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第16話



 四阿に来ないかもしれないと少し不安だったのでほっとする。

「これはクゥにやるんじゃないのか? てっきり犬用の皿にでも盛り付けてくるのかと思った」

 嫌味を零しながら席につくクリス。

 エオノラは一瞬だけ嫌味を言われて面食らったが、これがわざとだと分かっているので、挑発には乗らなかった。

「いいえ、これは侯爵様の分です。心配いりませんのできちんと召し上がってくださいね。クゥには後で別のものを用意します」

 その言葉を聞いてクリスが片眉をぴくりと動かした。


「……おい、あいつに何を与える気だ?」

「冷蔵箱に肉の塊があったのでそれをあげようと思っています」

「やめろ。あいつは生は食わないし、肉ばかりも食わないぞ」

 意外な答えを聞いてエオノラは驚いた。

 クゥは飼い慣らされた狼なので野生とは少々食べるものが違っているようだ。

「随分グルメな狼なんですね。承知しました。それでは先に召し上がってください」

 手で料理を示せば、クリスがおずおずとナイフとフォークを握り締める。

 焼きたてのパイはナイフを通せば生地がサクサクと小気味よい音を鳴らし、中からはホワイトソースと細かく刻まれた野菜がとろりと溢れ出てきた。

 クリスはそこで手を止める。


(どうしたのかしら? 嫌いな野菜でも入ってたなら、次回から入れないように聞いておいた方が良いかもしれないわね)

 エオノラが口を開きかけると、クリスが言葉を詰まらせながらも尋ねてきた。

「その、なんだ。……エオノラ嬢は、食べないのか? パイは、嫌いか?」

「へっ? 私ですか?」

 持ってきた料理は一人分しかなかった。自分の分も含めるとなると量が多くなるので料理人に怪しまれてしまうからだ。

「持ってきたのは侯爵様の分だけですよ。私は朝食を済ませていま……」

 クリスの表情が曇っていくのを見てエオノラは最後の言葉を言い切る前に口を噤んだ。

 ふと、呪われてラヴァループス侯爵となった日から、彼は誰とも食事を共にしていないのではないかという考えが頭を過る。

 独りぼっちで食事を摂るクリスを想像した途端、エオノラは胸を衝かれた。


(きっと誰とも食事を共にすることができず、寂しかったんだわ……)

 クリスの境遇を気の毒に思っていると、彼がナイフとフォークを使って器用にパイの半分を小皿に置き、次にバケットサンドに手を伸ばす。

 バケットサンドは厚めに切られたチーズとハム、薄切りの玉ねぎとレタスがたっぷりと挟まっている。それも半分に切り分けると皿に載せて、エオノラの前に運んできた。

「食事を独り占めする趣味はない。……一緒に食べよう」

「えっ」

 エオノラは目を見開いてから小皿とクリスを交互に見た。

 まさか自分のために切り分けてくれていただなんて想像していなかった。

 クリスはフォークに刺したパイを口に運ぶ。

「……美味い、な」

 ほうっと息を吐くその表情はあまりにも幸せそうで。

 ハリーが言っていたように料理はできた方が良いらしい。今後は未熟ながらもクリスのために料理を振る舞うようにしよう。

「では、私もいただきます」

 エオノラは予備で持ってきていたナイフとフォークを手に取ると、クリスが分けてくれたパイを食べ始めた。




 食後のお茶を出した後、四阿で各自好きなことをした。クリスは難しそうな本を読み、エオノラは持ってきていた宝石箱を濡らした布巾でせっせと磨く。

 すると、こちらの様子が気になったらしいクリスが本から顔を上げて尋ねてきた。

「その箱はなんだ?」

 エオノラは作業する手を動かしながら答えた。

「宝石箱です。亡くなった祖母からの贈り物で……鍵が見つからなくて開きはしないんですけど」

 布巾を使って磨いていくと、鈍く光っていた金細工の埃が取れてピカピカになる。最後に箱全体を拭いていると、クリスが貸してくれというように手を前に出してきた。

 エオノラが素直に宝石箱を手渡すと、彼は丹念に宝石箱を観察し鍵穴の蓋をスライドさせて片目を瞑る。

「鍵がなくても開けられそうですか?」

「……これは鍵がなくて開けられないんじゃない。そもそも普通の鍵では駄目だな」

 クリスの返答にエオノラは疑問符を浮かべた。


 普通の鍵では駄目というのは真鍮製の鍵ではないということなのだろうか。

 クリスは説明を続けてくれた。

「これは数十年前に上流貴族の間で流行った宝石箱だ。鍵穴はただのフェイクで、最初に箱の中に入れた品が鍵になるというものだ。これを発明したのが魔術師で、彼は貧乏な農村出身者だった。そのせいなのか銭を数えることこそがこの世の至上と主張していたらしい。自分の銭を誰にも取られないために、魔術と錠を融合させた発明をしたと聞いたことがある」

 その話はエオノラも聞き覚えがあった。



 一昔前に活躍した魔術師で、数々の功績を残したはずなのにお金が大好き過ぎてついたあだ名が守銭奴魔術師だった。その名に相応しく魔術院で働く傍ら、自分の財産を守るために金庫や錠、鍵について徹底的に研究していたという。

 彼のお陰で王宮の武器庫や銀行の金庫は安全性が高まったのは確かだ。

 そしてもっと手軽なものを貴族たちから頼まれてできたのが宝石箱だった。


(最初に箱の中に入れた品が鍵になる。一体どれのことかしら……?)

 宝石箱が入っていた箱にあったのは祖母からの手紙と絵はがき、そしてハンカチだ。

(絵はがきは旅行のお土産だし、ハンカチはお祖母様が持って帰るのを忘れていたものだし……)

 これが鍵かと聞かれたら絶対に違う。


 あの箱以外にも、祖母の遺品は屋敷内にある。しかしそれは祖母が暮らしていた屋敷から引き上げてきたものなのでその中に入っているとは考えにくい。

 エオノラが腕を組んで懊悩していると、クリスが一つ提案をした。

「私の屋敷には大きな書架がある。そこに彼に関する本や宝石箱に関する本がないか調べてみよう」

「えっ、それは構いませんが……お身体に障るといけません。それにこれは私の問題なので」

 その申し出はとても嬉しいが不治の病を患っているクリスに無理をさせては大変だ。

「無理はしていない。……それより勘違いするな。これは、食事の対価を払っているだけだ。ハリーの頼みにしても、私自身借りばかり作るのは嫌だからな」

 クリスは腕を組んで椅子の背もたれに背中を付けるとそっぽを向く。


 嗚呼やっぱり、と彼を見ながらエオノラは思った。

(侯爵様はぶっきらぼうで冷たい態度を取る人だけど、心根は優しい。呪いのせいで傷つけられるのが怖くて、わざと他人を突き放すような言葉を選んでいる)

 だが、ずっと独りがいい人なんていない。


 家族も使用人すらいないこの寂しい屋敷で、身体から魂が解放されるその時まで一生を過ごす。呪われてしまったばかりに他人に化け物だと罵られ、顔を一目見れば死んでしまうと恐れられる。

 たとえそれがクリスの役割で運命なのだとしても、寄り添ってくれる誰かがいてくれるだけで、心のありようも随分変わってくるはずだ。

 石の声が自分にしか聞こえないのと同じように、孤独なクリスの話し相手になれるのは、きっと自分しかいない。


(私しか、彼の本当の姿を見える人間はいないから……)

 エオノラは拳を強く握り締めた。

 過酷な運命を背負う、彼の支えになろう。少しでもその重荷が軽く感じられるように。

 エオノラは目を伏せるとそう決心したのだった。



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