2. 〝バックドラフト〟
「バックドラフト」(ロン・ハワード監督 1991年のアメリカ映画)から
「ネクローシス、どこにいた?」
荷台で向かい合ったパスカルが問うが、ネクローシスは答えない。隣のクロノスがそれをじっと見つめる。
「まあ、遠隔で解錠したし、問題ないか。じゃあ、全員揃ったところで、今回の処理を確認する。我々としても初めての試みだから、よく聞いてくれ」
荷台の室内灯の下、パスカルがタブレットに表示されたインターネットの地図ソフトを開く。
「まず予備知識として、通常、高速道路のトンネルは上下線で対になっているが、上信越道八風山トンネルは、下りが一本しかないのに対し、上りは、八風山トンネルと、その東側の短い高立トンネルの二本を抜ける。だから、下りの八風山トンネルの長さ4,470メートルに対し、上りの八風山トンネルは4,000メートルちょうど。一度外に出て、再度370メートルの高立トンネルに入る形になる。この地図ソフトだと、下りも途切れているようになっているが、下りの八風山トンネルは実際に一本だ。で、現場の中心は、上り線この高立トンネルと、その東側の高架橋」
ネクローシスとクロノスがタブレットを注視する。
「上り線、高立トンネル出口付近で、季節外れのゲリラ豪雪による乗用車のスリップを起点とした多重衝突事故が起きた。回避を試み横滑りし、走行不能となった複数の車両が道を塞ぎ、上り線は高立トンネル、今言った西側の八風山トンネル、それから東側の日暮山トンネルともに通行不能。現在現場は完全に孤立している。上空は低気圧と山間部特有の強風のためヘリコプターも近づけない。唯一現場に近づけるのはトンネル工事の際の作業用道路、現在は国有林の専用林道になっている道しかない。先着のレスキュー隊もウルヴズも同じルートで現場に駆け付けた。ただ、この道路は現在はほとんど使われていないため、狭く、道も悪い。せいぜい乗用車までしか通れない。特別車両の助けは期待できない」
スピードが落ちて右に曲がる。
「事故の規模は大きいが、現在のところ死亡者はなし。負傷者も含め、ドライバーや同乗者のほとんどは脱出できたが、短い高立トンネルは入口、出口とも事故車両で塞がれ、逃げ遅れた複数人が閉じ込められている。まだ大規模な火災には至っていないが、トンネル内退避所に避難した数人からは『熱さと息苦しさを感じる』という連絡がケータイを通じてあったことから、視認できない箇所で小規模の火災が発生している可能性がある。事故車両の中には、液体塩素を積んだタンクローリーと家庭用LPガスのボンベの運搬車が含まれる。爆発した場合、ラジカル連鎖反応により塩化水素などが生じ、スプリンクラーが作動すればトンネル内で塩酸のシャワーが降る恐れがある。現在、ケルビンとファーレンハイトが火災の進行を抑えるためにトンネル内の空気を冷却している」
「ちょっと待ってください。らじかるれんさ反応って何ですか?」
「とりあえず連鎖反応だって思っとけ」
「難しい言葉使って、自分だってわかってないくせに」
クロノスの呟きを無視し、砧が続ける。
「また、高立トンネルと日暮山トンネルの間の高架橋では、後続車に追突された保育園の遠足のバスがガードレールを突き破って橋から落ちかけている。こっちの乗客は現在、レスキュー隊とオーム、ガウスが救出に当たっている。オームは並行して八風山トンネル内の車両の電気系統を止めているが、事故車両の台数や種類が多すぎて図面が間に合っていない。現在の状況はオームの視点で映像で届いている」
パスカルがスマートフォンを見せると、クロノスが覗き込みながら怒鳴った。
「これ、何でレスキューの人たちじゃなくてガウスが危ないところに行ってるんですか?道具だからですか?だからってひどすぎます!」
「いや、単純に軽いからだ。レスキュー隊員はプロだ。救助の可能性が同等なら自分たちが行くが、バスがこんな状態だからな。軽いガウスに託したんだろ」
「そう、ですか」
「まあ、それはともかく、我々はこの後、八風山トンネルの下り線に入り、ネクローシスが穴をあけ、足元に積もる塵を俺が吹き飛ばし、クロノスが穴を塞ぎながら進んで上り線の避難個所へ到達する。距離は約三十メートル。高低差のある斜面を登って行く形になる。被災者を確保したら、またネクローシスが穴をあけ、被災者を脱出させながらクロノスが穴を塞いでいく。今度は逆に下りだ」
「穴は開けたままにして、救出してから帰りに塞げばいいじゃないですか。その程度の時間しか経ってないなら直せますよ」
「事故のあったトンネル内は酸素が少なくなりつつある。そこに大量の新鮮な空気が一気に入ったら、バックドラフトを起こす可能性がある」
「ばっくどらふと?また難しそうな言葉使って。どうせわかってないですよね?」
「簡単に言えば、不完全燃焼を起こしているところに急激に大量の空気が入ると爆発する現象だ」
「最初からそう言えばいいのに」
「二年前雨月学園で起きた事故、絵馬真昼の件も、多分これが原因だ」
「え?」
クロノスが問い掛けるが、パスカルは構わず話を進める。
「罹災者がとりあえずは避難できている状況からして、それほど高温とは思えないが、とにかくこれは初めての試みだからな。崩落の危険性もあるし」
運転席の窓ガラスがコツコツと鳴った。
「もうすぐ目的地だ。車はピンポイントで停止する。幌が開いたらすぐに降りてトンネルの壁に向かう。クロノスも余計なことは考えず、俺の後に続け」
「あ、はい」
「おい」
ネクローシスがクロノスに声をかける。
「は、はい?」
「この作戦ができるのはてめーのおかげだ」
「あ、え、え?」
クロノスが訊き返すと同時に車が止まった。すぐにカーテンが開く。
「行くぞ」
パスカルの合図に、ネクローシスが荷台から飛び降りる。
「え、あ、はい」
パスカル、そしてクロノスも続く。パスカルが再度図面を確認すると、「間違いない」と目の前のトンネルの壁を指さした。ネクローシスがその壁に向かってまっすぐ進み始める。壁面がその体をかたどるように崩れていく。