14. 〝交渉人〟
「交渉人」(F・ゲイリー・グレイ監督 1998年のアメリカ映画)から
地面に倒れた砧の足に、ショベルカーの一方のバケットがバケットが覆いかぶさる。
「折れた!絶対折れた!少なくとも脛にヒビが入った!泣くぞ!ていうか既に涙が出てるぞ!」
「チェックメイト」
八島がキャタピラカバーから降りる。ショベルカーのもう一方のアームの爪が、砧の眼前で静止する。
「なのか?」
「き、訊くまでもないだろ。俺にこれ以上どうしろっての?」
「君が簡単に追い詰められるとは思えない」
「いや、俺は十分がんばったよ。俺は俺を褒めてやりたいよ」
「どんな切り札を隠してる?」
「人の話聞く気ないだろ?」
「それは砧の方だ」
八島が更に砧に詰め寄る。
「僕は多分、将来的には曾祖父の会社に入る。認められれば経営を担う可能性もある。それ自体は、数年前まで孤児だった僕にはとても幸運なことだと思っている」
「そんなことどうでもいいよ。八島の将来より俺の今の足の方が大事だ」
「景清や呉服は、君の洞察力や観察眼を高く評価している。景清はそれを恐れ、そして呉服はそれに惹かれている。だが、僕からすると、それは大した問題じゃない。そういう優れた能力はある程度は訓練で身につくし、現時点の君より優れた人たちは世の中にいくらでもいる。僕も努力すればその程度は超えられるだろう。君の魅力は、そこじゃない。君の本当の優れた資質は、君が不要な要素を斬り捨てる時、ためらわないことだ」
「俺は痛すぎて聞いてないからな!」
「ほとんどの人は、仲間を切り捨てなければいけない場面で迷う。それが今、確実に不要な要素であっても、それまでの関係を思い出し、相手がどう思うかを恐れ、そして、自分がその判断を忘れられないことに怯え、逡巡する。その迷いは、それがたったの二歩分の時間であっても、後の展開に影響する。だが、君はそれを恐れたり、それに怯えたりしない。君にとって唯一大切なのは自分であり、他はそのための駒でしかないから。だがそれは、将にとってもっとも重要な資質だ。自身は生き残らなければならない。一方で、九十九人を生かすため、一人を殺すのをためらってはいけない。その一瞬の迷いが命取りになる」
八島がゆっくりと地面に片膝をついた。
「砧。もし君が僕たちのリーダーとして立ち上がってくれるなら、僕は喜んで君に従う。君が僕を活用してくれることを望む。どれほど努力しても、その一点で僕は君に及ばないから」
「俺がどうってのは置いといて、別に八島は八島の方法でやればいいんじゃないの?人を切り捨てるのに悩むなんて、人間らしくていいじゃないか。そういうタイプの方が人の信頼も得られるぞ、きっと」
そして自分の右足を指さす。
「だから、俺にも同情して早くバケットをどけてくれ」
「頼む、僕たちと一緒に来てくれ」
八島がもう一方の膝をつき、頭を下げた。
「わかったよ。そっちにつく。腹の探り合いは時間の無駄だ。何より俺の足が痛い。八島たちの話に乗るから、早くこれをどけてくれ」
八島が立ち上がり、アームを見上げる。それから視線を砧に戻し、首を横に振った。
「やっぱり、切り札を隠してるな」
「いや、そんなもんあったらとっくに使ってるから」
「どんな切り札を隠している?この状況からどうやってひっくり返すつもりだ?」
バケットが再び動き始める。更に砧の足を圧迫し、そして止まった。八島が振り返る。
「呉服」
「油圧ホースの油を凍らせたわ」
建屋の陰から呉服が出て来た。隣に俯き加減の萌がいる。
「八島、もうやめましょう」
「でも、呉服。君の望んだ自由はどうなる?」
「友達のために、こんなにぼろぼろになることもいとわないような子。そんな子を踏み越えなくちゃ自由が得られないなら」
雲が流れ、月明かりが呉服と、ざんばら髪の萌を照らし出した。
「私はそんな自由なんて要らない!一生権力の奴隷でいい!」
「呉服?呉服がそこまで感情を表に出すなんて」
「いや、普段はクールビューティー気取ってるが、クレアはもともとそんなもんだろ?」
「砧君?」
「砧?」
「もちろん、八島もだ。大体お前たちが、自分たちの目的のためなら他者の、それも、仮にも今まで一緒に活動してきた仲間を切り捨てても平気って言うような屑か?違うだろ?本当の屑は、逃げないとわかっていても『逃げろ』という作戦を与える俺みたいなのを言う」
萌がゆっくりと顔を上げた。髪に隠れていない唇が歪む。
「キモオタの、バカ、やろう」
「砧君?」
「砧、もしかしたら、君は?」
「気付くのが遅いよ。おかげで俺は痛みだけで死にそうだ。というか寿命が縮まった。治療費だけじゃないぞ。慰謝料も請求するぞ」
「砧」
「そうだ。俺の切り札は、敵であるお前たちだ」