7. 〝因幡の白兎〟
「因幡の白兎」(古事記)から
「はぁ?こんな時にテレビ?」
「呉服。ネットも確認してくれ」
八島が萌を無視してテレビのリモコンを操作する傍ら、呉服がノートパソコンのキーボードに指を走らせる。画面には夕方の番組にレギュラー出演している信州放送のアナウンサーが映った。カメラの角度が変わる。
「ウルヴズ?」
萌が眉をしかめた。景清がドアを閉める。八島が録画を開始し、音量を上げた。
『テレビをご覧の皆様、こんにちは。信州放送の桜川です。これまで存在を無視されてきた、または無視せざるを得なかったウルヴズですが、本日初めて公式な電波に登場となりました』
「倉庫みたいなところか?」
「広めのキャンピングカー?カメラは固定のようね」
「ズームや角度はアナがリモコンで操作しているみたいだ」
呉服と八島が呟く。ウルヴズらしき姿のそれは、部屋の中を移動し、ブラインドの隙間や壁を調べている。
「桜川アナって、地方局なのにすごい人気の女子アナですよね? 何でも体当たり取材したり、いろんなライセンス取ったりしてる」
「そうらしいね、興味ないけど」
微笑の問い掛けに萌が鼻で笑って答える。
「ケッ、たいして美人でもないおばさんが。お兄ちゃんの方が絶対運転うまいっての」
「萌ちゃん!」
『俺とあんただけか?突然関係者が突入、なんてことはないだろうな?』
『ご心配なく。もちろん、事前のお約束通り放映されています』
『放映時間は?』
『七分が限度です。まずは、ウルヴズであることを視聴者に示してください』
桜川の言葉を待たず、それがビー玉程の大きさの黒い球体を取り出した。そして手のひらを上に向けると、その球体が浮き上がった。
「ドローンじゃない」
球体が手のひらから離れ、部屋の中を飛び交う。
「手を動かしたりはしないんですね?」
「感染させるだけなら必要ない。何らかの形で知覚するのが基本だ」
「でも、あらかじめプログラムされていないとは限りませんし。そうですね、それじゃ、私が言う方向に動かしてください」
そう言うと桜川は、右、左、上、下など方向を指示した。球体はその通りに飛び交う。
「砧!何をしている?」
八島の怒声に深夜たちが振り返る。スマートフォンから顔を上げた砧が、「掲示板やHELIXでなんて言ってるか見てるだけだけど」と答えた。
「そうか」
八島が少しためらい、腰かけた。テレビ画面では、それが落ちた球体を拾い、『もう十分だろ?』と裾にしまった。
『今落ちたのはなぜですか?』
『あんたに不審な動きがあったからだ」
『そんなつもりはありませんでしたが、とにかく、確かに自在に動かしているようです。ところで、あなたのウイルス、オルヴズ、というんですよね。その特性は?』
『言うわけないだろ。特定されるようなことを』
『それじゃせめて、さっきの球体を見せてください』
『だめだ。それ以上面倒なことをいうなら話は終わりだ』
『わ、わかりました。と、とにかく今日は出演して下さいまして』
『前置きはいい。で、何が訊きたい?』
『あ、ま、まずは、今回こうしてインタビューを受ける気になったのはなぜですか?』
桜川の質問に、それがカメラを一瞥してから答える。
『冥王症収束から約十五年。治験薬オルフェウスが投与された中心の世代は後数年で成人する。ウルヴズの使用頻度も全国的に増え、影の存在でありながら認知度は高くなったのに、いまだ誰もが知らないふりをせざるを得ない。既に成人しているもの以外でも、十八歳の誕生日が来れば選挙権を得る。一方、特別保護教育法令、通称〝槍〟の制定を目論む勢力がある』
『槍?』
『"Special Protective Education Act and Regulations"、SPEAR、〝槍〟だ』
『それの何が問題なんですか?保護教育は、場面場面では必要なことでは?』
『必要な場面ならな』
それは壁から離れ、桜川を見た。
『中世ヨーロッパでは、ある種の犯罪者はオオカミの毛皮を着せられ、村から追われたという。これがウルヴズの根底にある概念だ。もっとも、ウルヴズの場合、自分が犯した覚えのない罪のため、という違いはあるが。ただ、個々のウルヴズには、国家権力から自分を守るような力はない、本当の利用価値に比して、きわめて貧弱な存在だ』
それが部屋の中をゆっくり歩きまわる。
『これまでウルヴズは各界の微妙な綱引きの上で成り立っていた。権利を主張し、責任を回避したい役所という機関と、人権問題から目をそらし続けなければいけない個々の役人のジレンマが、現在の施錠、解錠という仕組みを作り出した。本当にウルヴズを使うべき場面かどうかにかかわらず定期的に使役されることで、ウルヴズが毛皮を脱いだ時、人間として村の中にいることを許されている。だが、槍が成立すれば、未成年のウルヴズ、つまり現時点でほとんどのウルヴズは、文科省、直接には教育委員会に一元管理される』
『でも、教育委員会は中立公正が原則ですよね。文科省のホームページを見ても、知事や市長から独立したものとなっていますよね?』
『それは建前だろ?運営するのは人間だ。権力におもねり、そして固執するも奴は必ず出て来る。だが、それ自体は大した問題じゃない。一番危険なのは、保護教育といううたい文句だ。その名目に担保された善意の継ぎはぎは本当に善意か?善いことをした、という快感で麻痺した連中の暴走を、今度は誰が止める?』
『それでは、その〝槍〟、特別保護教育法令の成立を防ぐために今回登場して頂いたと?』
『それもある。槍の次にあるのは、檻か?鎖か?ノーベル賞の候補にまでなった科学者たちがオルヴズを予見できなかったんだぜ?多様に分岐し得る未来を予測できる奴なんているもんか』
『それを阻止する手法としてのテロだと?』
『何だと?』
『先週、信州銀行浅麓支店で起きた銀行強盗の犯人グループにもウルヴズが関与しているという噂がありますが、あれもあなた、もしくはあなたの仲間ですか?』
『違うね。奴らは月だ』
『月?』
『いや、顔が見えないから、〝月の裏側〟というべきか』
それはそういうと押し黙った。桜川がカメラを見てから言った。
『確認するのを忘れていましたが、毛皮を脱いだあなたは未成年ですか?』
『それを訊いてどうする?』
『もし未成年だとして、その〝槍〟の成立を阻止できたとします。でも、考えてみれば、今現在だって、あなたたちは浅間山に生息するヤマイヌと言う名のオオカミとは違う。どちらかと言えば飼い犬ですよね?自分の意思が尊重されることなどなく、ただの道具扱い。いくらウルヴズではない時の自分達を守るためとは言え、発注者に使役されるだけの駒という現状の方がいいんですか?』
それは顔を上げて桜川をじっと見つめ、言った。
『きれいごと言うが、駒でしかないのはあんたも同じだろう。局全体の許可があったのかは知らないが、少なくともそれなりの役職の承認がなければ、放送事故で済まされない時間のこのインタビューは放映できない。自分だけは言論の自由を守ってるとでも思ってるのか?』
『論点が違います』
『ならば、今俺がここで毛皮を脱いだらどうなる?』
それがフードに手をかけた。そして一方の手で懐から拳銃を取り出し、桜川に向ける。
『カメラのスイッチを切るなよ?切ったら撃つ』
『な、何をするんです?』
『因幡の白兎だな。この場合、俺がワニってのは正しい。因幡の白兎の話も古事記にしか出て来ねえからな。あんたが兎ってのは解せねえが』
『突然何を?』
『どうしてお前らは、渡り終えるまで黙ってられないかね。無事に帰っちゃいけないって言う、お約束でもあるのかね?だから世界中に似たような神話が転がってるのか?もっとも、あんたの場合は本来渡し手なのに、何やってんだ?』
『お、落ち付いてください』
『視聴者もそれなりに増えた頃だ。今俺がここで毛皮を脱げば、番組を見ている全員がキャリアだ。で、そのうちの何割かは今日からウルヴズだ。その責任をあんたが取れるのか?』
『や、やめてください!』
桜川が叫び、カメラを見る。
『視聴者の皆さん!感染の恐れがあります!テレビを消して下さい!』
『人間の好奇心を舐めすぎだろ?それに乗じて商売してるくせに』
『や、やめてください。お願いです皆さん!テレビを消して下さい!』
『感染を人に知られるかどうかが重要だって言うなら、少なくともあんたは、大勢の証人によって今日からウルヴズとみなされる』
『やめてください!』
『病院やサービスエリアなんかの公共の場なら、そこにいる全員が感染者であり、感染の目撃者だ。あっという間に日本中は人間狼、生ける死体だらけだ』
『お願いです!やめて下さい!』
『逆に俺はこの姿でいる限りモノ扱いだ。罪を問われることはない』
拳銃が桜川に向けられる。
『例えば今、ここで俺があんたを撃ったとしても』
『やめてください!』
『それに、こんなことをしてもな』
銃口が再びカメラに向かった。銃声と同時に画面が消えた。