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wO-LVes ~オオカミのいる日本~  作者: 海野遊路
第十三章 『存在しなかった惑星』
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9. 〝痴人の愛〟

 水しぶきの中駆け出した萌が呉服に組みつき、そのままの勢いで背後へと倒れこむ。二人は濡れた芝生の斜面を重なり合って転がり落ちた。傾斜が緩やかになり、速度が落ちると、両者は相手を引きはがし、ふらつきながら立ち上がった。

「な、何をするの?」

 呉服がマントで口を拭い、唾を吐いた。

「あーら、呉服サンともあろうお方が下品なこと」

 萌も草を払い落としながら立ち上がる。

「下品なのは野宮さんでしょ?気持ち悪い」

「あたしは、あたしにとっての一番以外とは全部ノーカンだから。それより、メガネなしでちゃんと見えてるんすか?」

 萌が斜面を見上げる。

「大事なものなんだから、ちゃんと外れないように気を付けないと」

「くっ」

 呉服が萌の視線を追う。雲が月を覆い、再び雨がぽつり、ぽつりと落ち始める。

「私を動揺させて眼鏡を奪うのが目的だったのね?」

「ま、使える手段は何でも使うし」

「予備がないとでも?」

 呉服が懐を探り、それから眉をしかめる。

「探してるのって、これ?」

「あ」

 萌が眼鏡ケースを見せ、すぐにしまう。

「もみ合ってる時に失敬しちゃった」

「砧君ね」

「何が?」

「野宮さんに作戦を与えたのは、砧君でしょう?野宮さんが私を皆から離したのは。さっきの蜃気楼の時みたいに、私たちには知りえない方法で」

「半分は合ってるけど、半分は違うかな」

「どういうこと?」

「お兄ちゃんと真昼とキモオタは、男同士の絆とか言って、三人にしか通じない、片手だけで会話できる方法を編み出した。あたしたちには教えてくれなかったけど、事故の後、真昼のノートから深夜が見つけた。ベースはキモオタの発想みたい。あたしも深夜んちに行った時、こっそり写真撮って勉強してた。人差し指から小指の開き方と、親指の伸ばし方で五十音。反対にすると数字、みたいな。例えばこれだと」

 萌が左手を開いたり閉じたりした。

「キ、モ、オ、タ、キ、モ、イ、って感じ。ほんと、くだらないことは良く思いつくよね。でも、あいつもよくわかんないよね。あたしを味方だと思ってなきゃ、車ん中で、バルカンパークで呉服さんたちと戦うことになった場合の作戦なんて教えなきゃいいのに。フケ飛んで来たらマジ撃ってたし」

「ウルヴズが戦闘の際に自分のウイルスを使う場合、その戦略に汎用性はないわ。武器に頼らざるを得ない野宮さんも同じ。例えば、絵馬さんと景清が対峙した時、絵馬さんに可能な戦い方を野宮さんや私が知っても真似できない」

「あ」

「砧君は誰も仲間だと思っていない。一方で、私が味方じゃないのは知ってる。野宮さんが私を攻撃しても砧君に不利にならないし、私との場合の戦い方を教えた後に野宮さんが敵だとわかっても、彼にとってのデメリットはほとんどない。多分、絵馬さんに対しても同じ」

「へー、意外にキモオタのことよくわかってんじゃん。あんなに嫌ってたのに。あ、でも、あいつ、自分で作って寄越した銃で脅迫されてんだよ、あたしに。そのおかげでここまで来ざるを得なかったんだから、ほんとバカだねー」

「それはどうかしら。彼が本気で野宮さんから逃れようとしたなら、最低でも十通りの方法は思いつくはず。彼は確認したかったのかもしれないわね。自身の推測が正しいかどうか。そのためなら、他者の感情でも利用する」

「何、あたしが騙されてたって言いたいわけ?まるっきり否定できないところがムカつくわ。とりあえず後で二、三発ぶん殴っておく」

「そうやって」

 呉服が顔を歪ませる。

「そうやって毒づきながら、結局野宮さんはいつも彼と一緒にいる。絵馬さんも、絵馬君もそうだった。そこにいるのは私じゃない」

「は?」

「男のくせにやたらに彼にまとわりつく絵馬君と、それを諫めながらも嬉しそうな絵馬さん。そして、彼を罵倒しながら楽しそうに笑ってる野宮さん。私はその光景をずっと見せつけられて来た」

 雨が段々強く、そしてみぞれまじりになる。

「絵馬君が亡くなっても、その席は私には回ってこなかった。ただ、永遠に誰も座れない空席ができただけ」

「えっ?ちょ、ちょっと待って。呉服サン、よりによって?マジで?」

「笑いたければ笑いなさい」

「いや、笑えないよ、笑っちゃうけど何か笑えない。ていうか、そんなにあいつにこだわるなら、呉服サンたち陣営にあいつを誘っとけば良かったじゃん」

「彼は理念や理想では動かないわ。彼の判断基準は、『それが長期的に見て自分にとって得か損か』だけ。そして私たちの側に立っても、彼の基準で彼の得になることは何もない」

「そうそう、あいつはそういう、自分のことしか考えない最低の奴。わかってんのに、何で?」

「答える必要ないわ」

「まあ、あたしも、呉服サンがあんな奴にアレなんてキモい理由、知りたくもないし。でも」

 萌が腰のあたりに手をやる。銃声が響く。

「真昼が死んだことに、深夜が重傷を負ったことに呉服サンたちが関わってるなら、あたしはあんたたちを絶対許さない」

「弓矢に銃にスタンガン。一種の武器マニアかしら?でも、水がこれだけ豊富な状況で、飛び道具好きなあなたの前に立った私が壁を作るって考えなかったの?」

 凝集した氷の壁で銃弾を防いだ呉服が答える。

「別に、あたしはただ、あたしにとっての一番に仇なす奴らを排除できれば、手段は何だっていいから」

「でも、しょせんは改造拳銃でしょう?初速も矢とあまり違わないみたいだし、わざわざ銃刀法に違反してまで、メリットあるの?」

「収納場所が小さくて済むよ。それに、速過ぎるとうまく曲がらないし。ていうか、ウルヴズに銃刀法関係ないし」

 銃声が再度響いた。呉服が小さく呻き、肩を見やる。毛皮が少し破れ、僅かに血が滲む。

「やっぱぶっつけ本番だと難しいね。そもそも矢とは軌道自体違うし、雨も降ってるし」

 萌が首をかしげる。肩を抑えた呉服が訊く。

「それも彼の案?」

「それ言うなら、矢を曲げるのだってそうだし。あいつ、ほんと悪知恵は働くよね」

「武器も、アイデアも、野宮さんたちばかり。私は彼から何ももらえてないのに!」

「そりゃ、何もあげないでもらうことばっかり期待するのは、いくらあいつがキモくても図々しいでしょ?バレンタインにチョコでも上げたら?あいつ、真昼と深夜くらいにしかチョコもらったことないから」

「私は」

 呉服の肩が震えだす。頬を雨が伝って落ちる。

「私は、男同士だから、男同士なのに平気で彼に腕を絡めていた絵馬君が憎い!どんな理由があろうと、彼への感謝の気持ちを率直に表現できる絵馬さんが憎い!何より、例え罵り合いながらだろうと、当然のように彼と一緒にいられる野宮さんが憎い!」

「あいつのことなんかより、真昼が死んだことについてはどうなの?あたしにとってはそっちの方がずっと重要なんだけど」

「それも答える必要ないわ」

「じゃ、深夜の敵ってことだよね」

 萌が顎をしゃくり、そしてもう一度銃を構えた。

「こいつのいいところはもう一つ、連射が可能ってこと」

 同時に銃声が重なる。萌に対して斜めに立つ氷の壁が、銃弾を弾きながら削られていく。

「連射は確かに魅力よね。でも、せいぜい十数発程度で連射を語るつもり?」

 萌が小首を傾げ、慌てて空を見上げる。それから駐車場の屋根の下に転がり込んだ。今まで立っていた場所に無数の雹が落下し、氷の山ができる。

「くっ」

「この、私にとって都合のいい気象の変化も彼の予想通りかしら?」

 呉服の声が聞こえるが姿は見えない。壁に背を付け、銃を持ち直す。

「そうそう、もう引き金はひかない方がいいわ。暴発してもいいなら構わないけど。野宮さんが雹から逃げる時、拳銃が高温域から出ていたから冷却させてもらったわ。内部のスプリングがだめになる程度に。きちんと耐熱手袋をしていて良かったわね」

 萌が舌打ちをし、拳銃をホルダーに戻す。窓を割って屋内に侵入する。

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