2. 〝サンクタム〟
「サンクタム」(アリスター・グリアソン監督 2011年のオーストラリア、アメリカ映画)から
「おはよー」
萌の声に、深夜が慌てて顔を上げる。
「あ、お、おはよう、萌ちゃん」
「おはよう、萌さん」
「おはよう、深夜、部長サン」
萌があくびをしながら残部を戻す。八島は深夜に目配せをするとパソコンに向かった。
「あれ、微笑は?」
「エミちゃんの研修は昨日で終わり。今朝から単独で配達してる。家を出た時は一緒だったけど」
「大丈夫なの?」
「うん。本当はもうちょっと、四月いっぱいとは言わないけれど、せめて後一週間くらいは一緒に回りたかったんだけど、エミちゃんがどうしてもっていうから。八島さんにも相談して、まだエリアが狭いし件数も少なめだからってことで」
「ん?どうしたの?」
「え?」
「何か元気なさそうだし。あっ!」
萌が八島に顔を向けた。
「部長サン!深夜に何かした?」
「な、何もしてないよ」
八島が笑う。深夜も間に入った。
「そうだよ、誤解だよ」
「じゃあ、どうして」
萌の追及に、深夜が少しためらった後に言った。
「エミちゃんの様子が少しおかしいんだ」
「おかしい?」
「うん。昨日の放課後は一緒に日用品を買いに行こうって話してたのに、いきなり『用事ができた』って言って」
「なんだろね?友達ができたって言ったって、深夜を後回しにするとも思えないし」
深夜が答えずに俯いていると、砧と呉服が帰ってきた。挨拶する間もなく砧が言った。
「八島。クレアにも言ったが、どう考えても俺のエリアは広すぎるだろ?」
「自動車だからそのくらい当然でしょ?」
呉服が反論する。
「その分配達件数を減らしてるし、ネスト全員が余裕をもってまわれるようになったでしょ?」
「そうだそうだ!EVの電気代もネストの経費なのに文句言うな!」
萌が参戦する。
「趣味でバイクを買った景清以外、経費的な部分は八島もクレアも同じだろ?」
「車の方が燃費悪いじゃん。どうせ暖房かけてぬくぬくしてんでしょ?」
「当然だ。俺は俺のために免許を取ったんであって、クレアたちのためじゃない」
「水無瀬さん加入でエリアの見直しした時、砧君も同意したでしょ?今更子供みたいなこと言わないで」
「未成年だ。十分子供だぞ」
「ふざけんな。去年法改正があったからって、あんた、誕生日が来たとたん、『俺はもう大人だ』とか言って、あたしたちに言うこと聞けとか言い始めたじゃん」
「おいおい、『シュレディンガーの十八歳』って言葉を知らないのか?」
「はぁ?何それ?」
「十八歳ってのは大人と子供が重なり合った状態なんだから、その時の都合でどっちもあり得るってことだよ」
「うわ、最低だし、初めて聞いた、そんな話」
「あたりまえだ。今思いついただけだからな」
「砧」
八島が立ち上がった。
「エリア変えしてまだ一週間だ。もう少し様子を見てくれ。その代わり、営業周りと原稿書きを少し減らしてくれていい」
「いや、そこまでしなくていい。その代わり、エリアをこんな風に変えてくれ」
砧はそう言うと、ホワイトボードに向かった。
「四月から、俺が佐久の南、臼田と浅科、小諸の西になった。クレアが小諸の中心部、景清が軽井沢のほぼ全部と御代田の南、八島が軽井沢、御代田、小諸のサンラインから北。エマとミーナで御代田の町中と小田井、ノノが佐久の中込原から北だ」
マーカーで簡単な地図を描いていく。
「八島と俺の地域を交換してくれ。ただし、小諸の西は引き続き俺がやる」
萌が眉をしかめ、深夜が小首を傾げた。呉服と顔を見合わせてから八島が問う。
「なぜ?」
「火曜日の記事で問い合わせや申し込みは増えたはずだ。少なくとも夏前には配達エリアが野辺山や立科まで広がるだろう。八島も六月には四輪の免許を取るだろうしな」
「その広くなったところをやりたくないから?相変わらず最悪」
萌の罵倒も気にせず砧が続ける。
「上田地区のネストは人員不足で、配達エリアが増えても部員だけじゃ無理だ。東御はこっちに押し付けられるだろう。今までみたいに四トンが全部ネストに卸して、それを各部員が配達してたんじゃ間に合わない」
「じゃあどうすんだよ?」
「デンさんたちの出番だ?」
「お兄ちゃん?」
「まあ、赤帽とは限らないが、長野を出発した四トンは、いくつかの拠点で各地域担当の小型トラックにドッキングして、そのエリア分を渡す。小型トラックはその地域の配達員の玄関先など、指定された場所にその担当エリア分を卸す。配達員はそれをもって各家庭を回る、という形になるだろう」
「何それ?聞いてないけど」
「言ってないからな。デンさんと俺のホットラインだ」
「キモオタがうつるからやめろってんだろ!」
「それに、全国的に部数が増えるはずだから、多分外注して、それぞの担当者の住所かその付近にそのエリアの分を置いていき、それを配達して回る形になるだろう。そうなったら、多少でも土地勘のある北の方がやりやすい。そもそもこれは部活だ。来年俺たち四人が卒業したらどうするのかも考えなきゃならないだろ?」
呉服がホワイトボードに近づこうとした時、扉が開いて景清と微笑が帰ってきた。