少女と廃墟と魔法と猫
見渡す限りの廃墟。
このあたりに建ち並んでいた天を衝くようなビルの群れはほとんどが倒壊し、瓦礫の山となっている。
神の怒りに触れ砕かれたバベルの塔……
地上はそんな有様であっても、西の空には夕日が真っ赤に燃え、我々を灼こうとしている。
真昼は日陰で休んでいたが、この時間でも全身黒装束の俺にまだ暑さは厳しい。
そんな中を一人の少女が雑な三つ編みを揺らし、重そうなバックパックを背負って汗だくになりながら進んでいく。
年は14……だったか。
ノースリーブのシャツにショートパンツという薄着の上に防弾ベストや肘当て・膝当てのプロテクター。額にはゴーグルを付けている。
よく考えるとアンバランスなのだがもう見慣れてしまった。
我々廃墟探索者にとってはアンバランスな服装などよくあることだ。
「クロせんぱーい……待ってくださいよぉ……」
情けない声を出す少女ーーウタは息を切らしながら先行している俺に泣き言を言ってくる。
「早く歩かんと今日中に着かんぞ」
「……はーい……ちょっとくらい持ってくれたって……ブツブツ……」
無茶を言う。
こちらは先行して周囲を警戒する仕事をしているのだ。代われるものなら代わってほしいものだ。
とーー
「ウタ、荷物降ろせ。戦闘準備」
足元から微かな振動を感じる。
このあたりにはアイツがいる。たくさんの人間がその餌食になっている、巨大で醜悪な怪物。
「げ。ワームですか? キモいんですよね、アレ」
ウタはバックパックを降ろし、魔導銃剣を構えた。
1メートルほどの片刃の剣だ。
峰側には魔導弾発射機構があり、魔導力場の刀身を伸ばすこともできる。
ウタはこの難しい武器を平然と使いこなす非凡なセンスがある。
「出るぞ、2時方向! 反対側の瓦礫の上で待ってろ!」
前方やや右の瓦礫の山が弾け飛び、巨大なミミズーーラブル・ワームが顔を出した。頭部は丸ごと口になっており、細かく鋭い牙が二重に並んでいる。
ワームはのたうつように暴れた後、こちらを飲み込もうと突進してくる。
「おっと危ない。こっちこっち!」
俺は地面に印をつけ、ワームを誘導しながら逃げる。
引きつけて、回避。慣れたものだ。
5箇所ほどに印を付け、その中央に誘き寄せる。さあ、ここだ。
ワームが中央に来ると同時に魔法を発動し、不可視の力場に捉える。印を繋ぐように飛び出した魔法のロープがワームを絞り上げ、口を大きく開かせた。
「えーい、食らえー!」
ウタが飛び上がり、ワームの口の中に増幅した魔導弾を撃ち込む。
体内で魔導弾が炸裂し、ワームの体が上下に千切れ飛んだ。
「よし、一発で仕留めたな。上出来だ」
「えへへ、わたしも強くなってるんですよ」
ウタは鼻を擦って調子に乗っている。
油断は禁物なのだが……あまり口うるさくしてもダメか。ウタも年頃の女の子だからな。ウザがられても面倒だ。
先輩も大変である。
その時、背後に気配を感じた。
俺とウタが同時に振り返ると、そこには一人の女性が瓦礫の影から顔を出していた。
「すごい……! ラブル・ワームを一撃で倒すなんて……! こんな女の子が……!」
中年の女性は驚いた顔でウタを見ている。
ウタは照れ臭そうに頭をポリポリと掻いた。
「可愛い女の子なんて……いや、先輩が動きを止めてくれたおかげですし……!」
女性はキョトンとした顔になった。
うん、可愛いとは誰も言ってないな。
「あ、ごめんなさい。私はミコトと言います。近くの村の者です」
「わたしはウタ、こちらはクロせんぱいです! 廃墟探索者チーム『木陰の猫』です!」
元気に自己紹介するウタと無言で頭を下げた俺を見て、ミコトさんは大きく頷いた。
「廃墟探索者……! あんなに強いのね……。あのワームは私達の村の人を何人も殺した、憎い仇でした。……あなたは私達の英雄です。もう日が落ちますし、良かったら村に来てくれませんか? 歓迎します」
「やった! 休ませてもらいましょう! ね!? せんぱい!」
俺が西の空をチラリと見ると、確かにもう地平線に日が沈みかけているところだった。ワームの相手をしている間に時間を食ってしまった。
今日中に目的地に着きたかったのだが、仕方ないか。
嘆息し、同意する。
「……お言葉に甘えよう」
「……はい! ミコトさん、よろしくお願いします!」
20分ほど歩いて村に着いた時、あたりはすっかり暗くなっていた。
元々公園か何かだったのだろうか、瓦礫のないひらけた場所に10軒くらいのハンドメイド感溢れる小屋が建っており、周囲は簡単な柵に囲まれている。
ワームを倒した俺たちは村の人々に熱烈な歓迎を受けた。この時代では考えられないほどのご馳走を振舞われ、ウタは限界まで食いまくった。
「ふー、もう食べれない! 一生分食べましたー!」
俺たちにあてがわれた空き家で、ウタはパンパンの腹を抱えて満足げだ。
「食い過ぎだ。そんなんで襲われたらどうする気だ?」
「せんぱい、口うるさーい……」
ウタはほっぺたを膨らませてムクれている。
ああ、ついつい叱ってしまうな。今日は甘くしてやろうと思ったのだが。
「ああ、でも疲れたんでもうなんでもいいです……せんぱい、一緒に寝ましょ」
既に寝転がっていた俺の隣にバタンと倒れ、俺にしがみついて毛布を掛けると、すぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。
まったく、この歳になって未だに添い寝が恋しいのか。仕方ないヤツだ。
俺はそんなことを思いながらウタのだらしない寝顔を見つめていた。
夜中に毛布から抜け出し、近くの林まで用を足しに行った帰りだ。
複数人の男達が俺たちの寝ている空き家を囲んでいた。一人がランタンを持っている。
廃墟の世界だ。俺のように夜目が効くのでもなければ、月の出ない夜はまともに歩けないほど暗い。
そんな中でロクに明かりも持たずにこの人数が集まってるなど……後ろ暗いことをしようとしているのは間違いない。
俺は気配を殺して近くの物陰に潜み、様子を窺った。
「お……こいつ、薄汚れてるが、なかなか上玉じゃねえか」
「おい、静かにしろよ」
「なあに、薬が効いてんだろ、起きやしねえよ。なあ、ちょっとここで楽しんでいかねえか? この年頃の娘はレアだぜ」
「バカ、ボスに殺されてえのか? 黙って運べばいいんだよ」
……人攫いか。村の連中もグル、か。
俺は怒りのままに飛び出そうとして、思いとどまった。
俺の攻撃魔法じゃ、ウタを巻き込みかねない。
奇襲でなんとかできればいいが、人質に取られても厄介だ。
それに……まあ、それはいい。
……話の内容からすると、すぐに危害を加えられるわけではなさそうだ。ここは泳がせて、ボスごと一網打尽にするのが最善か……
男達が簀巻きにしたウタと荷物、武器を運び出すのを少し離れて尾行する。隠密行動する俺に気づく人間などいない。
男達は村から離れて廃墟の方へ移動し、比較的原型を留めているビルにウタを運び込んだ。
入り口には見張りがおり、明かりもついている。流石にこれ以上は近付けないか。
しかしアイツ、いまだにグッスリ寝てるな。一服盛られたとはいえ、だんだん腹が立ってきたぞ……
いやいや、俺も油断してたからな。今回は怒るまい。先輩としてカッコよく助けてやることにしよう。
ビルの周りを慎重に探る。1階の窓はすべて板で塞がれているが、2階の窓は開いているところがある。
俺は助走をつけ、壁を蹴って音もなく窓から滑り込む。
どうやら、オフィスのような部屋だ。古びた机が並んでいる。
さて、ウタはどこに運び込まれたかな……
耳を床につけて神経を集中させる。さきほどの男達の足音を探ると……いた。2階の奥だな。ガシャン、と音がした。牢屋にでも入れられたか……そうか、ここは警察署……留置所か。
チャリ、と音がした。鍵だろう。その持ち主の気配を追跡する。
階段を降りる音……1階中央。
カチャ、鍵をフックにでも引っ掛けたか。
その後ドアを開け、全員部屋に入っていった。
話し声が聞こえる。
「あの娘もボスのかよ! 俺たちにはおこぼれしかこねーじゃねえかよ……」
「おこぼれでもないよりマシだろ……少なくともここに居りゃ酒は飲めるんだからよ……」
酒盛りでも始めたか。チャンスだな。
俺は階段を降り、1階の中央へ向かう。
人の気配はさきほどの部屋と、入り口の見張りくらいか。簡単なもんだ。まあ俺みたいのの侵入なんか想定もしてないだろうが。
1階のカウンター内にフック付きのボードがあり、そこに留置所の鍵が引っ掛けられている。
そいつを取り、2階へ向かった。
留置所内には簀巻きを解かれたウタが転がっている。
……まだグースカ寝ている。平和なヤツだ。
そして他に一人……女性がいる。ウタよりはだいぶ年上か。おそらく成人しているだろう……長い髪はボサボサで目に力はなく、転がっているウタを見つめている。
「よっ……と」
やや苦労しつつドアの鍵を開けると、女性は顔を上げ、焦点の合わない目で俺の方を見る。
……ボーっと眺めていたが、だんだん意識がハッキリしてきたのか、パチパチと瞬きしてこちらを指差した。
「え? ……え?」
「大丈夫。助けに来た者だ。……おい、いい加減に起きろ」
ウタの頭を引っぱたく。
「うーん、せんぱい、もう食べれないにゃ……むにゃむにゃ」
さらに強めに引っぱたくと、跳ねるようにガバッと起きた。
周りをキョロキョロと見渡すと、バツの悪そうな顔でこちらを上目遣いに見る。
「うーん、せんぱい、またわたしやっちゃいました?」
「やっちゃったな。まあいい、逃げるぞ。その娘も連れてけ」
「あ、はい。えーと、わたしはウタです。助けに来ました!」
……オマエ、よくそういうこと言えるね。
「私は、マキ……え、逃げるの? 見つかったら、殺される……よ……?」
「大丈夫! わたしもせんぱいもとっても強いんです! 悪党なんてケチョンケチョンのギッタンバッコンですよ!」
ウタがない胸を張って豪語する。
「オマエ、偉そうな事言うのはいいけど、武器ないからね?」
ウタは俺の言葉を聞いて、自分の両手を見つめ、俺の方を見つめ、真面目な顔で言った。
「せんぱい、わたしの武器どこですか?」
「あ、ドア開けてやがる! どうやって出やがった!」
お喋りしていたせいで1階の連中が様子を見に来たらしい。4人。2人が武器を持っている。
「……コイツらに聞いてみるか」
奴らは廊下に固まってこちらに向かってくる。こちらに武器がないと思って油断しているな。
この位置関係なら、俺の力が十全に使える。
俺は深呼吸するように息を吸い込むと、裂帛の気合いとともに魔法を解き放った。
手加減なしの衝撃波は廊下を走り抜け、悪党どもを薙ぎ倒した。こういった狭い空間では衝撃波は凄まじい威力を発揮する。
「なん……!」
2人が白目をむいて昏倒し、残りの2人ももんどり打って倒れる。
その隙に接近したウタが魔力を込めた掌底を額に叩きつけ、1人を吹っ飛ばす。壁にしこたま頭を打ち付け、そいつも気絶した。
「な、なんなんだ、お前ら……!」
「悪党さん、わたしの武器どこですか?」
ウタの魔導銃剣は1階の酒盛りしてた部屋にあった。珍しい武器だから、酒の肴にしていたようだ。まあ、ウタのように訓練していないと使えないんだかな。
「せんぱい、どうします?」
銃剣を確認しながらウタが聞いてくるが、俺は首を振った。
「迷うまでもないようだぞ」
部屋を出ると、そこには悪党どもが囲いを作っていた。
その中央に2メートルはあろうという筋骨隆々の巨漢が立ち塞がり、時代錯誤な巨大な戦鎚を両手で弄んでいる。
残念ながら、モヒカンではないな。
「やってくれたな、クソガキ。廃墟探索者だってな。ナメやがって……」
「……ウタ、オマエ働け」
「はーい、名誉返上します! マキさん、下がって、伏せてて!」
それを言うなら汚名返上だろう……
顔面に青筋を浮かせるボスに対し、ウタは腰を落とし、銃剣を後ろに引いて構える。
マキという娘が祈るようなポーズで伏せる事を横目でチラリと確認した。
「ぶっ潰れよォォーーッ!」
その隙を狙うようにボスは戦鎚を振りかぶり、尋常でない膂力を持って振り下ろす。
ウタは冷静に攻撃を引きつけーー
「ウタチャン・スピン・バーストぉ!」
後ろに構えた魔導銃剣から魔力が噴出し、それを推進力にしつつ凄まじい勢いで回転、同時に力場の剣身を伸ばして悪党どもをまとめて薙ぎ払った。
「うおおおッ!?」
「うばぁぁあっ!」
悪党はそれぞれ壁にしこたま叩き付けられ、そのまま動かなくなった。
ボスは建物の外まで吹っ飛ばされていく。
「あいうぃん! びくとりぃ!」
ウタは外に向かってビシッとピースサインを突き出す。どこで覚えてくるんだ、そういうの。
「ウタ、まだだぞ! 油断するな!」
再びビルに入ってきたボスが鬼の様な形相で戦鎚を構えて突進してきた。
「ひー、怖い、来ないでえ」
あまり緊張感のない声で言いながら正面から魔導弾を放った。が、これは振り回された戦鎚に弾かれる。
「あら?」
「クソガキが、ガガガガァァアッ!」
ボスが吼えると、剥き出しの肌から獣毛が伸び、全身を覆った。ライカンスロープ、か。
鋭い牙の並んだ口を大きく開き、ウタの頭にかじりつくーー
「ツメが甘いぞ、ウタ」
「ガッ!? ガァァ!?」
獣人はウタの寸前で魔法の縄に絡まり、停止した。
すでに俺は周囲に印を付けていた。呪縛の魔法だ。
「吹っ飛ばしたくらいで油断するな」
俺は全身を赤い光で包むと、動けない獣人の胸目掛けて弾丸のように飛んだ。
獣人の胸に大穴が開き、断末魔の悲鳴をあげる間もなくーー絶命した。
油断によりピンチを招いたウタはショボくれている。
「うう、せんぱい、すみません」
「……まあ、よくやったよ。今後の課題だな。……さて、俺は後片付けしとく。オマエはマキちゃんを連れて先に村に戻れ」
「せんぱい……」
「これも仕事だ。さあ行け」
ウタを追い払った俺は気絶している残りの連中を終わらせてやった。
まだ純真なウタには見せられない作業だ。
司法機関のないこの世界で、一度悪事に手を染めた者は改心などしない。
少なくとも……善良な者を守るには、これしかないのだ。
ウタにやらせるべきだったかもしれない。
この世界では……甘さは、弱さだ。
「甘いよなあ……俺も」
星空を見上げ、溜め息を吐いた。
それでも……出来るだけ守ってやりたい。それが出来るうちは。
「……マキ! 無事……だったの……!」
「お母さん……!」
朝日を浴び、抱き合う二人。
俺が村に戻った時、感動の再会の真っ最中だった。
ウタは涙ぐんでその二人を見つめていた。
「ウタちゃん……! ごめん、ごめんなさい……! 私、は……!」
「ミコトさん、大丈夫ですよ、わたし、丈夫が取り柄ですから!」
泣きながら謝罪するミコトさんをウタは抱き締めて慰める。
奴らとグルだった村の者達も代わる代わる謝罪の言葉を口にした。
ミコトさんは、娘であるマキちゃんを人質に取られて奴らに従わされていたのだろう。
弱者はどこまでも食い物にされる。
奴らはもう居ないが、新たな敵に出会わないよう祈るしかない。
「ウタ、もう行くぞ」
「はい、せんぱい! それじゃあ、わたしはこれで!」
「ウタちゃん、クロちゃんも、いつでも村に寄ってください。今度こそちゃんと歓迎します……!」
涙ながらに引き止める村の人達を振り切り、俺たちは再び出発した。
目的があるのだ、長居はできない。
「良かったですよね、せんぱい!」
道すがら、ウタが嬉しそうに俺に声を掛けてきた。
人助けが大好きなのだ、この娘は。
「かなり時間を使ったな。まあ……オマエの経験にもなったし、ヨシとしようか」
「まったく、素直じゃないなあ、せんぱいは!」
「うるせえ」
からかってくるウタにムッとした俺は一声鳴くと地面を蹴り、ウタのバックパックに飛び乗った。
「重っ! せんぱい、重いですー!」
「やかましい、俺は眠いんだ。オマエと違って寝てないんだからな」
俺はバックパックから尻尾を垂らし、前脚に顔を埋めた。寝る態勢だ。
「えー、まじですか? いやいやいや、優しいせんぱいがまさかそんな……せんぱーい! せんぱぃ……」
猫は大体寝るものだ。
ウタの泣き言を子守唄に、俺は眠りに落ちていった。
オヤスミ。