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まがり角のウェンディ  作者: gojo × 霜月透子
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「太一っ!」


 次から次へと友達に声をかけられる太一がようやく一人になったのは、駐輪場に向かうときだった。亜美は走り寄り、一緒に自転車を取りに行くことにした。


「えっと……」


 お礼を言いたくて一人になるのを待っていたのに、いざ二人きりになると、妙に構えてしまい、ぎこちない笑みを浮かべることしかできない。自転車の鍵を外し、どちらからともなく歩き始める。チェーンがカラカラと小さな音を立てている。

 通学路を徒歩で帰れば、自転車の倍以上の時間がかかる。

 太一と一緒に帰ったことは何度もあるけれど、自転車を押して帰るのは初めてだ。そして、こんなに沈黙が長いのも。


「答辞、よかったよ」


 なんの前触れもなく太一が言った。

 二人は川沿いの遊歩道を歩いていた。河川敷には犬の散歩をする人がいるだけで、見慣れた風景がなんだか広くのっぺりとしている。


「太一が手伝ってくれたからだよ。ありがとう」


 ふざけて混ぜ返すかな、と思ったけれど、太一は、「ん」と答えただけだった。


 びゅうと強い横風が吹き、自転車がバランスを崩す。瞬間、横から手が伸びてきて、ハンドルの継ぎ目をがしりと支えた。関節と筋が浮かぶその手は、亜美のものとはまったく違っていた。太一はそのまま風が行き過ぎるまで支え続けてくれた。


「ありがとう。もう大丈夫」

「ん」


 さっきから、「ありがとう」と「ん」しか言っていないことに気づき、笑ってしまう。


「……ねえ。引っ越しの準備、進んでる?」

「いや、まだ全然。毎日親にせかされてる」

「せかされてるのにやらないんだ?」

「だってなあ、終わっちゃう気がしてさ」


 そしてまた二人して黙り込む。


 チェーンがカラカラ鳴り、かごの中の卒業証書がころころ揺れる。

 コンビニと公園を通り過ぎ、歩けば倍以上かかるはずの時間を、二人はほとんど無言のまま歩き切ろうとしていた。

 教会の門の前で足を止める。平日の昼間だからか、夕方にはいつも閉まっているアイアンゲートが開いていた。日の光のもとで見る木立は優しい色をしている。


 教会の鐘が鳴った。


 二人は揃って木立の先にある建物に目を向けた。石化した樹木みたいな色の壁はレンガだろうか。ツタが這い、木立とよく馴染んでいる。

 教会の鐘の音を聞くのは久しぶりだった。だからといって、改めて聞き入るほど珍しいわけでもない。それなのに、太一はじっと耳を傾けている。でも、耳に届いているのかはわからない。


 鐘が鳴り終わっても、太一は帰るそぶりを見せない。そのくせ、なにも話さないし、目を合わせようともしない。それは亜美も同じだった。

 その時間は息苦しいのに、このままでいたいと思わせる甘さがあった。


「あらあ、太一くん。今日、卒業式?」


 通りかかった主婦とおぼしき人が声をかけてきた。近所の人なのだろう。


「あ、はい、そうなんです」

「まあ、おめでとう」

「ありがとうございます」


 その女性はすぐに去った。

 いつもと変わらない太一の態度に、ほっとするような、寂しいような、曖昧な気分になる。太一は、自転車に手をかけ、立ち去るそぶりを見せた。いまにも、「じゃあな」と言い出しそうだ。


 ――過ぎ去った時間を戻せるわけではありません。


 そう言ったのはわたしではないか。いまは戻らない。二度と戻らない。またね、と手を振っても明日は来ない。わたしの明日に、太一はいない。

 ありったけの勇気を振り絞って声をかける。


「ねえ。太一」


「うん?」


 目が合う。亜美は瞬きを忘れた。


「なんかわたしに言うことない?」


 木立を風が渡る。さわさわと葉擦れの音がする。

 太一は視線を逸らした。


「べ、別に、ねえよ」


 亜美の目に涙が溢れる。

 顔を隠すように、亜美は急いで自転車にまたがった。


「そ。じゃ、元気でね」


「亜美も、元気で」


 二台の自転車はそれぞれの道を走っていった。




 帰宅するなり亜美は自室に駆け込んだ。リビングには父も母もいたけれど、そんな亜美を見てもなにも言ってこなかった。


 ノートを取り出す。

 いつだって書くことは亜美を落ち着かせる。気持ちの整理をするために小説を書くというのは、もしかしたら他人とは違う方法なのかもしれない。それでも亜美にとっては、持て余した気持ちを友達に話したり甘いものを食べて紛らわしたりするよりも、溢れる思いとは接点がなさそうな物語を紡ぐほうがずっと馴染んだ。文章を綴ることを生業としている父の影響なのだろう。生まれた瞬間に父の文章を書く習性を受け継いだのではないかとさえ思う。誰の目にも触れることのない小説が書かれたノートは増え続けていく。


 心をほどいて、物語を紡ぐ。ひとたびほどいた心は、次に紡がれたときには別の形をしている。亜美の心だったものは、形を失い、どこかの誰かの物語となる。織り直された形がほどく前と異なっていればいるほど満たされる。亜美にとって文章を綴る行為は、趣味というよりは深呼吸に近いのかもしれない。

 溢れる思い、満たされない思いを織り込んで物語を紡げば、また歩き出せる。物語の人物に思いを託せば、また歩き出せる。


 亜美は、ペンを握る。


 手が、文章を書き始める――


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