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まがり角のウェンディ  作者: gojo × 霜月透子
3/18

 両親は、「焦らせるつもりはないんだけど」と前置きをしては答辞の進み具合を尋ねてくる。そのたびに、「大丈夫」と答えるのだけど、信じているかどうか怪しいものだ。父はすぐに手伝いをしたがるし、母は二日と開けずにノートやペンを買ってくる。二人とも言葉とは裏腹に娘を焦らせる行動ばかりとる。


 でも、大丈夫という言葉に偽りはなかった。たしかに順調に進んでいるとは言い難いけれど、書ける自信ならある。違う。自信が出てきた。太一が自信を持たせてくれた。


 行事として記憶に残っていたにすぎなかったことも、太一と一緒にその場を巡ることで鮮やかに思い出された。まるで追体験をするかのように、その季節の風や気持ちまでもがよみがえってくるのはとても不思議な気分だった。


 学園祭で展示したモザイクアート。フォトモザイクにするため、クラス全員で手分けして学校中の写真を撮った。

 そのときのことを語りながら放課後の校舎を歩き回る。「ここの写真もあったよね」と言いながら指で作った窓を覗いてみたりする。


「写真を並べているのに窓を開けたやつがいてさ」

「あったあった。風で全部吹き飛んで、太一、めちゃくちゃ怒ってたよね」

「そりゃそうだろう。でも、あれだけ派手に台なしにされると笑えるんだよな。むしろ清々しいっていうか」

「清々しくなんかないよ。大変だったよ」


 高校での思い出は、太一との思い出だった。


「あっ。これ、学園祭のときのテープの跡じゃね? あーあ、もう剥がれねえや」


 亜美の目は太一の横顔を見ていた。

 太一の隣にはいつもわたしがいたのだろうか。太一の高校の思い出はわたしとの思い出だったりするのだろうか。そんなはずはない、そうに違いない、どちらともつかない思いが行き来する。


 急に太一の顔がこちらを向いた。とっさに顔をそむけたのに、わざわざ腰をかがめて下から覗き込んでくる。


「どう? 答辞、書けそう? どのくらい進んだ?」

「……ねえ。そういうの、プレッシャーかけているとか思わないの?」

「だって気になるじゃん。どんなこと書いてるのか教えてくれよ」

「もう、うるさいな……」

「うるさいの? おれ、うるさい?」


 うるさいというのは誉め言葉だっただろうか。そう思えるほど楽しそうに聞いてくる。


「ああ、もうっ。ちゃんと書いてるから! 当日まで誰にも見せません!」

「そっか。書けてるならよかった。じゃあ今日のところは帰るか」


 駐輪場へ向かう間も太一は大きな身振り手振りで話を続けた。そんな太一の横顔を眺めていると、喉の奥が締まって息が苦しくなった。


 相づちを打たない亜美を見て太一が口をつぐむ。


 そして、ほんの一瞬、見つめ合ってしまう。


 それから、同時に視線を逸らして、同時に笑う。


 ほんの一瞬のはずがとても長い時間に感じられた。


「公園に寄っていこうぜ」

「うん」


 互いになにもなかったかのように話しだす。


 いまのは、本当になにもなかったの?

 前を行く背中を見ただけでは答えなんてわからない。


 コンビニに寄ってから児童公園へと向かうことにした。公園は、川沿いの道を抜け、住宅街に入ってすぐのところにある。亜美も太一も通学路にしている場所だ。


 夕暮れ時の公園は寒々としていて、到着したとき、そこに人影はなかった。冷え切ったベンチに並んで腰を下ろすと、シロウだったかゴロウだったか、茶トラ柄の地域猫がこちらを気にしながら目の前を横切っていった。去年の春に生まれたばかりなのに、いまではすっかり大人の風格だ。


 亜美は、ホットミルクティーのペットボトルを両手で包み込んで暖をとった。指先が解凍されていく。

 太一は、カサカサとビニール袋の音をさせたかと思うと、中華まんを二つに割って紙に包まれた半分を差し出してきた。


「やるよ」

「ありがとう」


 ペットボトルを膝に置き、両手で中華まんを受け取る。中華まんからは、やけに甘い匂いがした。鼻を近づけてかいでみる。


「なにこれ?」

「プリンまん」

「え?」

「プリンまん」

「聞き直したんじゃないよ。なんでいつも変なのを買うの?」

「変じゃないだろ。売り物なんだし。あんまんみたいなもんじゃないの?」

「じゃないの?って、自分でも食べたことのないものをくれたの?」

「いらないなら返せ」

「……いただきます」


 噛みつくと、具のプリンが熱々だった。想像より遥かにおいしい。太一も、「意外とうまいな」と呟きながら食べている。やっぱり意外なんじゃん、と笑いがこみ上げる。


 太一はすぐにいろいろ試したがる。食べ物でも道でもなんでもだ。まずい食べ物にあたっても、選んだ道が遠回りでも、本人はちっとも悔やんでいないようだ。はずれだとわかったという収穫があったとでもとらえるのだろう。

 太一と出会ってから世界が広がったと感じられる。宇宙は広がり続けているというけれど、ちょうどそんな感じだ。


「ひと口ちょうだい」


 そう言って、太一が膝の上のペットボトルを奪っていった。


「プリンまんにミルクティーなんて合わなそうだな。いや、むしろ合いすぎて合わない」

「いらないなら返して」

「すみません。いただきます」


 カチッと音がして蓋が開けられる。


「亜美ちゃん、ちっとも口の甘さがなくならないよ」

「文句言うなら飲むな」

「ごめんごめん。もうひと口ちょうだい」


 太一は亜美の返事を待たずに口をつけた。そのペットボトルを、「はい」と返されても飲むに飲めない。まだひと口も飲んでいなかったのに、とこっそり口を尖らせる。

 太一が平気な顔をしているのが、ちょっとだけ悔しかった。自分だけが気にしていることも、自分で買った飲み物なのに口にできないことも。


「ごめんって。なに睨んで……あ」


 太一の視線が亜美の手元に向けられ、逸れた。


「悪い。すぐ代わりの飲み物を買ってくるよ。同じのでいい?」


 いまにもコンビニに向かって走り出しそうな太一の制服を摘まみ、視線を落として、ぶっきらぼうに言い放つ。


「い、いいよ。べつに喉乾いてないし……」


 太一はなにも言わない。

 返事のないことを不審に思い恐るおそる顔をあげると、太一は制服の裾を見ていた。慌てて手を離す。そして、もう一度呟く。


「……喉、乾いてないし」


 亜美はペットボトルを手の中で転がした。


 太一は、「うん」だか「ああ」だか言葉にならない声を出して、またベンチに腰をかけた。さっきより少しだけ遠い。二人の間に沈黙が訪れると、街の喧騒が耳に届いた。亜美は口の中に残った甘さを強く感じていた。


 沈黙を破ったのは太一だった。


「えっと、あのさ、ずっと言おうと思ってたんだけど……」


 言葉の途中から太一の声が落ち着いてきた。聞きなれない声色に呼吸を忘れる。


 そっと視線を向けると、大きな目が真っすぐこちらを向いていた。強く胸を叩かれたような衝撃があって、ますます息が苦しくなる。目を逸らしたいのに心と頭がばらばらになって制御不能に陥る。口の中の甘さが一層強くなった気がする。

 太一の喉仏が大きく上下した。

 亜美が鼓動の激しさにめまいを起こしそうになった頃、ようやく太一が言葉を続けた。


「卒業したらさ」


「……うん」


 胸がひとつ、とくん、と鳴った。


「引っ越すんだ」


「へ?」


 なんとも間抜けな声が出た。

 予想もしていなかった言葉だった。おかげで先ほどまでの緊張も解けた。


「一人暮らしを始める」

「え。でも、進学先って……」

「うん、まあ、通えない距離じゃないけど、乗り継ぎもあるし、結構時間がかかるんだよな。ちょっとした遠足くらい。毎日となると、ちょっと無理」

「そう……なんだ……」

「だけど、ほら、すごく遠いってわけでもないし、実家はこっちにあるわけだしさ」


 そんなことは慰めにもならない。遠くても近くても会えないのなら同じだ。

 うつむいていると、「ごめん」と優しい声が降ってきた。


「なんで謝るの?」


「だって……いや、なんでもない」


 普段とは打って変わって無口な太一をからかうこともできず、亜美は一旦強く閉じた唇をはっきりと動かした。


「わたし、答辞、書くよ」


「え? ああ、それはもう決まっていることだろ」


「うん。だから、ちゃんと書く」


 高校の思い出を。わたしの、思い出を。

 正面を向いたままの横顔に太一の視線を感じたが、気づかないふりをした。

 卒業生代表として、みんなの思い出をまとめなければならないと思っていた。でも違うんだ。わたしの思い出でいいんだ。わたしの気持ちでいいんだ。わたしは、全卒業生の一部なのだから。そんなたくさんの欠片が集まって全体になるのだから。


 亜美は冷えかけのペットボトルを握り締めた。


 つながっている。きっとわたしの思いはみんなとつながっている。

 太一にも、つながっている。


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