76.優雅な朝食
優雅に紅茶を飲むアンジェリカ様は、やはり王女様。振る舞いが気品に満ち溢れています。
「いろいろ大変だったみたいね」
「えっと……はい」
大変だった。
本当に大変でしたよ。ここ数ヶ月、心休まる時間は、ほとんどありませんでした。
やけくそな気持ちになりながら、私はパンを一口食べます。ああ、ふんわりしてて、風味豊か。バターの味が口の中で広がり、とてもおいしい。
「昨日話を聞いて、驚いたわ。全く、お父様ったら何考えてるのかしらって。
どんな理由があっても不倫なんて駄目。
本当、最低。
しかも、身分を偽ってまで。
私なら、ちょん切ってやってたわ」
何を? とは怖くて聞けません。
しかし、アンジェリカ様、自分のことを空に届くぐらいの高い棚に上げています。
「って、思ったんだけど。私もクラウスに同じことをしたのよね」
アンジェリカ様は、自嘲ぎみに笑い肩を竦めました。
よかった気がついてくれて。
「お父様は、浮気について、全部自分が悪かったっておっしゃってたけれど……。
クラウスは、人前で愛を語るくらいあなたのことが好きみたいだし。
あなたと結婚して幸せになったのよね?
なら、むしろ私に感謝すべきだわ」
謎理論。
アンジェリカ様の婚約破棄があったからこそ、私はクラウス様と結婚して両想いになれました。
感謝するべき? いやぁ、なんかおかしい。
悩んでいると、アンジェリカ様の表情が、フッと憂いを帯びたものに変わりました。
「私ね……別に、蔑ろにされていたわけでも、冷たくされていたわけでもないけれど、家族の中で、自分が浮いていると思ってたの。
疎外感ってやつかしら……お母様が亡くなってからは、特にね」
陛下は、王妃様とアンジェリカ様への罪悪感。
殿下たちは、母親から一心に愛される彼女への複雑な気持ち。
それを感じていたのでしょう。
「陛下とテオフィル様のことしかわかりませんが、二人はアンジェリカ……お姉様のことを愛してらっしゃると思います。
そうでなければ、クラウス様との婚約破棄だって、お認めにならなかったはずです」
「そうね。私は守られていたんだと、今ならわかるわ。だから、今回それを知れて良かったと思うの。
無関係扱いは、嫌だもの」
早朝の清々しい風のような笑顔を見せるアンジェリカ様。
「でも一つ気になるのよね」
「なんですか?」
「お母様の初恋の人」
おっと。そこまでは、話さなかったんですね。そりゃそうか。
「お兄様に聞いても、知らないの一点張り。お父様に訊くのは、さすがに私でも……ねぇ?」
訊きにくいし、陛下も答えないでしょう。
「思い浮かんでいる人は、何人かいるのよ。一番の有力候補は、叔父様ね」
「叔父様?」
あれ、意外な人が出てきたぞ。
「ええ。お父様の弟よ」
王弟。ガンフォルト・カルデロン公爵閣下。
南のカルデロン領の領主です。
私の中には、情報があまりないです。
「両親と叔父様3人は、昔から仲がよかった幼馴染なのよ」
「そ、そうなんですか」
違うと言えない。
そもそも、王妃殿下の想い人が、お義父様だと知れば、アンジェリカ様だっていい気はしないはず。
王妃殿下が、アンジェリカ様とクラウス様の結婚を望んでいたのなら、母親が大好きな彼女は、婚約破棄を気に病むかもしれません。
いまさら後戻りできないことを、わざわざ伝える必要はないですよね。
「あ、えーっと。王妃様の秘めた想いは、秘密だからこそ、美しいのではないでしょうか?」
ええ、自分でもつまらない誤魔化し方だとわかってます。
でも他に思いつかないんです。
「それもそうね」
お、納得してくれた。
もうこの話は、終わりにしましょう。
ボロが出そうです。
他に何か話題がないか探していると、アンジェリカ様がパッとなにかを思い出したかのように、人差し指を立てました。
「ああ、そうそう。すっかり忘れてたんだけど、私、あなたのこと知ってたの」
知っていたとはこれいかに?
眉間にシワが寄ってしまいます。
「ずーっと昔の話。まだ私が子供の頃、お母様が言ったの。
当時、友人に弟が産まれたって聞いて、弟か妹が欲しいって、おねだりしたのよ。
そうしたら、あなたには妹がいるのよ。今は側にいないけれど、もし会えたら、仲良くしてあげなさいって」
息がつまるほど、ギュウッと胸に痛みを感じました。王妃殿下がそんなふうに言ってくださってたなんて……。
「その時は、意味がわからなかった。
他に欲しいものもたくさんあったし、忘れていたのよね。
昨日お兄様から話を聞いて、ああ、あの時の話は、あなたのことなのねって思ったわ」
「……王妃様は、とても素晴らしい方ですね」
「そう。お母様はとっても綺麗で、賢くて、気高い人だったの」
自慢の母親を褒められ、上機嫌でイチゴを頬張るアンジェリカ様。
私も王妃殿下のファンになりそう。
お会いしてみたかった。と思うのは、身勝手ですよね。
「あなたのことはそこそこ気に入っているし、お母様の願いだもの。あなたは、私の妹よ」
「アンジェリカ様」
「ちょっと、ちゃんとお姉様と呼びなさい」
「お、お姉様」
満ち足りたように口角を上げたアンジェリカ様。
拒否権はないんですね。
「ねえ、今度私とユリウスの婚約発表の舞踏会が開催されるの。あなたも出席しなさいな」
「婚約発表なさるんですね、おめでとうございます」
「ええ。本当はもっと盛大な舞踏会で発表したかったのよ。それなのに、2回目だから有力な貴族たちだけを呼んで、控えめにしろってお兄様が言うの。
酷いと思わない?
その代わり、ユリウスが結婚式は盛大にしようって言ってくれたから、納得してあげたの」
幸せいっぱいで、喜ばしい。
私の出席は、クラウス様の参加につながります。いいのでしょうか?
婚約破棄した元婚約者がその場に現れたら、問題があるのでは。
「あの、クラウス様と相談してから……」
「絶対に出席、これは、命令よ! あなたのドレスは、私が選んであげる。
ちょっと、顔が地味なのよね、あなた」
おう。これは、もう断れない感じです。
そもそもアンジェリカ様に比べれば、誰もが地味顔。
これでも地元では評判の可愛い娘さんだったのですよ。
それにしても、アンジェリカ様の美しさは、ますます磨きがかかっていますね。
「ユリウス王子のことを愛してらっしゃるんですね」
愛は女を美しくすると、マリアンヌ母様が言ってました。きっと、それです。
それが正しいのなら、私も、もっと美しくなるということか。楽しみですね。
「ええ。愛してるわ。
彼と会ったのは、ちょうどお母様が亡くなってしばらく経った頃。
その時、彼も大切な人を亡くしたばかりで、私の気持ちに寄り添ってくれたの。
駄目だと思っていても、好きになるのは止められなかった」
感情を制御するのは、至難なもの。
想いを告げるかどうかは別にして、自然に胸が高鳴ってしまう。
「クラウスの悪い噂が王都で流れ始めた時、馬鹿らしいと思ったわ。でも、お父様たちに婚約をどうするのかと聞かれて、私は喜んだ。
もしかしたら、ユリウスと結ばれる未来があるんじゃないかってね」
甘い誘惑に勝つのは、難しい。
愛する人と結ばれる未来が目の前にあって、飛びついてしまったのは、アンジェリカ様だけが悪いと思えません。
彼女は、とてもわがままで、自分が一番な人。信じられない言動や行動もたくさんありました。
だからといって、人を踏みにじったり、見下して、高笑いするような悪い人でもない。
美味しい朝食をご馳走してくださり、妹と認めてもくれました。
ん、単純とか言わないように。
「アンジェリカ!!」
「シア!!」
騒がしい声と共に現れたのは、テオフィル様とクラウス様。
私はモグモグと食べていたリンゴのかけらを飲み込みます。
「あら、どうしたのお兄様」
「どうしたのじゃない! お前がレティシアを連れ出したと報告がきて……なにごとかと!」
どうしてそんなに焦っているのでしょうか?
不思議に思っていると、不機嫌そうに腕を組んだアンジェリカ様が、テオフィル様を睨みつけます。
「お兄様、私がこの子に何かするとでも?」
「そういうわけじゃないが……。彼女は少し前まで命を狙われていたんだぞ。何かあったらと、心配するのは当然だろう」
そうでした。
思いがけないことが続きすぎて、命を狙われていた云々が昔のようで、遠い目になります。
「ただ、一緒に朝食をとっていただけよ。それに、私付きの親兵だっているのよ。
そうそう危険なんてないわ」
フンっと顔を背けるアンジェリカ様。
叱咤されたことにご立腹です。
そんな彼女に困ったテオフィル様は、ぽりぽりと頭を掻いています。
これは、私が仲裁するべきですよね。
「あの、一言残しておけばよかったですね。
気が利かず、申し訳ございません。アンジェリカ様には、美味しい朝食に誘っていただいて、楽しい時間を過ごせました」
「ちょっと! お姉様でしょ」
今そこ、重要!?
「あ、アンジェリカお姉様に……です」
言い直すと、彼女は満更でもないのか、ニヤニヤしています。
妹……欲しかったんですね。
私も末っ子ですから、気持ちはわかります。
そんな私たちのやり取りに、目を見開き、困惑した表情を浮かべるテオフィル様とクラウス様。
大丈夫です。
この流れは、私も全く想像していませんでした。