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wO-LVes ~オオカミのいる日本~  作者: 海野遊路
第四章 『中世西洋の罪と罰』
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6. 〝トレーニング デイ〟

「トレーニング デイ」(アントワーン・フークア監督 2001年のアメリカ映画)から

「あ、ご、ごめんね、萌ちゃん」

「いや、あたしも調子に乗り過ぎたかも。ごめん」

「それはマックスウェルの作用の一部だ。まあ、そもそもがウルヴズであること自体、我々の一部でしかないしな」

「砧さん」

「実際のところ真昼は、ミーナの場合のような労働災害現場での救出でよく活躍した。真昼は『つまんねぇ』とか言ってたが、救助した相手に感謝されるとデレてたよ。特に重宝されたのが火災現場だ。炎を窒素で包むことも、被災者の周囲から一酸化炭素を取り除くことも意のままだからな。俺がこの間行った火災現場でも、『マックスウェルがいたら』って言われた」

「すごい。やっぱ、真昼先輩ってすごかったんですね」

 微笑が深夜を見る。萌も慌てて「そ、そうさ。たまにはキモオタも役に立つね」と作り笑いを浮かべた。深夜が頷く。

「うん。生意気だし、砧さんや伝さんには甘えてたけど、そういう時はかっこよかった」

 それから俯き、「あの時も、せめて鍵がかかってなければ」と呟いた。

「鍵さえかかってなければ、爆発を抑えるのに十分なウイルスだって仕えたはず」

「鍵がかかってたって」と萌が語気を荒げる。

「真昼ならちょっとした爆発程度何とかなったはずなんだよ。絶対、何かの陰謀に違いないんだよ」

「きっとそうです!それに、そうならばなおさら許せません。真昼先輩が命がけで止めた法律を、もう一回強引に決めようなんて!微笑も絶対反対です!」

「あたしも、槍突き付けられてハゲタカの手下になるなんてまっぴらごめん」

「そうか?」と砧がメモ書きの端を持ち、目の前に掲げた。

「俺は別に生きていければ養殖の魚でもいいけど。ただ、最後に食われるのは勘弁だ」

「あんたはそうかもしんないけど」

 紙片が突然発火する。微笑が「え? え? 」と身をのけぞらせる前で、メモ用紙を炎が覆う。

「な、何ですか、それ?」

「証拠隠滅」

「そうじゃなくて、突然火が付いたのは?」

「断熱圧縮。自転車の空気入れが熱くなるのの急激な奴。これもキモオタのウイルスの作用」

「じゃ、じゃあ、砧先輩って火事も起こせちゃうんですか?」

「マッチの方が効率的だろ」

 三分の二くらい燃えたところで、砧が手を振って紙片の火を消した。

「ミーナ、これを直せるか?」

 しかし微笑が受け取る前に扉が開く音がした。深夜が振り返る。

「あ、景清さん、お疲れ様です」

「景清クン、お疲れ様。広告どうだったんすか?」

「なし」

「えー、景清クンにしちゃ珍しいね」

「あ、景清さん。紹介します。今年度からネストに入るエミちゃん、水無瀬微笑さんです」

「あの、よろしくおねがいします」

「クロノスだ」と砧が焦げた紙片を見せながら言った。

「ちょうど今検証するところだよ。ミーナ」

「あ、はい」

 微笑が紙片を受け取ると、それは瞬時に元のメモ用紙に戻った。景清が無言で見つめる。

「すごい。砧さんが書いた文字まで元に戻ってる」

「物理的な破損だけじゃなく、化学変化さえ元に戻せるってことか。驚いたよ」

「あれ?でも、一部欠けてない?」

 萌が紙片のいくつかの穴を指さす。砧が「多分呼吸だ」と言う。

「燃えて二酸化炭素になったうちの一部が、俺たちの吸気に混ざって肺に入ってたから拾えなかったんだろ?体内にある物質には、俺たちのウイルスの作用は及ばないけど、それはクロノスの場合もそうみたいだな」

甦る貴婦人(クイーンフェニックス)です」

 頬を膨らませる微笑を無視して、砧が景清にメモ用紙を渡す。

「余計な情報を書いたメモだ。悪いが隠滅してくれ」

 景清は無言でそれを受け取り、手の中で丸めた。ごみ箱の上で手を開くと、メモ用紙が消え、見えないものが時折光りながらゆっくりと落ちていく。

「え?あれ?」

「ネクローシスだ。分子結合、金属結合、イオン結合など、全ての物質の結合を断つ。言ってみれば、物質を壊死させる。ミーナとはほぼ反対だな」

「す、すごい」

「砧、水無瀬のウイルスの作用はそれだけか?」と机の横に鞄を置いた景清が訊いた。

「オルヴズの作用は基本的に一種類だけだからな。多分そうだろ」

「そうか、水無瀬、来い。それから絵馬と野宮も」

 景清は言い捨て、編集室を出た。深夜と萌が顔を合わせる。

「倉庫だろう。行った方がいい」と砧に促され、三人が倉庫の扉を開けると、十畳ほどの部屋の中央に景清が立っていた。

「最低限身を守る術を教える。絵馬」

 景清の呼びかけに深夜が頷き、正面に立った。そして一礼をすると、いきなり景清を攻撃し始める。しかしその突きや蹴りはことごとくかわされる。深夜の息が少し切れたところで、景清が再度頷いた。深夜が攻撃を止める。

「すごい。深夜先輩のパンチやキックが景清先輩を突き抜けてるみたい」

「深夜も毎日訓練してるから相当なレベルのはずなんだけどね。景清クンは無酸素運動の訓練の年季が違うから」

「水無瀬、次はおめーだ」

 萌に背中を押され、景清と入れ替わりに微笑が深夜の正面に立った。

「攻撃されたら、最小限の動きでかわせ。絵馬、始めろ」

 景清の言葉に深夜が頷き、「エミちゃん、行くよ」と言ってから拳をゆっくりと突き出した。微笑が反射的に身をよじって避ける。

「大きく動き過ぎだ。次の動作に支障が出る。もっとぎりぎりでかわせ」

 深夜が手を戻し、最初と同じ程度の速度で正拳を撃つ。微笑が避ける。

「まだ大きい。拳を掠らせるくらいの気持ちで避けろ」

「景清クンは簡単に言うけどさー。あたしだってそんなぎりぎりじゃ無理だし。もし相手が読ませないような攻撃してきたらどうせダメじゃん」

 横から萌が口を挟む。景清は彼女を一瞥すると言った。

「ボクサーレベルの戦闘技術を持ってる奴なんてそうはいねえ。大抵はただの暴力だ。相手をよく見りゃ、視線と出だしの動きでおおよその攻撃個所、到達速度は予測できる」

「そりゃ、景清クンは恐怖心がないから」

「萌ちゃん!景清さん、すみません」

「余計なことを気にしている暇があるなら、続けろ」

「あ、はい」

 深夜が微笑に向き直り、少し速度を上げて正拳を撃つ。微笑が避けながらそれを手のひらでそらす。

「可能な限り手を出すな。拳ならいいが、刃物なら触るだけで傷つく」

「は、はあ」

「それに、体を僅かに動かすだけで避けることを繰り返せば、それだけで敵を威圧できる。『何をしても無駄だ』と相手に思わせれば、精神的に優位に立てるし、それも一つの武器になる。ウルヴズ自体戦闘には向かねーが、特に水無瀬は、価値と護身能力のバランスが他の奴ら以上に悪すぎる。かといって、小柄なおめーじゃ、単なる物理攻撃をしたところで効果は知れてる。生き残るためには何でも使え」

「生き残るためって」

「現場では俺たちは道具だ。使用者は道具の生死を優先してくれねえ。身を守るのは己自身だ」

「は、はい」

 微笑が息を整える。

「深夜先輩、お願いします」

 深夜が頷き、また攻撃を始める。数度目の正拳が微笑の肩に当たった。

「あうっ!」

「あ、エミちゃん、ごめん!」

 深夜が駆け寄り、微笑の肩をさする。微笑は上目遣いに景清を伺う。

「ど、どんくさくてすみません」

「悪くねえ」

「え?」

「当たったってことは、ぎりぎりでかわそうとしてるってことだ」

「あ」

「いくらおめーが華奢でも、体には幅があり、厚みがある。どこまでが自分かを体で覚えるためには、練習の段階じゃ当たってみるのも一つだ」

「あ、ありがとうございます」

 微笑の頬が紅潮している。景清が深夜を見る。

「絵馬、もう一度手本だ。水無瀬、少し休め」

「あ、はい」

 微笑が下がり、景清が再度深夜の前に立つ。

「本気で来い」

「お願いします」

 深夜が一礼し、一度深呼吸をしてから足を蹴り上げる。景清がその攻撃をかわす。二人を見ながら微笑が萌に訊いた。

「それにしても、どうして景清先輩はただ避けるだけなんですか?」

「景清クンのウイルスは、対象が物質なら全部破壊する。ロックされてても深夜の服くらい突き抜けるよ。ま、ムッツリだからそんなことはしないと思うけど」

 深夜の手足は相変わらず空を切る。

「それに景清クンのウイルスは感染対象を選べないしね。破壊したいものだけじゃなく、周囲の空気も、とにかく最初にぶつかったものを原子レベルに分解する。酸素はまわりの物質を手当たり次第に酸化するけど、空気中には窒素の方が多い。対流で全体が平均化するまで、一時的に、人体にはあんま良くない二酸化窒素の濃度が高くなる。もちろん、単体の酸素なんてかなりやばいから、全身からウイルスを出してる時、景清クンは呼吸しない。っていうかできない。あの人のウイルスは諸刃の剣なんだよね。だから可能な限り自分の顔から遠いところでウイルスを出す。もっとはっきり言えば、可能な限り、手や足で武器を破壊する」

「よくわかんないけど、大変そうですね」

「うん、そんなことより、深夜たち」

 萌が二人の攻防を見つめる。

「あ。な、何か殺気立ってるみたい」

 深夜の蹴りを避けながら景清が言う。

「おせえ」

 深夜の攻撃が速度を増す。

「こんなもんか」

 更に激しくなる。

「何か、速すぎませんか?」

「深夜は手足の金具と周囲の金属にウイルスを感染させて、その引力や斥力で攻撃を加速する。金属があるところ限定だけど」

「え、じゃあ、解錠とかされてたら?」

「もっと速くなるよ。深夜はそれに耐える練習もしてる」

「まだだ」

 しかし景清には当たらない。

「景清先輩も、すごい」

「景清クンに武器は無意味だから、素手の攻撃さえかわせばいい。恐怖心もないし、避ける訓練を徹底してるからね。でも」

 残像に見える攻防に、萌が半歩踏み出す。

「ちょ、深夜、景清クン?」

「その程度で人が斃せるか」

 深夜の表情が歪んだ。右の手のひらが景清の口元を覆う。

「深夜!」

 萌が叫ぶ。しかしその右手は空を掴む。景清は既に深夜の左に回り、彼女を見下ろしている。深夜が目を見開き、ゆっくりと顔を上げて景清を見つめる。

「景清、さん?」

 硬直した深夜がようやく口を開く。

「そうだ、それでいい」

 景清が呟く。そして無言で立ち尽くす彼女に背を向けると倉庫を出て行った。

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