4. 〝あおいちゃんパニック!〟
「あおいちゃんパニック!」(竹本泉)から
「良かった。パスカルたちが来た」
手すりからガイドロープを外しながら、ガウスが少し肩の力を抜く。
「ファーレンハイト、K。もう少し頑張って」
戻ろうとした視線の端に何かが映った。もう一度そちらを凝視する。椅子の影から小さなリボンが見えた。
[あ、もう一人います!]
[何だって?]
ガウスが乗降口に戻ろうとして振り返る。バランスを更に崩したバスとガードレールの間に命綱が挟まっている。
[しまった。今レスキューに別のロープを頼むよ]
[時間がありません]
ガウスは命綱のバックルを外し、車内へと進んだ。幼女が椅子に座り、じっとガウスを見つめる。
「助けに来たよ。行こう?」
「お母さんが、知らない人についてっちゃダメ、って言ってた」
幼女はガウスを見ると答えた。ガウスは逡巡し、問いかけた。
「そう。名前は?」
「あおい」
「そう、あおいちゃん」
ガウスがマスクに手をかける。
[ガウス!]
[大丈夫です]
そしてガウスは、幼女の前にしゃがみこみ、言った。
「ねえ、あおいちゃん。私たちは、バスや、階段や、クレヨンみたいなものなの。でもね、乗ったことのないバスや、使ったことのないクレヨンだからって、乗ったり使ってあげたりしないと、かわいそうでしょ?」
幼女は迷ってから頷いた。
「だから大丈夫。ね、お母さんに自慢するためにも、一緒に行こう?」
そういって右手を差し出す。園児は頷き、椅子から降りると、ガウスの右手を小さな手でしっかりと握った。そのまま園児を連れ、一度乗降口へと回る。バスの窓の向こう、反対車線のトンネルから罹災者たちが出て来るのが見えた。
「良かった」
[ガウス!バスが限界だ]
オームの声に重なるようにバスが揺れる。
「あおいちゃん!」
ガウスが一度しゃがんで園児を抱きかかえ、そして高架橋に向かって跳ぶ。オームが手を伸ばすが届かない。バスが落下し、地面に衝突して轟音を立てるのが聞こえた。上を向くと、レスキュー隊隊長がガウスと園児の手を握り、欄干からぶら下がって揺れていた。欄干越しに隊員たちがロープを引っ張っているのが見える。
[飛び降りてくれたんだ。ありがとうございます]
レスキュー隊員も何も言わず、ただ笑顔を浮かべる。上に残った隊員が、掛け声をあげてロープを引き始める。下方に目をやると、下り線のトンネルからパスカルたちに誘導されて罹災者たちが出て来るのが見えた。