51.平和が一番
グラスに入ったワインを優雅に口に含んだテオフィル様は、さすが王族と思われる美しい所作でございます。
「意地を張っているだけだし、仲直りも時間の問題だと思うけどね」
なんだかんだ言っても、テオフィル様は、妹のことが大事なんですね。妹思いのいいお兄さんだと思い込んでおきます。
「それより、さっき話してた夫人が身を挺してクラウスを庇って命を救ったって話、教えてよ」
興味津々といった様子のテオフィル様に、クラウス様が湖で襲われた時の出来事を話し始めました。
それを眺めながら、彼が2杯目を飲み干したことに焦ります。
眠ってください。さあ、すぐに、さっさとです。
「ふうん。それで、クラウスは奥さんを愛しているんだね?」
テオフィル様の直接的な質問が飛び出しました。祈りも虚しく、クラウス様の手がぬうっと私に伸びてきます。
避ける間も無く腰に手を回され、引っ張られると膝の上に乗せられました。
「く、クラウス様!?」
人前で何をしているんですか!? 畏れ多くも王太子殿下の御前ですよ!!
非難の声はクラウス様に、聞こえていないようです。
「愛してる……ずっと一緒にいるんだ。誰にも渡さない……」
「うぎゅっ」
ギューッと力強く抱き締められます。苦しいです!
痛いから、少し力を抜いてくださーい!!
パチパチと手を叩きますが、びくともしません。
「驚いたな。クラウスがそこまで執着を見せるなんて」
クックックッと小刻みに笑うテオフィル様。笑ってないで助けてくださいよ!
「シアは、放っておくと……どこかに行ってしまいそう……不安なんだ……。ずっとそばにいて」
捨てないでと縋るような目をするクラウス様。そんなに不安ですか?
いきなりいなくなるとか、私の印象ってそんな感じなんですか?
どちらかといえば、私は安定志向です。平和が一番!
「シア……」
顔が近いィィ。落ち着いてくださいクラウス様!
慌てていると、手の力が弱まりました。そのまま彼は、ズルズルとソファに倒れていきます。それにつられて、私も倒れてしまいました。重い。
「相変わらず、酒に弱いね」
助け出してくれたのは、テオフィル様。なんとかクラウス様の下から這い出ると、寝転んでいる彼の隣にちょこんと座り直します。ふぅ、驚いた。
「失礼しました」
「やっぱりクラウスは、面白いなあ」
面白がらないでください。いや、私も面白がっていましたが、今のクラウス様は本当に危険なんです。
主に私にとって。
いつか、潰されちゃうんじゃないかと心配です。
「その様子だと、クラウスがお酒を飲んだら豹変するって知っているんだね?」
穏やかな笑みの中に、鋭い張り詰めたものを感じます。そんな目で見ないでください。
「そうですね」
「いつから?」
ギラリと光る瞳は、まるで、尋問されているようです。いえ、実際に尋問されているのかもしれません。
「結婚二日目からです」
「そんなに早く?ふうん」
なにかを疑われているのでしょうか? 意図が見えません。
「あの……クラウス様がお酒に酔って話すことといえば、アンジェリカ王女殿下との思い出話か、説教くらいです。
変なことは話していません。
婚約破棄の原因になった噂をクラウス様が自ら広めた事も、今日初めて知りました」
私はなにも知りませんと主張したところ、テオフィル様が首を傾げます。
「クラウスがアンジェリカを慕っているのを知って、嫌じゃなかったの?」
「いいえ。婚約者を一途に愛していたなら、それはいいことではないですか?
失恋して、突然結婚を強要され、すぐに妻を好きになれなど無理です。
もちろん、私もいきなり結婚した相手を好きになれと言われても無理ですから、気持ちはわかります」
「まあ、そうだね。けど、今は君を溺愛してるみたいだ」
「世の中、なにが起こるかわかりませんね」
ほんとそれです。クラウス様に愛を語られる日が来るとは、思いもよりませんでした。
愉快なものでも見るかのような視線を向けてくるテオフィル様は、ゆっくりとした動作で足を組み替えます。
足が長いと自慢したいのですね。
「クラウスのアンジェリカに対する気持ちは、婚約者として愛さなければと思い込んでいたんじゃないかな」
「え?」
「真面目でしょ、クラウスって」
それはそうかもしれませんが、思い込みで鼻水流しながら号泣して、王女殿下の話をしますかね? ちゃんと愛していたと思いますよ。
「僕の勝手な推測だから、気にしないで。それより、これからもクラウスをお願いね」
「はあ」
なぜテオフィル様にお願いされるのか、よくわからないですが、今のところ夫婦をやめる予定はありません。
ところで、もう部屋に戻っていいですかね?