77.父の愛
アンジェリカ様をお姉様と呼ぶのに慣れる時がくるのでしょうか? 想像できない。
呼ばないと怒られてしまうのが、困ったような、くすぐったいような。
朝食会の後、クラウス様と一緒に戻ると、ソニオ父様が部屋の前で佇んでいました。
「お父様、どうなさったんです?」
声かけると、ソニオ父様は、懐かしく優しい笑顔を見せました。
「ああ、レティ。昨日は、ほとんど話せなかったから……いろいろと驚いただろうけど、大丈夫かい?」
心配して来てくれたんですね。
ソニオ父様に会えて嬉しかったのに、昨日はろくに話もせず、さがってしまいました。
「ごめんなさい。昨日は……」
「いいんだよ。混乱するのも、無理はない」
わが家で、一番強いのは、マリアンヌ母様。
でも実際に全てをうまく転がしているのは、父様です。
怒っている母様も、父様に宥められると、借りてきた猫のようになります。
その時、桃色の空気を醸し出すので、きょうだい揃って、自室に避難します。
夫婦の時間を邪魔しては駄目。
コウトナー家、絶対の掟です。
立ち話は疲れるので、父様とクラウス様を部屋の中にお招きしました。
朝食を済ませたばかりで、おなかがいっぱいでたぷんたぷん。
モニカには、父様とクラウス様の紅茶を頼みます。彼女は、サササと素早い動きで用意してくれました。
「お義父さん。昨夜は時間をいただき、ありがとうございました」
「いいえ。私もクラウスくんと話せて楽しかったよ」
おや? 二人は、いつの間に話をしたのでしょうか。首を傾げていると、クラウス様が説明をしてくれました。
「昨夜、シアが眠った後、お義父さんと少し話をしたんだ」
「レティが辺境伯領で、どんな生活をしているのかを教えてくれたんだよ」
なんと。変な話をしていませんよね?
いやいや、クラウス様がそんなことを言うはずがありません。信じているよ。
それより、ソニオ父様にきちんと挨拶をしに行ってくれたことに感謝をせねば。
「クラウス様、ありがとうございます。私、すぐに寝てしまったので……」
「いや。私も、もっとシアと過ごしたがったが、疲れていたのだから仕方がない」
嬉しそうに頬を緩めているクラウス様を見ると、昨日のことが思い出され、急激に顔が熱くなります。
ちゃんと面と向かって、素面で愛していると言われたのは、昨日が初めて。
猛烈に恥ずかしくて、燃えるように熱い自分の頬へ向かって、パタパタと手で風を送ります。
ソニオ父様の、まるで赤ん坊が立つ練習をしているのを見守るような温かい眼差し。
それに気がついて、パッと手を下ろしました。
「仲良くしているみたいで良かったよ」
「て、手紙にも書きましたが、クラウス様、義両親とも、とてもよくしてくださっています」
「うん、レティの元気な姿を見られて、本当に安心したよ。マリアンヌたちも喜ぶだろう」
家族の顔が頭に浮かび、郷愁を覚えます。
故郷に帰って、みんなに会いたい気持ちがムクムクと湧いてきました。
「お母様たちは、お元気ですか?」
「もちろん。みんな相変わらずだよ。オリアーヌなんか、王都に行くと話をしたら、自分も行くとうるさかったよ。
妊娠中なのに、なにを言ってるんだとマリアンヌが怒っていた」
オリアーヌは、私の姉様です。
結婚して、現在妊娠中。
無理しちゃ駄目。会いたいですけどね。
「兄姉様は、私の出自をご存じなんですか?」
「ん? そうだね……イニャスは、君を産んだのが叔母だということがわかるくらいの年齢だったから、気がついていると思う。父親はさすがに知らないだろうけどね。
オリアーヌとニコライは、何も知らないはずだ」
長男イニャス。長女オリアーヌ。次男ニコライ。そして、私。我らコウトナー4人きょうだいです。
イニャス兄様は、知っていたのか。
うーん、それにしては、かなり雑な扱いを受けていたような。
いや、あれこそが実の妹に対する接し方なんですよね。他の二人にも似たような態度でしたし。
きっとあれが通常なんだ。
腑に落ちない気持ちを他所にやって、きょうだいを思い出していると、ソニオ父様の表情が、ふと真剣なものに変わりました。
「レティ。マリアンヌも私も……最初は、陛下のことを許せなかった。
フェリシアは、相手の名前こそ出さなかったけれど、子の父親には、愛する妻がいると話していたんだ」
そうか。内情はどうあれ、フェリシア母様も、当時の王太子夫婦が仲良しだという噂ぐらいは耳にしていた。
身分を明らかにした陛下に対して、何を思ったんだろう。
「だけどね。陛下は君を護るために、護衛ができる使用人を雇ったり、家庭教師も立派な方々を派遣してくださった」
うちは使用人がそこそこ多い。
マリアンヌ母様曰く、うちは領民に慕われているから多いのよ。と答えていました。
へぇ、そっかぁと思った私がちょっとマヌケです。
家庭教師も厳しくも優しい、とても教え方が上手な先生方でした。
「レティが産まれて、陛下がコウトナー男爵領にいらっしゃった時、フェリシアの墓の前で、静かに涙を流しておられたよ。
ちょうど雨が降っていてね、傘もささずに、ずっとその場に留まっておられた。
ずぶ濡れの陛下は、止めなければ、ずっとそこにいただろう。
それに、産まれたばかりのレティを抱き上げた時の陛下の嬉しそうな顔は、今でも覚えているよ」
陛下に抱っこしてもらったことがあるのか。
小さすぎて、覚えているわけがない。
「王妃殿下には、大変申し訳ないと私もマリアンヌも思っていた。
だが、陛下がフェリシアとレティシアのことを大切に想ってくださっているのは、伝わってきたんだ」
ソニオ父様は、陛下と王妃殿下の事情をご存じないみたいです。
陛下は、王妃殿下との夫婦関係について、何も言及していません。
きっと、妻の……王妃としての誇りを守り抜くつもりなのでしょう。そこに関しては、見直してもいいかと思えます。
「陛下との関係を公表した方がいいとは、言えない。
ただね。同じ子を持つ親として、娘に受け入れられない悲しい気持ちは、少し同情できるんだ。
もちろん、すぐに父親として認識するのは無理だと思うけどね」
無理。
ですが、いろいろと話を聞いて、ちゃんとフェリシア母様や私のことを考えてくれていたのはわかりました。
そもそも、陛下に対して思うところがあるのかと聞かれれば、無いんです。
だって、今まで全く関わりのない人で、身分的にも距離的にも、ずーっと遠くで君臨していた人なんですもの。
家族と幸せに暮らしていた私には、実の両親はいまさらなのです。
一番心配だったのは、陛下のご家族にとって、私がどういう存在かです。
それは、皆様あまり気にしていないんですよね。
もっとこう……愛人の子め!! とか、下賎な娘め! とか。あらあら、庶子の分際で、何様のつもり? おーっほっほっ! とかあるのかと。
いや、なくて良かったんですけどね。
あったら、即刻、サラバ王都よ。です。
ああ、辺境で暮らしててよかったぁ。