37.ご乱心です。
バルが護衛に就任してから、はや一週間が経ちました。彼は、着々と他の使用人さんたちと仲良くなっているようです。
そういえば、最近クラウス様が部屋に来ていません。
説教を聞かなくて済むからいいやーと思っていましたが、全く来なくなると、ちょっと淋しいです。
お忙しいんでしょうか?
湯浴みを済ませてゆっくりとしていた夜。久しぶりに、扉がノックされました。
「レティシア……」
深刻そうな表情をしたクラウス様がやってきました。一体何があったのでしょうか?
「クラウス様、お疲れのようですね。大丈夫ですか?」
「……ああ」
「とにかくどうぞ」
部屋に迎え入れると、クラウス様はいつものようにソファーに座りました。
「酒を……くれるか?」
自分から酒を所望するのは珍しいです。私はお酒の準備をして、クラウス様にグラスを渡しました。
1杯目を一気に飲み干しました。今日はペースが速いですね。
「どうかしましたか?」
目をキョロキョロさせて、様子がおかしいので、少し心配になります。
「……君は、あの護衛に……」
「バルのことですか?」
クラウス様は、ゴクリと唾を飲み込みました。
やはり、バルとは気が合わないのでしょうか?
まともに話しているところを見たことがないんですよね。
「愛称で、呼ばれているんだな……」
「え?あ、はい。そうですね」
バルのみならず、あそこの兄弟はみんな、私のことをレティと呼びます。幼馴染ですからね。
クラウス様は、落ち着かないのか、空のグラスをクルクルと動かしています。
「私も……その、シアと呼んでいいだろうか?」
「シアですか?構いませんよ。初めて呼ばれます、その愛称。家族や知り合いは、みんなレティなので」
「そ、そうか」
安心したように、頬を緩ませています。
レティシア呼びは長いから、面倒だったんですかね?
特にこだわりはないので、好きに呼んで下さい。
「もう1杯飲みますか?」
「あ、ああ」
お酒をつぐと、またしても一気に飲み干しました。そんなに喉が渇いていたのですね。
今日は、あまり話すことなく、すぐに眠ってしまいそうです。
しばらく黙っていたクラウス様は、グラスをテーブルの上にダンっと置き、突然立ち上がって、近づいてきました。
私の隣に腰をかけると、グイッと肩を掴まれます。
また、説教が始まるのかと身構えていると、思いがけない言葉が飛び出しました。
「シア……君は、あの護衛が……好きなのか?」
「バルのことですか?それは、幼馴染ですから、好きですよ」
「……そ、それは、男として……か?」
「はい?」
突然なにを言い出すのかと思えば、私がバルを男として好き?あり得ないです。冗談じゃありません。
「違います」
「本当……か?」
「はい」
もしかして、妻が別の男に恋をしているなんて、外聞が悪いからと気にしていたのでしょうか?
そんな心配、不要です。
浮気されたら浮気する気概はありますけど、だからって、バルはないです。
私の趣味は、もっといいはずです。
「そうか……」
クラウス様は、ほんのり赤らめた顔を近づけてくると、私の頬を優しく撫でました。かすかにラズベリーのような甘い香りが鼻をかすめます。
お酒の匂いでしょうが……それより、近いし、くすぐったいです。
「シア……肌がなめらかだな」
「へ?」
「髪もサラサラできれいだ……触ってみたいと思っていた……」
クラウス様は、髪を一房束ねて、なぜか口づけを落としました。
な、何をしているのですか、クラウス様がご乱心です!!
「君の白い肌に……跡をつけたい……」
彼は、ゆっくりと私の首筋に手を滑らせます。
肉食獣が獲物を狙っているような目で見られ、背中がゾクゾクっとします。
「……真っ赤なバラのような赤い印をつけたら……君は、私の……」
ひ、ひいいい!! 食べられるー!!
「シア……」
「ぎゃー!」
色気もへったくれもない叫び声をあげ、クラウス様を突き飛ばします。彼は、その勢いで、ソファーから落ちて仰向けに倒れました。
「ひ、ひぇ」
後退りし身体を丸くしていると、ゆっくりとした呼吸音が聞こえてきます。よく見ると、クラウス様は、目をつむって、グッスリと夢の世界に入っています。
「い、今のは……」
一体何だったのでしょうか?
男性の事情で、ちょっとそんな気になってしまったのですか?
それとも、本当はこういう人なんですか?
浮気しまくりの噂は、多少事実が混じっていたのですか?
エロスな人ですか?
混乱の極みです。