2. 〝風立ちぬ〟
「風立ちぬ」(堀辰雄)から
地蔵像の足元で、屋台のテントを大勢の家族連れが出入りしている。県や町、そして出店者たちのオリジナルキャラクターの着ぐるみが、あちこちで客を呼び込んだり記念撮影をしたりしている。その傍らで、車いすに座った砧が電話を耳に当てている。
「ええ、どっちかって言うと、しゃくなげっつーより桜公園祭りですね、今は」
敷地を囲む満開の桜を見回しながら答える。
「ノノは今さっき二回目のじゃんけんが終わって、着ぐるみを脱ぎに行ってます。ええ、俺はこんな状態なんで、八島とクレアが脱着を手伝ってます。あ、俺は、じゃんけんに勝ったこどもに景品のチョコレートを渡す役で」
背後の更衣用テントを見やる。法被姿の二人が出て来るのが見える。
「浅麓園の子供も、先生も来てますよ」
車椅子の向きを変え、射的に興じる幼児たちを見る。
「そうすか。じゃあ、ノノ達に伝えておきます」
「暑っ。こっちはあんな暑い着ぐるみ着て、ガキ相手に汗だくでじゃんけんがんばってんのに、何のんきに電話してやがんだよ」
頭を軽く叩かれて振り返ると、汗に濡れた頬をハンカチで拭う萌が立っていた。
「ヒビも入ってない、全治二週間のザコなのに、八島クンが用意してくれた電動車椅子で」
「八島は俺に借りがある。そもそも正確に言えば八島じゃない。八島工業会長からの借り物だ」
「どっちでも同じだよ。お兄ちゃんが午前はどうしても仕事で来れないからあんたが代わりに、って言ったら、二人とも『お世話になってるから』とか。呉服サンの『お兄様』って言い方だけはちょっとムカつくけど」
「一応地元のイベントだし、取材も兼ねてってことでちょうどいいだろ」
「チョコ配る以外役立たずのあんたが言うな。てか、うちの制服着た連中もけっこういるね」
萌が、園内の端の方でスマートフォンをいじったり談笑したりしている少年少女を見回す。
「三年の課外授業の選択肢の一つだからな。参加して、レポートを書いて提出しないと赤点だ」
「校長はさぼってるくせに」
「あの朝の記者会見の後じゃ人前に出られないだろ」
「まあ、そうかもしれないけど」
萌が周りを伺い、小声になって砧の耳元に顔を近づけた。
「て言うか、校長って、結局アレなの?お兄ちゃんに訊いても、『本人に訊いてよ』ってはぐらかされるし。八島クンたちも気になってるみたい」
「アレって何?校長とデンさんが付き合ってるのかってことか?」
「ば、バカ言うな!」
萌田が体をのけぞらせ、怒鳴った。
「そんなわけないだろ!お兄ちゃんみたいなイケメンとあんなババア!」
「まあそれはそれとして」
「おい!話の途中だろ!何か知ってるなら話せ!今すぐ話せ!」
「GN株は、何だかんだで買いが殺到して、休み明けにはかえって値段が上がるだろうけど、逆にGNロジの社長は多分休み明けには背任で逮捕されるだろうし、文科大臣にも飛び火するだろうし、結構影響でかいぞ」
「そんなこと関係ねーよ!お兄ちゃんとババアのことを話せ!」
「デンさんたちにはあるだろ?GNロジに切り替えてた企業の相当数が契約見直すだろうからな。従来の運送会社に仕事が戻る分、また保守的になるかもしれないが」
「そ、そうかもしんないけど」
「あ、そう言えばデンさんから今電話があったぞ。引越しが終わって、荷台を片付けてからこっちに来るそうだ」
「え、そんなに早く?」
萌がショートパンツのポケットからコンパクトミラーを取り出し、髪に指を走らせた。
「随分思い切ったな。短い髪も似合ってるぞ」
「何それ?あんたでもそういうこというの?てか、あんた、そもそもあたしの顔知ってるの?」
「知ってる。空気レンズで見た」
「うわ、キモ。それって要は覗きじゃん」
「普段晒してるものを見る分にはいいだろ」
「人の顔を汚いもんみたいに言うな!」
萌が砧を睨みつけ、それから視線を切って笑った。
「ま、あたしも県内にこだわらないようにする。撮影の仕事が入ったら、離島でもどこでも行くよ。深夜にはあたしだけじゃないしね」
「泊まりでもいいぞ。ノノが不在の間の配達エリアは俺に任せとけ」
「自分のエリアもろくに回れないくせに何言ってんの?てか、あんた、そう言って全部お兄ちゃんに丸投げするつもりだろ?実際、あれ以来一週間、あんたと微笑のエリア全部、あたしの受け持ちの一部はお兄ちゃんが代わってくれてるんだし。バイクが直るまでの景清君のエリアの一部は、まあ仕方ないにしても」
「相変わらずデンさんは役に立つな」
「だから役に立つって言うな!」
そう言ってから、砧を見下ろして苦笑する。
「まあ、でも、何だかんだで微笑が助かったのは、あんたのおかげでもあるしね」
「容体も落ち着いて、浅麓医療センターに移ったって話だが」
「うん、昨日ね。面会許可が出て、今日、深夜がお見舞いに行ってる」
「ノノは行かないのか?」
「行くよ。でも、最初は二人きりの方がいい」
「そうか。まあ、ノノが行ったところで早く治るわけでもないし、どうでもいいな」
「あんたの最低ぶりは相変わらずだけどね」
萌がため息をつき、それから顔を上げた。
「あれ?景清クンも朝いたよね?」
「景清は向こうの墓に行った」と砧が東の方を指さす。
「そう」
萌も山門を見る。
「雨月も、教頭がいなくなったってのに、いつも通り」
「教頭なんて、校長以上に生徒とは接触ないのが普通だからな。でも、世間は違う。今朝の臨時記者会見で、槍もまた保留になるだろう。教育委員会や文科省、その他の関係省庁は大騒ぎだし、道成寺文科大臣を担ぎ上げようとしてた勢力にも大打撃だろ?」
「まあね。深夜と同室だったお婆さんのこともあるから、あたしはちょっと複雑だけど」
「本人は多分、多少は覚悟の上だろう。とは言っても、結果的には、誰でも考えるけれど実行できない、するわけにはいかなかった形になった。確実に何らかの対策を国民から期待されるはずだ。胡散臭いとはいえ、ノーベル平和賞受賞者だしな」
「うん。それもこれも、全部」
「まったく、ハゲタカも無駄な死に方しやがって」