6. 〝九の一〟
「九の一」(「カムイ外伝」第八話)から
涙を流さずただ肩を震わせる深夜と、それを見つめる微笑の向こうで、花びらが空高く舞い上がり、そして道の駅の駐車場へ向かう。その屋内の一角に据え付けられたテレビの画面に、憔悴した県の教育長が映っている。その隣、記者からの質問に答えた一陽が立ち上がった。
「あの動画にあったように、『ウルヴズ』なるものたちは確かに存在し、そして罪を犯しました。しかしそれは、安宅教頭先生の名をかたった檜垣博士による極めて利己的な行為のためです。我々はテロリズムには屈しません。一方で、テイアの成功の陰に隠れ、今も非人間的扱いを受けているウルヴズ、そして〝月の裏側〟と呼ばれる者たちについても考えなければなりません。少なくとも、もはやなかったことにできる問題ではないのですから」
カメラはスタジオに戻り、アナウンサーが映る。
「この問題について、教育長は辞任の方向でまとまり、県は新たに第三者委員会を設置するということです。また、これに関連して、檜垣博士と共謀したとされるGNロジスティクスの代表取締役、道成寺九重彦氏が特別背任の疑いで休み明けにも起訴される見通しです。GNロジスティクスは物流版ヴェーバーで台頭して来ましたが、この問題を受けて、同社は事業方針の大幅な見直しを迫られる見込みです。そして更に、道成寺九重彦氏の姉でもあり、この問題への関与が疑われる道成寺八重子文部科学大臣の責を問う声が出て来ています」
部屋の隅でその画面を見ていた伝が踵を返し、駐車場に出た。隅に停めた赤帽車に戻り、荷台に乗って資材を整理し始める。突然カーテンが閉まった。
「また君か?」
「はい」
幌の外、左側から声が聞こえる。
「この結末は想定外でした。俺たちは結局、司馬さんと檜垣博士に欺かれていたようです。二人は、文字通り命を懸けて俺たちとウルヴズを閉じ込めていた檻を壊してくれました。発展のない平穏ではなく、可能性のある混乱に我々を放り込むために。俺たちは司馬さんの意思を受け継ぎ、いろいろな形で戦っていきます。まだ全国にいると思われる、他のウルヴズや、〝月の裏側〟のためにも」
伝は無言で耳を傾ける。
「司馬さんは、絵馬真昼君と氷室君の死に責任を感じていました。そして後悔も。『彼らこそ生きるべきだった。俺が見つめることに固執していたからだ』と。でも、一方で、『絵馬真昼君を通じてタニグクに出会った。カインを告発する、もう一人のタニグクの存在も知った。地上の神々なら、俺にできなかったことをやってくれる』とも。だから俺は、当初は野宮さんと雨月校長が司馬さんの協力者だと思っていました。司馬さんが信用した方々だと。そして比較的接触が簡単な野宮さんにあのようなぶしつけなことを。多分、お許しいただけないとは思いますが」
「それも多分、箙君の想定内だよね」
「はい、今思えば」
「君は、ウルヴズはキャリアではなくベクターだと言ったよね。オルヴズの感染対象は非生命だから、生命は、その運び屋でしかないと。でも、それを言うなら、運送業の俺もベクターだ。いや、俺だけじゃない。教師は生徒たちに知識を伝えるベクターだし、職人やセールスマン、医師だって弁護士だってそういう側面はある。何より、親は子に、兄、姉は、弟、妹に愛情を伝えるベクターだ」
「そのような比喩の問題では」
「俺たち運送屋が運ぶものは、加工されたとしてもせいぜい数世代の寿命だろう。でも、教育や愛情は、形を変えながら延々と生き続ける。最終感染対象なんて多分ないのに、人から人へと、きっと途絶えることなく、ずっと。それに、情報を運ぶという意味では、マスコミも」
幌の外で息をのむ音が聴こえる。
「赤帽車のエンジン音はかなり特徴があってね、すれ違えば大体わかる」
「何を?」
「そして俺は立場上、他の赤帽車の位置を示すサイトにログインできる。長野だけじゃなくて全国の赤帽車の動向を知ることができる。この浅間サンラインは、群馬と新潟、富山、岐阜方面を結ぶトラック街道の一つだ。確かにあの時は妨害電波でデータを拾えなかったし、しばらく何も見えなかったけど、登山道入り口までのサンラインで赤帽車とすれ違った時間を覚えておいて、君がいなくなって妨害電波から解放された後の情報と照合すれば、その時通過した車がどれかアタリをつけられる。あの時すれ違ったのは三台。そのうちの二台は後で位置情報を確認できたし、ドライブレコーダーのデータももらえた。それぞれの動画には、運転する君の姿が映っていた。変装はしていたが、体格好はあきらかに女性だった。一番鮮明な映像には、サングラスをかけた顔もよく映っていた。さすが声の本職だよね。講演会の司会を聴いてたのに、すっかり騙されたよ。あらかじめバイクも用意しておいたみたいだし、用意周到だね」
返事はない。
「君がウルヴズか、〝月の裏側〟か、それとも教頭先生のようなどちらでもない協力者なのかは知らない。でも、確実に言えるのは、君も又、誰もが見ないふりをし続けてきた事実を視聴者に届けたベクターだ、ということだよ。信州放送の桜川さん」
そう言うと伝が幌のカーテンを開け、荷台から降りる。周囲には誰もいない。カーテンを閉め、車に乗り込んで走り出すとスマートフォンが鳴った。