40.謎の男
「会いたかったわクラウス!」
アンジェリカ王女殿下は、クラウス様に近づき、その手を取りました。ギュッと握りしめて、上目遣いで彼を見つめています。
「お久しぶりです、アンジェリカ王女殿下。……いったい、なぜここに?」
冷静さを取り戻したクラウス様は、やんわりと彼女の手から逃れました。手を離されたことに不服そうなアンジェリカ王女殿下は、気を取り直したのか、姿勢を正します。
「実は困ったことになったの。クラウスなら、助けてくれると思って来たのよ」
「困ったことでございますか?」
婚約破棄した相手を頼ってくるなんて、驚きです。
そんなアンジェリカ王女殿下ですが、もちろん助けてくれるわよねと自信満々な顔をしています。
「奪われた指輪を取り戻して欲しいの」
指輪とはこれまた。クラウス様も口が半開きで、ぽかんとしています。閉じて下さい。
「……クラウス様。とにかくここではなんですし、応接室に行かれては?」
王女殿下を玄関ホールで放置というわけにもいきませんからね。
クラウス様は、ハッとしたように私を見つめます。その目には、困惑と済まなそうな様子が見てとれます。
「そうだな。……アンジェリカ王女殿下、応接室にご案内いたします」
「そう?そうね。長旅で疲れたから、早く座りたいわ。喉が渇いたから飲み物もね。
できれば、話が終わったらゆっくり湯浴みをしたいわね。準備しておいて。それから、おいしい果実も。少しおなかに入れたいの。構わないわよね?」
有無も言わせぬわがままっぷりは、クラウス様に聞いていたとおりです。
「かしこまりました」
唖然としていた私たちの代わりに答えたのは、家令のセレスタンです。いつも影が薄い印象ですが、できる男です。
「よろしくね」
アンジェリカ王女殿下は、特に視線を向けることなくそう答えました。わがままを言い慣れているように見えます。
応接室に移動した後、クラウス様は私を彼女に紹介しました。
「妻のレティシアです」
「お初にお目にかかります」
お辞儀をすると、王女殿下は、品定めするかのような遠慮のない視線を向けてきます。
「ふうん。可愛らしい子じゃない。よかったわね、クラウス」
よかったなんて微塵にも思っていない感じがヒシヒシと伝わってきます。
ところで、可愛らしい子は、本音ですよね、そうですよね。ありがとうございます。
「ありがとうございます」
クラウス様がそう答えると、王女殿下はソファーにふわりと座りました。彼女の後ろには、護衛として大柄な男性が1人待機しています。それ以外の方々は部屋の前に陣取っていることでしょう。
私たちも彼女の向かいに座ります。なし崩しについてきてしまいましたが、良かったのでしょうか?
「それで、指輪を奪われたというのは?」
本題に入ろうとしたクラウス様でしたが、王女殿下はチラリと私に視線を向けてきました。
「席を外してちょうだい」
うーん、まあ想像はしていましたが。どうしましょうか?クラウス様を見ると、彼女をジッと見据えています。
「王女殿下、彼女の同席をお許しください。護衛がいるとはいえ、私は既婚者で殿下は未婚の女性です。
同じ部屋に2人でいることは、あまり好ましくない状況です」
王女殿下は、かなり不満そうですがわかったわと答えました。ひと安心ですね。
既婚未婚もありますが、元婚約者同士ですからね。下手なことをすれば、あっという間におかしな噂が広まってしまいます。気をつけなければです。
不機嫌そうな瞳が一転、まるで全ての不幸を背負っていると言わんばかりの儚い様子で、彼女はハンカチを目元に当てます。
「私は、騙されていたの。きっとあの男がクラウスの悪い噂を流したのよ。そうに違いないわ!」
舞台女優のように、王女殿下は大仰に手を振ります。
「彼は私を手に入れるために、クラウスの悪い噂を、私に吹き込んだの。最初は信じていなかったわ。でも、何度も何度も聞かされて……どんどん不安になってしまったの。
彼だけでなく、他の人からも同じように言われて……あなたと話さないまま、婚約破棄をしてしまった」
全く指輪の話が出てきません。一応謝罪のつもりでしょうか?
「だから、私は被害者よ。一切悪くないわ」
反省していると見せかけて、自分の非を完全否定。なかなかいい性格をしているようです。
「しかも、あの男は愚かにも私から指輪を奪ったの。あれは、母から受け継いだ大切なもの。お母様の形見なのに……!」
うーん、よくわかりませんね。つまり、ある男がクラウス様の悪い噂を流して、王女殿下に近づき、彼女を手に入れようとしたが、結局指輪だけ奪っていったということでしょうか?
王女殿下を手に入れる話はどこいったんですか?
いまいち状況がつかめません。