80.難解な男心
屋台から離れた私は、ついついチラチラとバルに視線を送ります。
それにイラついたバルが、睨んできました。
怖い顔。
「なんだよ」
「エルシー先輩って、軍人さんなんですか?」
気になることは、尋ねましょう。
「まあ……な」
微妙に顔をしかめて答えるバル。
そんなに聞かれたくないことですか?
何かに気がついたクラウス様が、思わず言葉をもらしました。
「もしかして、彼女が例の……」
「例の? クラウス様、なにか知ってるんですか?」
尋ねた私に、クラウス様はしまったと言わんばかりに、固まっています。
呆れたように、ため息をついたバル。
「別に隠しているわけじゃないから、いいですよ。
あのな。あの人は、俺が国軍にいた時の先輩。入隊した当初、俺の指導係だったんだよ」
指導係なら、大変お世話になった人ですね。
女性指導係。
ちょっといい響きですね。
パシーンと、鞭でも使うんでしょうか?
それ、調教。
「でしたら、やはり積もる話もあったのでは?」
「ちょっと気まずいんだよ」
「なにか、やらかしたんで……」
「なんで、そうなる!?」
最後まで言い終わる前に、眉間に皺を寄せたバルが被せるように叫びました。
だって、気まずいっていったから。
「前に俺が退役した理由を話したろ?」
「えっと、気に入らない上官を殴ったって」
そんな話をしていたなと、ぼんやりと思い出しました。
「そうだ。
彼女は、平民の出ながら、すげえ努力して国軍に入隊したんだ。件の上官は、そこそこ家柄がよくてな。平民だからって、先輩を見下してたんだよ」
平民の女性が、国軍に入隊する。とても狭き門です。どれほどの努力を積んだのか、考えるだけで尊敬に値します。
それを、見下すなんて、なに様でしょうか。
「最初は、嫌味程度だったから、先輩も気にしていなかったんだが……。だんだん、関係を強要するようなものに変わっていったんだよ」
「関係?」
「身体のな」
きっぱりと言い放ったバルの言葉。
私はその真意に気がつき、心がひやりとしました。
なんてことでしょう、最低。女の敵。
いえ、人類の敵です。
「おおごとになると、先輩の立場も悪くなる可能性があった。
彼女ものらりくらりと、かわしていたんだ。
でも、腐れ上官は、強引に関係を持とうとした。たまたまその場に居合わせた俺が、上官をボコボコに殴ったってわけだ」
人類、稀に見るクズです。
「バルは、何も悪くないのに、退役したの?」
「そこまでする必要があったのかってくらい、殴りまくった。
……私的な感情も含まれてたから、だな」
バルもその上官にイジメられてたんですか?
「厳しくも優しい。平民の女性ってだけで、差別されることもあったのに、それでも彼女は負けなかった。
ずっと尊敬していたけど……腐れ上官をボコボコにした時に、あの人に惚れてたんだって気がついた」
それは、愛。
尊く、切ないもの。
「バル」
「でもな。彼女には、愛する夫と息子がいるから、気持ちを伝えるつもりは微塵もない」
気持ちを伝える前に失恋。どこかで聞いたような……あ、クラウス様だ。
「先輩は、自分のせいで俺が退役したと思っているから、罪悪感があるんだろう。
だからこそ、余計、彼女の近くにいるのは躊躇われた。
責任を盾に、俺が上官と同じことしちまうかもしれないからな」
こやつは、何をほざいているのでしょうか。
おっと、口が悪くなりました。失礼。
「バルは、絶対にそんなことしません」
彼は、後悔など微塵も見えない、さっぱりとした笑みを浮かべます。
「ありがとうな、レティ」
愛する女性のために自分が犠牲となる。
……あれ、これクラウス様と一緒だ。
「クラウス様は、知ってたんですか?」
「あ……ああ」
なぜかダラダラと汗をかいているクラウス様。
暑いんですか? 何か冷たい飲み物でも。
すると、バルがケラケラと笑い始めました。
「俺がレティの護衛に就任して、しばらくした頃さ。クラウス様に聞かれたんだよ、お前はシアを追いかけてきたのかって」
「お、おい!!」
慌てたように、クラウス様が大声をあげますが、バルはニヤリと悪い顔をします。
「俺とお前が、駆け落ちでもするんじゃないかって、クラウス様は心配してたんだよ」
え、ヤダ。
「駆け落ち……? クラウス様、あり得ませんよ。なんでバルとそんなことをしなきゃいけないんですか」
そもそも、どこに行くんです?
私だって、相手を選びますよ。
「それは、こっちの台詞だ。
とにかく、その時この話をクラウス様にしたんだよ。まだ吹っ切れてなかったから、レティの出る幕はないと」
幕があっても出ません。そんな可能性、ほんの一欠片もありません。
不器用な2人はよく似てるんですね。
きっとクラウス様は、その話で自分とバルを重ねたんじゃないですかね?
愛する女性の幸せを願う。その共通点が、いつの間にかバルと仲良くなっていた理由なんですね。納得。
「そういえば、その上官はどうなったんです?」
「ん? ああ、僻地の関所に飛ばされたらしい。かなり厳しい規律があるところ」
「ふうん」
厳しい土地で性根を叩き直されるべきです。身分を笠に着て、横暴な振る舞いをしてはいけません。
そんな人たちがいることも知っていましたが、こんな身近で、被害に遭った人がいたのかと、驚きを隠せません。
今まで、身分差によって困ったなぁと思ったことは、あまりありませんでした。
でも、いざという時、身分は大きな力になる。
私は、きちんと自分の存在価値を考えて、結論を出さなければなりません。
大切な人たちが、苦しむことの無いように。