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wO-LVes ~オオカミのいる日本~  作者: 海野遊路
第十一章 『利己的な遺伝子』
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4. 〝テセウスの船〟

「テセウスの船」(ギリシア神話)から

 部室に向かう途中、まだ人気のない校庭に出た。演台のある場所に立ち、植林を見渡す。

「校長先生がここ、教頭先生がこの辺に倒れてた。本当ならあのあたり」

 朝礼台から見て左の方を見渡す。

「でも、銃声はあっちの方から」

 そしてその方向へと歩き出す。林に近づくと、木陰から落ち葉を踏む音がした。

「え、校長先生?」

「あ、え、絵馬さん?」

 一陽が慌てた様子で両手を合わせる。

「ど、どうしたの、こんな早くから」

「朝の配達が終わったんです。私たちにとってはいつもと同じ登校時間です」

「あ、そ、そうだったわね。言われてみれば私たちもそうだったわ」

 そして深夜に笑いかける。

「年は取りたくないわね。ほんといやだ」

「そんな、校長先生お若いじゃないですか」

「女子高生に言われるとかえって凹むわ。それより、今朝はどうしたの?朝の散歩?」

「ええ、まあ」

 深夜は言葉を濁し、訊き返した。

「教頭先生、大丈夫なんですか?」

「あ、うん。今日から復帰なさるわ。大事を取って二日間入院されたけど、もう追分のご自宅に戻ってらっしゃるって昨日連絡があった」

 そして深夜に少し顔を近づける。

「ほんとはもっと休んでいらっしゃってもいいのに、ね」

 そう言って笑う。深夜もつられて笑った。

「本当はね、週末の十五周年記念式典は中止か、延期した方がいいんじゃないかと思ったんだけど、教頭先生が断固として予定通り進めるべきだとおっしゃって」

「そうなんですか」

「一応の被害者の教頭先生がそう主張されれば、教育委員会もむげにはできないし、まして私なんて、発言権最初からないようなもんだから」

「そうですか」

「まあ、その分警備も厳重になるみたいだし、大丈夫、だと思いたいけど」

「はい」

 深夜が答える。一陽は笑顔で彼女の腕を軽く叩いた。

「じゃ、私は校長室に戻るわ。絵馬さんも始業前に少し休んで」

「あ、はい」

 深夜が答えると一陽が校舎の方へと向かった。

「校長先生」

 背後から声をかける。一陽が振り返る。

「あの、伝さん、萌ちゃんのお兄さんって、ネストにいた時どんな感じでした?」

「野宮君?」

 一陽がこちらを向いた。深夜が頷く。

「どんなって、そんなに目立つ人じゃなかったけど。ただ、ネストは実質野宮君が支えてた」

「そうなんですか?」

「うん。部数は今の半分もなかったけど、朝の配達は高校生にはきつかった。『新聞』という仕事に憧れてる子や、将来的にそういう就職に有利になるように、って生徒が多かったけど、あくまで記事を書いたりプレゼンしたりっていう華やかなところにばかり目が言って、裏方の配達は軽視されがちだった。そういうのを野宮君がカバーしてくれたから、他の部員も続いたところがあるわね。『俺は文章を書くのは苦手だから』って言ってたけど、野宮君がいなければ、雨月ではネストは無理ってなったかもしれない」

「真面目な人ですからね」

「でも、本当はどうだったのかな?私が知る限り、彼がコラムを書いて、掲載されたのは一回だけだったけど、私は好きだった。気取っていない、鼻につく感じもない、とても素直な表現で。私みたいに修辞をこね回す癖のある者からすると、なおさら」

 そして一陽が頬笑んだ。深夜は一度下を向き、それからもう一度一陽を見つめた。

「そうやって先輩の方々が作ってきたハウルズなのに、私たちの代で途絶えさせてしまうかもしれません。あの、『ウルヴズ』とか言うものに言及したせいで」

 一陽が歩み寄り、深夜の肩に片手を添えた。

「もしそれで途絶えちゃうなら、それはそこまでの運命。新聞としても、部活としても、そこまでの寿命しかなかったってこと」

 それから左手を見せる。

「これは父の形見。もともとは父が母に贈ったものだけど」

「あ、そ、そうだったんですか?」

「何だと思ったの?」

「あ、いえ」

 深夜が目をそらす。

「バツイチがバレてるのは知ってる。でも、離婚してもエンゲージリング続けるほど非常識じゃないつもりだけど」

「いえ、あ、あの、すみません。それより、人差し指に指輪って珍しいですよね」

「何?それでごまかしてるつもり?」

「そうじゃなくて、ほ、ほら、校長先生指きれいだから、似合ってるな、って思ってたんですよ」

「そう?」

「ええ。で、珍しい場所だなって」

「ここにちょうど合ったってだけだけど」

「でも、ホントきれいですね」

「小さいけど、一応ダイヤだからね」

 一陽がふふんと笑い、そして手のひらを空にかざした。

「このダイヤは、ダイヤになった後、削られたり加工されたりしただろうけど、基本的に構成要素はできた時のまま。父が母に贈った時も。母が亡くなる時父に託した時も。それを私に預けた時も、ずっと」

「ダイヤモンドは永遠ですもんね」

「『テセウスの船』ってパラドックスがある」

「テセウス、ですか?」

「全ての部品が置き換えられたら、その船は同じものかどうか、っていう話。そして、古い方の部品を使って別の船を作ったら、じゃあどっちが本当のテセウスの船なのか?ダイヤモンドを構成する炭素原子が一つ、また一つと、例えば空気中の二酸化炭素を構成する炭素と入れ替わることは、普通はない。でも、加工が及ぶ大きさの構造物なら、理屈の上ではそれが可能」

「それって」

「初代のダメな部長だけど、ネストは入れ物じゃない。部員一人一人がネストだと思ってる。そんなネストで、部員が卒業して新しい部員と入れ替わったら、『それは本当のネストなのか?』って疑問が起きてもおかしくない。でもね」

 一陽が深夜に向き直った。

「大事なのはネストっていう入れ物や、ハウルズっていう装置じゃないわ。そこに載せて発信する、生徒たちの気持ちや意思。ハウルズはそれを記録し、受け継いでいくための媒体でしかない。ネストはそれらをなすための巣でしかない。一番大切なものが失われるなら、それはもうただの抜け殻。それに、その程度の脆弱な基盤しか作れなかった私たちの責任でもあるわ」

「そういえば、校長先生も書いていらっしゃいましたよね。その、ウルヴズとかいうもの直接じゃないけど、連想させるような本を」

「若気の至りね。地元の図書館様が一番のお客様っていう売れない本だったけど、今じゃそれさえ過去。ただのお飾り校長。教育委員会の刺客に日々怯える毎日。ああ、あの頃の自由で野心に満ちた私はどこへ行ったのかしら?」

 空に両手を広げる一陽に、深夜がクスクスと笑う。一陽も頬笑み返し、そして手を下ろしながら言った。

「でもね、『言葉なき生徒たちの新聞』は、世界一自由な新聞であるのが本来の姿。その本来の姿を追求したことで廃刊になるなら、その時、その発信者たちの在籍した学校の校長であることを、私は誇りに思うわ」

 そして肩から手を放し、一陽は校舎の陰へと消えた。その姿を見送りながら、深夜が右手を見つめ、呟いた。

「真昼」

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