3. 〝スペードの女王〟
「スペードの女王」(プーシキン)から
スマートフォンを手にした男子生徒が萌たちの横を通り過ぎた。
「どうせなら平日、大量に巻き込んでから死ねよ。土曜の夜じゃ、すぐ買いを入れたって月曜の朝には横並びじゃねーか。結局ハイエナどもが群がって、GN株全然安く変えねえし。ほんとに役に立たねえな」
「ま、そうだね。どうせ死ぬなら役に立つ死に方ってもんがあるよね」
一緒に歩いていた女子生徒が、自分の右手の指輪を日にかざしながら答える。
「あんたのトレードのおかげで、私はアクセたくさん買ってもらえるし。あ、でも、ハゲタカがつるんでたっていうGNロジは?あそこの株なら落ちっぱなしじゃない?」
「あれはだめだ。下手すりゃ民事再生だろ。回復なんて何年先かわからねぇ。そもそも回復すんのかも怪しい」
「へえ、よく知ってるね」
「そこらの情弱といっしょにすんなよ。ハゲタカみたいな無能な働き者は、俺みたいな有能な怠け者のこやしになるべきなんだよ。当然、ウルヴズとか月の裏側とか言う半端もんもな。それなのに老害どものせいでこんな下らねー田舎のちんけな祭りに顔出さなきゃならねーなんて、俺が一時間にいくら稼ぐのか知ってんのかね?」
「めんどくさいけど、来てテキトーに写真撮っときゃ証拠になるじゃん。そうすれば課題免除だし、底辺相手にマジにならないでよ」
「あいつら」
萌が拳を握りしめた。砧が彼女の前に手を出して制する。
「バカなことはやめとけ」
「バカって何だよ! あんたは冷血だから」
「ちょっ、何だよこれ!?」
砧を睨み、詰め寄る萌の言葉を男子生徒の叫び声が遮る。隣の女子生徒が訊く。
「何なの?」
「アプリがGNロジの株に勝手に注文入れやがった。しかも成行で」
「え?何それ?」
「全額突っ込んで、ちょ、操作効かねえし。おいっ」
「はあ、操作ミスじゃない?」
「そんなミスするかよ。って、アプリが落ちて、画面が消えて!?どうすんだよこれ! おい!スマホ貸せ!」
「え?やだよ。言っとくけど、あんたに金がなくなったからって、もらったリングは返さないからね、って。あっ!」
女子生徒が指輪をよく見た。
「指輪のダイヤが割れちゃった! ってかこれ、ガラスじゃない?」
「うるせー、今それどころじゃねーよ。物の価値もわかんねーお前にはそれで十分だろ!」
「ふざけんな! 本物よこせ!」
罵り合いながら通り過ぎる生徒たちを見て、砧が呟く。
「もっと怖いバカがいるし」
法被姿の八島と呉服が肩越しに彼らを眺めている。
「八島クン、呉服サン」
萌が呟く。八島が片手を上げ、呉服が笑顔で小さく手を振る。萌も苦笑し、砧を見る。
「ねえねえ、呉服サンて、最近きれいになったと思わない?」
「はあ?あいつはもともと美人だろ」
「え?じゃあ」
萌が言いかけると、電動車椅子が百八十度回った。振り返ると、八島が半身で肩をすくめ、呉服が唇に人差し指を当てている。
「何だ、いきなり?」と砧が首を左右に回す。
「八島だな?ノノ、クレア、俺に内緒で何の話をしてる?悪口か?またもや俺の悪口か?」
「はあ、またあんたはそういう」
「俺は自分に向けられた悪意には敏感なんだ。俺の観察力と洞察力を舐めるなよ」
「むしろここ最近見損ないまくってるよ!もっと敏感になるべきところはあるだろうが!」
砧が右から背後を見ようとすると車椅子は左に、左なら右にと向きを変える。
「空気レンズで見たらぁ?」
「視点がぶれて良く見えないんだよ」
砧が怒鳴る。呉服が笑顔を浮かべながら、八島とともにまた人ごみの中に消えた。車いすが止まる。
「くっ、奴ら、というかお前たち、俺を嫌いにもほどがあるだろ?」
「はあ」
萌が腰に手を当て、ため息をつく。
「ほんと、どいつもこいつも、何であんたなんかに」
「うるさい!」
「まあ、でも、何だかんだであんたみたいなのが本当の『有能な怠け者』になっちゃうのかね」
「おいおい、三枚の切り札の内の一枚が勤勉の俺に向かってそれを言うか?大体、あのコピペ持ち出す奴のほとんどは、自分は有能な怠け者と思いたいだけのただの怠け者だぞ。無能な働き者代表のデンさんを見習え」
「お兄ちゃんを侮辱すんな!」
「何を言う?マックスウェルの悪魔が活躍できるのは、分子がでたらめに動いてるからだ。分子が怠けて止まってたら、悪魔が扉を開閉しても意味がない。というか、そもそも開閉できない。構成員の全てが分子が飛んで来るのを待ってるだけの世界、マックスウエルの悪魔だけしかいない世界。そりゃただの死んだ世界だ」
「キモオタ―、チョコくれよ」
男児が砧の手を掴んだ。別の女児も「キモオタ兄ちゃん、チョコ頂戴」と手を引く。
「うるさい、じゃんけんの時間は一時間後だ。どうしてもってならあかぼうくん探せ」
「あかぼうくんの正体萌姉ちゃんじゃん。萌姉ちゃん、早く着て来てよ」
「うっさい。あれは暑いんだよ! 少しは休憩させろ」
「キモオタ、説得しろよ。使えねえな」
「うるさい、向こう行け。俺は大けがしてるんだ。見りゃ分かるだろ?」
「嘘つけ。デンさんはネンザだって言ってたぞ」
「ネンザって何?」
「ケガのちっちゃいの?」
「人を雑魚扱いするな」
「キモタお兄ちゃん、あたし、向こうですごく変わった虫見つけたよ」
「本当か?見せろ。嘘なら本気で針飲ませるぞ」
「俺もすんげーでっけー虫みつけたぞ!」
「お前の話は『世界のほらふき話』ばりにホラばっかりだから嫌だ。たまには本物持って来い」
「じゃあバンヤン親方読んでよ」
「朗読はエマに頼め。っていうか、操作効かないぞ、この車椅子?八島か?ノノ、助けろ」
萌に怒鳴る砧を、小児たちがもみくちゃにし始める。
「キモオタ、早くチョコ持って来いよ」
「あかぼうくん連れて来いよ。チョコ持たせて」
「ていうかデンさん呼んで来いよ」
「あ、こら、頭叩くな!虫はどこだ?あ、今蹴ったのお前だな。俺は絶対忘れないぞ」
小児に囲まれ、四方から小突かれたり引っ張られたりする車椅子の砧を見ながら萌が呟く。
「マックスウェルの悪魔がいないと、白雪姫、じゃなくてキモオタは、小人に寄ってたかって蹴られて、ジグザグに動いていく、と」
そしてため息をつき、小さく笑った。
「ま、キモオタじゃないけど、あたしたちはあがきまくるよ。どうせそこに何があるかなんてわかんないし」
それから目を細めながら地蔵菩薩像を見上げる。
「それでいいんだよね、真昼」