ!」
やばいやばいやばいやばい!
次々にデビルマターに魔物が殺されちまってる。このままじゃ……全員死ぬ……。
「ガウガウッッ!」
俺は店長に聞くように叫んだ。こんな状況どうすれば良いのか俺には分からない。
でも、店長には分かるはず……そう思った。
でも、店長の方を見ると、店長は暗い顔をしていて、助手は泣き崩れていた。
『俺達の敗北だ……。間に合わなかった……。』
そんな……。
『ドラ! こっちに戻って来い、こうなれば逃げるしかないぞ!』
そんなの……嫌だ……。納得行かない!
「ガァァッ!」
俺は爪を振るった。デビルマター達を薙ぎ倒す為に、魔獣達を助ける為に。
『ドラァッ! よせ、勝てっこないッ!』
店長の静止は聞けなかった。俺は止まりたくなかった。
「ガァァァァァッッッ!」
咆哮と共にどんどんデビルマターを切り裂いていく。そうしていると……やがて、全てのデビルマターが、俺に矛先を向けた。
俺はブレスと爪でデビルマターに応戦した。でも、無数の敵意の前には、まるで無駄な様だった。
「グルァァァッッ!」
このままじゃ何も出来ずに負けてしまう。
でも、デビルマターを惹き付け、魔獣の群れと引き離す事ぐらいはやってやる……。
それぐらいはやってみせる。
そう意気込んでいた俺は、間もなくしてデビルマターの攻撃によって、意識が途絶えた。
ーーー
「ドラ……。」
気付いた時には、俺は助手に抱かれていた。
助手は涙目で俺の方を見ていた……。
「ガゥ……。」
ごめん……俺は、勝手に突っ込んだのに、結局何も出来なかった……。こんなふうにお前を悲しませる事しか出来なかった。
俺の精一杯の謝罪の気持ちは……言葉にはならなかった。
「グルゥ……」
……俺は弱い……。
少し役に立ったからって浮かれていた。あんだけ大量に居るデビルマターに、勝てるはずが無いってのに……。
しかし、助手から来た言葉は予想もしなかった物だった。
「ドラ……ありがとう……。おかげで、勝てるよっ!」
「ガウッ!?」
勝てる……?
疑問に思った瞬間、俺の肩に誰かが手を置いた。
「ドラ……良くやった。あとは俺に任せておけ。」
そう宣言した店長の周りには、ざっと見ただけでも100は超えていると分かる程、たくさんの魔獣が居た。
「さぁ、元魔獣隊隊長の力、見せてやろう。」
そこから、店長の大逆転劇が始まった。
ーーー
「行くぞデビルマター、家のドラを痛めつけてくれた礼はたっぷりさせてもらおう。」
ドラが奮闘してくれたおかげで、デビルマターが魔獣達から一時的に離れてくれた。
その隙に魔獣達をデビルマターから一気に引き離し、統率する事が出来た。
しかも、ドラがした事はそれだけではない。
「一時的に共闘するとしようか、人間よ……。」
今なら魔獣達に【同調法】を使う事が出来る。
デビルマターの襲撃により、ピリピリとした雰囲気になっていた魔獣達に信頼してもらうのは、容易い事ではない。
魔獣達も幾らそれが現状を打開するのに良いと言っても、手放しに信頼すると言うのは難しい。
しかし……何故それが出来たのか。
その理由はドラにある。
ドラの奮闘を見て、魔獣達も心を動かされた様だ。あの勇敢な魔獣を助ける為ならば、と一時的な信頼関係を築く事が出来た。
「では、行くぞ……進めぇいッ!」
「「「ガァァァァァッッッ!」」」
俺の一言により、一気に魔獣達が進軍する。デビルマターも応戦するが、そんな事は些細な問題ではない。戦況を完璧に把握し、そして対象がどこに居ようと臨機応変に作戦を伝えれる。
そんな状況になった今、もう負ける気はしない。
デビルマターも奮闘はしている。黒く丸い球体の様なその見た目から、腕を生やし、相手を攻撃する。
相手に攻撃されそうになれば、体を凹ませて攻撃を躱す。
確かに動きは変則的だ。臨機応変に形を変えるその生態は厄介ではある。
しかし……狙いを気づかせなければ問題ない。
『左に居るデビルマターを狙え! そいつはお前の攻撃には気付かない!』
俺は一匹の魔獣へと指令を送った。
魔獣が指令通りに爪を振るい、デビルマターを倒していく。
そう、幾らデビルマターが臨機応変に形を変えると言っても、意識外からの攻撃には対応出来ない。
それならば戦況を見極め、意図的に意識外からの攻撃を撃たせる事が出来る状態になれば、問題はない。
そしてもう1つ、助手の存在もこの戦闘では重要だ。
「よぉし、行くよっ!」
魔法によって放たれた雷がデビルマターを穿つ。
魔法もこの戦闘では重要だ。デビルマターも形を自由に変えれると言っても魔法攻撃にはあまり強くない。
だが、魔獣は結界魔法の展開によって魔力を殆ど使い果たしている。しかし助手は違う。助手の魔力はまだまだ残っているので雷はどんどん撃てる。
だからこそ、俺がワープで助手を移動させ、助手が移動先で雷を放つ。
それでデビルマターの撹乱は成功だ。後は魔獣達に指令を送って攻撃させるだけで戦況はどんどん有利になっていく。
「覚悟しろデビルマター……お前達ももう終わりの時だ。」
「くらえぇっ!」
助手の放った雷。それによって最後のデビルマターが消滅した。
ーーー
「カンパーイっ!」
助手の掛け声に反応し、皆がグラスをぶつける。デビルマターの祝勝会として、魔獣の皆を店に呼び、食事会をする事にしたのだ。
おかげで大忙しではあるが、中々この和やかな雰囲気は悪くない。
誰が1番デビルマターを倒したか、それなら誰が次に多くデビルマターを倒したか。皆元気にそんな事で競い合っている。
「ガウガウッ!」
俺が1番倒した、とでも言いたげな様子でドラが胸を張っている。それにすかさず助手が反応した。
「私だってずっと魔法を放ってたからねっ! ドラよりは倒せてる自信あるもんっ!」
ドラと助手の微笑ましい言い争いが始まった。どちらもドヤ顔で一歩も譲らなかったその時、魔獣が仲裁に行った。
「まぁまぁ、貴方方は協力して居たでしょう? ならばどうでしょう、ドラと助手のコンビを討伐数1位として認めてしまえば良いのですよ。」
その言葉に呆然としていたドラと助手だが、すぐにお互いに手を取り合った。
「よぉしっ! 私達がNo.1!」
「ガァウッ!」
どうやら納得が行く形で終わったみたいだ。
そう言って安心していた瞬間、爆弾発言が飛び出してしまった。
「そして、私がNo.2ですね。」
見事に仲裁をおこなったので頭が良いかと思いきや、あの魔獣は中々に馬鹿である。
当たり前のように猛反発を喰らい、俺が2番目だのという言葉が飛び交い始めた。
「全く……もう少し落ち着きを持って欲しいものだな。」
先程まで寝ていた虎の魔獣も目を覚ました様だ。少しため息をつきながら、争いの場を眺めている。
「いい事じゃないか、くだらない事で争えると言うのは、それだけ平和だと言うことだ。」
「……まだ、平和になってはいないさ。」
そう呟く虎は少し悲しそうな顔だった。
恐らく領地争いの事を言っているのだろう。人間と魔獣、2つの種族が増え続ける限りは領地争いは途絶えはしない。
良い落とし所を見つけなければ、また今回の様な事が起こるだけだ。
デビルマターはその名の通り暗黒物質に悪魔の力が関与し、生命体となった物質だ。
醜い争いが続き、憎悪などの感情が世に蔓延するにつれて悪魔の力は増幅し、そういう生命体が生まれてしまう。
「しかしまぁ、今は楽しむべきだな……。せっかくこれだけ楽しい雰囲気になっているのだから。」
虎の魔獣はそう言って、奴らの輪の中に入っていった。
「……領地争いか……。」
人間がデビルマターを退けたら、また起こる事は間違いないだろう。
しかし、もしそうなっても、俺は助手とドラの居場所だけは絶対に確保する。
あの2人を見捨てはしないと、決意した。
すると、その時……ドラが俺の側まで来ていた。
「ガウッ!」
「ん?なんだ、ご飯でも食べたいのか?」
「ガウガウッ!」
ドラは大きく頷いた。なるほど、食事は魔獣達が食い尽くしてしまったらしい。
ならば急いで作り出さないとな……。
「よし、何が良いんだ?」
俺はドラに向かってそう聞いた。ドラは元気いっぱいな声で返事をした。
「ガァウッ!」
ドラは両手の人差し指と親指を使って、必死に丸を作っていた。
【おしまい】