3. 〝月に吠える〟
「月に吠える」(萩原朔太郎の詩集)から
「まさか」
深夜が呟く。雲の隙間からさしこむ月明かりに照らされたそれが、フードをはいだ。
「え、エミちゃん」
「深夜!」
萌が一歩踏み出す。呉服が萌を見る。
「動かないで!それ以上絵馬さんに近寄ったら」
萌の周囲がぼんやりと揺らめく。頬が上気し、髪が微かに波打つ。
「そうね、そうして周囲の気温を上げて身を守るしかないわね。どこまで守れるかわからないけど。絵馬さんも。でも、八島や砧君は見捨てるの?」
「このメンバーなら深夜さえ守れれば他は興味ないし」
「おい、ノノ、それはないだろ?エマはどうでもいいから俺を守れ」
「あんたこそどうでもいいわ」
「砧君の言う通り、水無瀬さんも私たちと行く。誘拐はもちろん、あなた方を呼び出すためのお芝居」
「微笑!あんた何考えて」
「手ェ貸してやるよ」
景清が電線の通っていない仮設電柱に向けて右手を振った。三分の二ほどがえぐれ、分断された鉄筋が露出し、電柱が深夜と微笑に向かって傾き始めた。
「深夜!」
萌が叫ぶと同時に地鳴りと土埃が舞い上がった。粉々に飛び散ったコンクリートを呆然と見ていた深夜がはっとして顔を上げ、振り返る。地面に倒れ、砕けたうちの最も大きなブロックに微笑が手をかけるのが見えた。
「エミちゃん!?」
そして微笑の反対側に向かって左手をかざす。地面に落ちていた金属の板が舞い上がり、深夜を覆う。砕け散った破片が飛来し、即席の盾にぶつかる。
「深夜先輩が死ねば良かったんだ!真昼先輩じゃなくて、深夜先輩が死ねば!」
「エミちゃん?」
「なのに、真昼先輩が死んじゃって!しかも右手も、右足も、右目も深夜先輩がもらって!」
欠片が鉄板にぶつかる音に、微笑の絶叫が重なる。
「深夜先輩はたくさんもらえたのに、微笑は何にももらえてない!そんなのずるい!許せない!」
跳ね返って落ちた欠片も、また微笑の方に飛び上がる。鉄板で隠れ切らない毛皮が少しずつ切り裂かれて行く。
「エミちゃん、やめて」
「うるさいです!」
「だめ、やめて」
「右目も、右手も、右足も真昼先輩に返せ!」
「やめて」
「それが無理なら、微笑に寄越せ!だって」
「やめて!」
深夜が叫ぶと同時に微笑の体が硬直し、痙攣し始めた。その背後が揺らぎ、崩れ落ちた微笑を萌が抱きとめた。
「エミちゃん!?」
「微笑、あんたはちょっと眠ってな」
「萌ちゃん?」
飛来していたコンクリートのかけらがバラバラと落ちる。深夜が左手の鉄板を捨て、微笑に駆け寄る。
「大丈夫、半分気絶してるだけだから」
萌が手にしたスタンガンを見せた。
「意識はなんとなくあるだろうけど、しばらくは動けないよ。あ、八島クン、ちょっと手伝ってくれます?」
「あ、ああ」
八島が萌に駆け寄り、微笑を抱き上げた。彼女が守衛所の陰に運ばれるのを見つめていた呉服が、砧に視線を移す。
「そう、野宮さんと砧君で蜃気楼を作ったのね?そして野宮さんは、足元を凍らせ、溶かしてゆっくりと滑りながら水無瀬さんの背後まで移動した」
「キモオタと協力するなんて反吐が出るけど、背に腹は代えらんないし」
答える萌を呉服が睨む。
「意外に怒った演技がうまいな、クレア」
「はぁ? キモオタ何言ってんの」
「でも、クレア。無理に騙された振りをする必要ないぞ」