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まがり角のウェンディ  作者: gojo × 霜月透子
9/18

 太一と別れて家の前まで帰ってくると、玄関から両親が出てくるところだった。


「ただいま」

「あれ? 亜美、早くない?」

「どうした? なにかあったか?」

「ああ、うん、まあ。それより、二人とも出かけるところでしょ」

「スーパーに行こうと思っていたの。でも亜美の話を聞いてからにしようかしら」

「うん。そうだな」

「いいよ、いいよ。話なんてないって。買い物、行ってきて」

「でも、ねえ……」


 父に同意を求める母の背中を両手で押す。


「わたしは平気だから。ほら、行って、行って」


 両親は顔を見合わせて、じゃあ行ってくるか、と歩き出した。二人の背中を見送ってから、亜美は玄関のドアを閉めた。

 一人になると、太一の声が耳の奥によみがえった。




「亜美!」

「え? 太一……」

「どうした? 顔、赤いぞ」


 互いに歩み寄ったあとの第一声がそれだった。


「日焼けしたのかなあ。海に行ったから」

「お。潮干狩りか!」

「潮干狩りって、そんなすぐに思い浮かぶもの?」

「春の海といえば潮干狩りだろ。まだ泳げないんだし。あさり、いっぱい獲れた?」

「獲ってない。バケツ持って電車になんか乗れないもん」

「乗れるだろ。おれだったら見せびらかすけどな」


 二年ぶりに会ったというのに、いきなり潮干狩りの話題とはどういうことか。

 亜美は軽く睨んだ。


「そんなことより、まずは言うことがあるでしょ?」

「えっ」


 太一がわかりやすく動揺したのを見て、最後に交わした言葉に似ていることに気がついた。日焼けではない赤みがさす前に、急いで言葉を継ぐ。


「ほ、ほら、久しぶりだなあとか、元気だったかとか、そういう挨拶の言葉があるでしょってこと!」

「ああ、そうだな。久しぶりー」

「遅いよ」

「なんだよ、亜美が言えって言ったんだろ」


 笑いながら細めた目で太一を観察する。少しだけ背が伸びて少しだけ痩せた。二年見ないだけで変わるものなんだなあと思う。それとも見慣れない私服姿だからだろうか。

 太一の姿には会わなかった時間を感じるけれど、二人の間に漂う空気はそのままで、そのひずみが妙にくすぐったい。


「なんでこんなところにいるの? 実家に行くの?」

「うん、そう。ただ、いまはこっちに住んでるんだ。今年からキャンパスが変わってさ」

「こっちって、実家じゃなくて?」

「うん。実家でもよかったんだけど」


 そう言ってから、太一はここより少しだけ都心寄りの駅名をあげた。駅から遠いアパートに住んでいるのだという。


「せっかく戻ってきたのに一人暮らしなんだね」

「一度出ちゃうとなあ、なんか戻りにくいっていうか。三年生にもなると、時間に余裕もできてバイトも多く入れられるようになったしな。仕送りを受けずになんとかやっていきたいって思ってるとこ」

「へえ。太一って、意外としっかりしているんだね」

「意外ってのは余計だよ。まあ、近くなったから、これからはちょいちょい会えるな」


 そうか、わたしたち、これからちょいちょい会うのか、と思う。


「そうね。会ってあげてもいいよ」

「なんで偉そうなんだよ。本当はおれがいなくて寂しかったんじゃないのお?」


 太一が人の顔の前で人差し指をくるくる回す。


「もお。人のこと指ささないの」


 その人差し指を軽く握っておろす。おりきったところで引き抜かれるかと思った指はそのまま亜美の手の中にとどまっていた。亜美が顔をあげると、二人の視線が重なり、慌てて同時に手を離した。


 子供の声がした。公園に小学校低学年らしき少年たちが走り込んでくる。


「おれ、そろそろ行かなきゃ」

「うん。わたしも帰る」


 並んで歩き出す。公園を出たところで、道の向かいのコンビニからレジ袋を提げた人が出てきて川のほうに去っていった。


「プリンまん、売ってないだろうなあ」


 コンビニを横目に太一が呟く。


「もう暖かいからね。あれ、そんなに気に入ってたんだ?」

「気に入ってるというか、おれにとってのソウルフード的な感じ? この前の冬も、その前も、数えきれないほど食ったね」

「そんなに?」

「あれは癖になる味だな」

「ええ? そうかなあ?」


 見上げる角度は変わったけれど、中身はちっとも変っていなくて、心の深いところからふわふわのものが溢れてきた。くすぐったくて笑ってしまう。止まらなくなる。


「なあに笑ってんだよ」


 そういう太一も笑っている。

 大した会話もないままに、ただ笑いながら歩いて教会の前に着いた。


「またな」


「うん。またね」


 太一は、片手をあげていま来た道の先を行く。途中で一度だけ振り返り、また大きく手を振る。やがて人波に紛れ、その姿を見失ってようやく亜美は角を曲がった。

 教会の木立が風に揺れ、名前を知らない鳥たちが鳴く。飛び立つ鳥の姿を見送ると、亜美は軽やかに走り出した。




 机に向かっていてもまだ弾んでいる感じがする。とうに呼吸は整っているのに、全身がとくん、とくん、と脈打っているせいかもしれない。

 頬に張りついた髪を指先で払う。潮を含んだ髪は重く指に絡んだ。けれども一度払った髪は後ろに流れ、うつむいても再び頬にかかることはなかった。


 また比べてしまう。そんなこと、いけない。そんなこと、意味がない。わかっているのに、海と公園と大学のキャンパスと河原と……断片的な映像と音声が、無秩序に次々と浮かんでは消えていく。それに呼応して、亜美の心も膨らんだり萎んだりを繰り返す。


 ずっと開いていなかった書きかけのノートに手を伸ばす。最後のページを開けば物語が続きを待っている。

 書きたい。気持ちを持て余して書かずにいられない。

 溢れる思い、満たされない思いを織り込んで物語を紡げば、また歩き出せる。物語の人物に思いを託せば、また歩き出せる。


 亜美は、ペンを握る。


 手が、文章を書き始める――


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