93.とある踊り子
先日多くの誤字報告ありがとうございます!漢字間違いやまだ残っている誤字もあって……本当にありがとうございました!
◆とある踊り子◆
私の名前はカヤと言います、十七歳です。
去年あのアカバネ商会から『プラチナエンジェルの後ろの踊り子募集』の文字を見た時に私は雷に打たれたかのようでした。
それもそのはず、私は幼い頃から踊るのが大好きで、今では王国内一番有名な『ナターシャ様』の『ライブ』が最も好きだからです。
そんな彼女と一緒に踊る。
それはもう想像するだけで身震いするモノでした。
条件には一年間修行し、数十名の中から数名しか選ばれない事。
選ばれた場合は必ずアカバネ商会の正従業員になる事。
修行期間中は給金は一切発生しない事。
但し、食事や寝床は商会が全額提供する。
そう書かれてました。
そこで一番凄いなとアカバネ商会はこんなに凄いかと思えたのは……参加するのに費用が掛からない事でした。
普通ならばこういう訓練では全て実費になります。
なので私のような底辺平民では参加出来ないのです。
ですが天下のアカバネ商会。
全額全て商会側で持つと言います。
それから私は必死に練習しました。
二回しか見てないですが、ナターシャ様の踊りを脳裏に焼き付け完璧に同じく踊れるようになるまで、ひたすら踊り続けました。
そして試験の日になりました。
そこには私を含み、数百……いえ、数千人は集まってました。
因みに、アカバネ商会がある大きな街全てで開催されるので、おそらく数万人に及ぶのでしょう。
その中から数十人のみ選ばれ、更に数人だけがあのお方と踊る事が許される。
覚悟して来ましたが、その人数の多さで気が滅入りました。
試験は審査員の前に十人が並び、踊るモノでした。
この課題を言われた時、私は直感しました。
十人が横列に並んでいる、その距離はナターシャ様の踊り中ぶつかってしまう、なので相手にぶつからないように冷静に距離と状況を把握して踊らないといけないと思えました。
そして私達の出番、音楽等は流れませんが審査員の前で自分が思う『テンツァー』としての踊りを見せなさいと言われました。
制限時間はたったの三分。
その三分間、私は自分が思うナターシャ様の踊りではなく、ナターシャ様を引き立てるために彼女に邪魔にならないようにすればいいか考えながら、必死に踊りました。
大振りを全てやめ、小ぶりではあるものの、緩急をつけ極力躍動感を感じさせるように。
三分がこれ程短いと思ったのはこの時が生まれて初めてでした。
そして審査員様から言われた言葉は…………。
「全員不合格です、お疲れさまでした」
――でした。
悔しかった。
勿論涙も流れました。
あんなに頑張って練習したのに……。
一人また一人、涙流しながら離れていきました。
私は……結局、受からなかったのですね、と実感してしまいました。
そんなとき、審査員様の顔が疲れたように見えました。
それもそうでしょう、数千人と言う人数を審査するのですから。
だから私は最後に離れる前に、思いっきり「ありがとうございました!!」と挨拶をしました。
また来年機会があれば再度挑戦します。
そして会場を後にしました。
そんな私の前に、ナターシャ様が現れました。
「貴方の踊り素敵でしたわ、他人を思いやる心も踊りも私には最高にかっこよかったです。どうですか、私の『テンツァー』になるかも知れない『オペル』に参加してくれますか?」
と彼女から直接言われました。
神様に今までこれ程までに感謝した日はありません。
それから夢のような生活が始まりました。
私達全員アカバネ商会の警備隊の方々に守られてシリコ村という村に来ました。
この村は高級品で有名な村です。
ですがここまで来るのはほぼ無理に近いのです。
そんなシリコ村には私達の専用練習場がありました。
とても大きく広いその建物はアカバネ商会が如何にこの企画に力を入れているか分かりました。
村に着いた私達が真っ先に練習場の食堂に集められました。
そこに並ばれたのは今まで見た事もない食事の数々。
今日は祝勝会を兼ねているとナターシャ様から言われ、祝って頂き今まで食べてきた物とは天と地ほどの差があるような美味しい食事を食べました。
これから毎日のようにこの食事が食べれると言われた時には耳を疑いました。
その日の夜、案内された私達の部屋は――なんと全員個室でした。
本来なら相部屋ですがここでは個室であり、中の寝具も恐らく王国内でも最高峰の寝具でした。
これがアカバネ商会の本気なんだと今日ますます歯を食いしばりました。
次の日から練習が始まりました。
今回集められたのは六十名。
この中から六名選ばれるそうです。
そして、途中で無理と思った人はそのまま帰すと言われました。
私だけでなく、ここにいる皆昨日の食事や寝具を覚えてしまいました。
勿論ナターシャ様の後ろで踊るという最高の名誉もあります。
それから私達六十人は、誰一人脱落する事なくお互いの足を引っ張り合う事もなくお互いがお互いを支え合い八か月の訓練に入りました。
それから八か月後、遂に私達『オペル』の六十人の中から『テンツァー』六名が決まる日が来ました。
そして一人、また一人名前が呼ばれ、六人目に「カヤ」と言われました。
その日の事は未だに覚えています。
受かった者も受からなかった者も皆泣いてました。私も。
受かった私達六人は取り分け他の人より上手かった訳ではありません。
ただ運が良かった、それだけだと私達が知っています。
だから受かった際、私達は喜びよりも受かってない全員の気持ちが痛いほど分かりました。
受からなかった皆も全員涙を流し、私達六名を祝福してくれました。
「お願いだから、受からなかった私達の分まで、精一杯ナターシャ様と踊って欲しい」
あるメンバーからの言葉が今でも耳を離れません。
そして私達六名はナターシャ様専属『テンツァー』になる事が出来ました。




