56.甘い
落ち込んだまま屋敷に戻ってきた私を、義両親や使用人達は温かく迎えてくれました。
ゆっくり休んだ方がいいというお言葉に甘えて、私は部屋に戻ります。
料理人が作ってくれた、ほっこり温まる甘いトウモロコシのスープが、身体にしみ渡りました。
その日、着替えや湯浴みなど、差し障りのある時間以外、ずっとクラウス様が側にいてくれました。
ベッドに入った私からも離れないのですが、どうしましょう? もちろん隣で寝転んでるとかではなく、椅子を横に持ってきて、そこに座っているだけですが。
「さっき部下から連絡がきた。バルはひどい怪我を負ったが、命に別条はないそうだ。しばらくは絶対安静だがな」
「そうですか……良かった」
安堵のため息が漏れ、自分の胸に手を当ててホッとしていると、悔しそうに顔をしかめたクラウス様が目に映ります。
「それから、追跡していた白い仮面をつけた者のことだが……申し訳ない、逃げられてしまった」
あの闇夜の森で、人間を一人追いかけるのは、大変でしょう。相手は、真っ黒な服を着てましたし、探し出すのは困難だとわかります。
「バル以外で、怪我人はいませんでしたか?」
「ああ、大丈夫だ。誰も怪我などしていない。バルの馬は、少し怪我をしていたが、心配ない」
それを聞けて安心しました。私が狙われたことで、他にも傷ついた人がいたら……。
思わず顔が強張ってしまった私に気がついたクラウス様。
「シア、君は何も悪くないからな」
思いやってくれているのは、重々承知していますが、今の私には酷く心苦しい言葉です。
「いいえ。私がもっと警戒していれば……」
偽御者に気がつかなかった。
チビ猫ちゃんに浮かれて、警戒を怠ったのです。
「それは違う。バルトロの力は理解している。
彼がいれば、シアが危険な目に遭うことはないと思っていた私が悪い。もっと慎重になるべきだった」
後悔と苦悩が混じった表情に、彼も辛いのだとわかり、胸がズキリと痛みます。
「シア、本当にすまない」
「クラウス様が、謝ることなど、なにもありません」
「いや、襲撃者の意図は、ハッキリとしていないが……。きっと、君は私と結婚せずに、男爵領にいれば、こんな目に遭わなかったんじゃないかと思う」
悲しい顔をした彼の言葉に動揺し、心臓が嫌な音を立てました。
そんなのおかしな話で、とても認められません。
「どんな理由があろうとも、一番悪いのは、犯人です。クラウス様には、なんの責任もありません。
それに、私個人が怨まれている可能性もあります。
地元の自警団に所属していた時、今日のようにならず者の命をこの手で奪ったこともあります。魔物退治だってしてきました。
全く怨みを買わない生活をしてきたのかと問われれば、否と答えるでしょう。
ですから、そんなことを言わないで下さい」
クラウス様に、そんな顔をして欲しくありません。
「君がやってきたことは、当然のことだ。もし恨むような者がいれば、それはただの逆恨み。……シアは、強いな。ありがとう」
「クラウス様こそ、私が罪悪感を持たないように気遣ってくれたんですよね。ありがとうございます」
「シアがそんなものを持つ必要はない。君の言う通り、一番悪いのは、犯人だ。
大丈夫。二度と、危ない目に合わせないから」
決意表明をするような熱い眼差しに、ドギマギしてしまいます。真面目な表情に、結構弱い私です。
「嬉しい……です。クラウス様は、優しいですね」
素直に思ったことを伝えると、彼は悪戯が成功した子供のようなやんちゃな笑顔になりました。
「こんな時だからこそ、優しくすれば、シアの私に対する点数が上がるだろう?」
まさかの発言に、私は目を丸くしますが、すぐにクスクスと笑ってしまいました。
「自分で言っちゃ、ダメじゃないですか」
「よかった……笑ってくれて」
私の頭を撫でるクラウス様の手は、ふんわりしたものでした。
「君は、笑顔が一番似合う。いつも笑っていてほしい」
おでこにチュッとキスを落としたクラウス様。一瞬なにが起こったのか分からず、私は石像のように固まってしまいました。
「明日は、一緒にバルのお見舞いに行こう。今日は、もうおやすみ」
なんとも色気のある流し目をしながら、彼は部屋を出て行きました。
取り残された私は、キスをされたおでこに、自然と手が伸びます。異常なほど、その場所が火照っています。
なんだったんですか、甘い、甘過ぎです。
ちょっと弱っているところを、あんなふうに対応されたら、コロッと好きになってしまいます。
そんなの困ります!
ん、あれ?……夫婦なんだから、困る必要はないし、好きになってもいいんでしたっけ。
熱も点数も上昇中ですクラウス様。