3. 〝メリー・ポピンズ〟
「メリー・ポピンズ」(ロバート・スティーブンソン、ハミルトン・S・ラスク監督 1964年のアメリカ映画)から
[まだ熱いわね]
トンネルの入り口に立ったKが呟く。 横転したトラックやバスの向こうを炎が揺らめいている。
[ここでこんなに熱いんだから、中はもっとね]
[あたしのウイルスじゃあんまり冷却効果がないしね]
ファーレンハイトが言い捨てる。
[そんなことないわ。あなたのウイルスは障害物を迂回できる。でも、私のは直線にしか進まない]
そういうとKがトンネルの天井を見た。
[仕方ないわ。上る]
Kがトンネルの天井部分に貼り付いた雪を見上げた。
[まじで? まさかそのまま障害物越えるとか言わないよね?]
[そこまでは無理。入口は雪が吹き込んでるけど、向こうの壁や天井は乾ききってる]
Kがトンネルの北側、点検用歩道の柵を背にして立った。そして深呼吸をすると、南側の壁に向かって駆け出した。そのま壁面を蹴りながら駆けあがり、中ほどで逆さまになって静止する。それからゆっくりと足場を確認しながら一歩、又一歩とブーツを踏み出し、天井の中央で止まった。
[どう?見える]
[ファーレンハイトのおかげでひどい状況にはなっていないみたい。ライトの光も煙で拡散して届かないからはっきりわからないけど、被災者は多分北側の退避所に隠れているみたい]
[そこって煙突の出口みたいなもんでしょ? 空気悪くない?]
[一応トンネルの排煙装置が機能しているようね。もうすぐパスカルたちが助けに来るわ。それまで持たせないと]
[でも、あいつらが来たら、オームがトンネルの壁の中通ってる電気、全部止めるでしょ? 当然排煙装置も止まるよ?]
[そんなこと言ってられないわ。とにかくパスカルが来るまで何とかもたせないと]
[あたしの温度域じゃ、瞬間で壁に貼り付くなんて芸当できないし。何かできることある?]
[これまで通り、できる限り空気を三十度以下に冷やして。そうすれば後は私がピンポイントで冷却していくから]
[ラジャ]
ファーレンハイトが頷き、それから言った。
[てか、Kって、やけにパスカルのこと信頼してんじゃん]
[ば、バカ言わないで!]
[じょ、冗談だって。そんなムキになって怒んないでよ]
[こ、こちらこそごめんなさい。今、頭に血が上ってるから]
[そりゃそうだ]
ファーレンハイトが笑った。Kもくくっと声を漏らす。
[ま、でも、わかんないでもないよ]
[何が?]
[パスカルへの期待。あいつ、悪知恵働くから、何かうまいこと行きそうな気がするんだよね。気分悪いけど、いざって時は頼りになるっていうか]
Kは答えない。ファーレンハイトは天井を一瞥し、呟く。
[忙しそうで、あのバカどころじゃないよね。ま、あたしもだけど]