1. 〝コールド マウンテン〟
「コールド マウンテン」(アンソニー・ミンゲラ監督 2003年のアメリカ映画)から
「何か雨が降りそうだよ。下手すりゃ雪かも」
林の間、舗装された坂道を上る車内で、萌が窓の外を見ながら言った。
「おい、キモオタ。当然まだスタッドレス履いてんだろうな?」
「ノーマルって答えたら帰っていい?」
「ダメに決まってんだろ!撃たれたいの?」
「じゃあスタッドレス」
砧の答えに萌が舌打ちし、それから隣の深夜に訊いた。
「どう?近づいてる?てか、どこに向かってるの?」
「登山口方面。八島さんのおっしゃるようにサンラインを越えて正解だった」
「さすが八島クン。キモオタは相変わらず役立たず。てか、キモオタ!頭かくのやめろよ!」
萌が運転席の背もたれを後ろから蹴った。
「何で?オートマだから左手は必要ない」
「フケが飛ぶだろうが?ちゃんと両手でハンドル握ってろ!」
「飛ばしてんだよ。一刻も早くノノに解放されるように」
「ざけんな!マジ殺すかんな!」
「萌ちゃん!砧さんがせっかく好意で運転してくれてるのに、失礼だよ」
「いや、脅迫されてるんだけど」
砧が頭を掻きながらバックミラー越しに深夜を見た。
「エマ、ちゃんと見ろ」
「あ」
深夜が呟く。「あんたこそちゃんと前見てろ!」と怒鳴る萌の膝を深夜が手で揺する。砧が隣の八島を見る。
「八島もちゃんと前を見てろよ。シカやオオカミが飛び出てきたらまずいからな」
「あ、ああ」
「八島さん、景清さんたちとはまだ連絡取れないんですか?」
「ああ、まったく。微笑さんは?」
「その後連絡はありません。頼りはこのGPS情報だけ」
車は灯りのない細い林道を登っていく。月明かりが陰り、道路わきの草木の揺れが激しくなった。フロントガラスにみぞれまじりの雨が落ち始める。
「バルカンパークのゲートが開いてる。ついこの間は閉まってたのに」
「あ、ほんとだ。って、灯りがついて」
萌がそう言いかけた時、突然車外の景色が不自然な方向に流れた。車は回転しながら敷地内へと横滑りする。破裂音が聴こえ、場内に立った電柱にぶつかる直前でようやく停止した。
「何?パンク。大丈夫、深夜?」
萌が深夜を抱きしめたまま言った。深夜が頷き、「萌ちゃんは?」と聞き返す。
「あたしは大丈夫。そもそもキモオタが運転下手だから」
「萌さん、深夜さん、大丈夫か?」
「はい、二人とも大丈夫です。砧さんは?」
「アイスバーンだ」
砧は深夜には答えず今来た方向を見た。路面が月明かりを受けてキラキラ光っている。
「ほんとだ。こんな時期に?」
「さすがにそろそろ自然にできるような気温でもない」
「まじ?てか、こんなことできるのって」
萌が呟き、周りを見回す。向こうを向いたウルヴズがゲートを閉め、そして振り返った。
「まさか」
深夜が唾をのむ。それがフードをとった。
「呉服さん」
「呉服」
八島も一言漏らし、ドアを開けて車を降りた。他の三人も続く。
「呉服さん、どういうことですか?」
深夜が問い掛ける。呉服は答えない。
「エミちゃんが誘拐されたようです。私たちはエミちゃんのスマホを追ってここまで来ました。もしかして、呉服さんたちも?」
「おい、本当にパンクしてるじゃないか」
車の周りを周っていた砧が、左前部で止まった。
「これから帰るのにどうすんだよ?」
「何言ってんだキモオタ。まだ呉服サンとの話が終わってないぞ」
「ノノたちは存分に話し合えよ。俺は言われた通りエマたちを送り届けたんだから、この後はタイヤを交換して帰る」
「指が離れなくなってもいいならドアに触ってみなさい」
呉服の言葉に、砧が手を止める。
「呉服さん、どうしてここに?まだ式典会場にいることになっているのに」
「位置情報?そっか。とにかくお兄ちゃんに」
しかしスマートフォンを取り出した萌の手が止まった。
「圏外」
「私も」
「僕もだ。呉服?」
「当然アンテナは遮断したわ。念のために行っておくけど、監視カメラも含めて」
呉服の言葉を聞きながら砧がポケットに手を入れる。
「何だ、全員使えないな」
「ちょっと脅されたくらいでビビってるあんたよりマシ」
「俺とデンさんのホットラインを舐めるなよ」
砧が旧式の携帯電話を取り出し、ボタンを操作する。
「浅間山のバルカンパークなんか、要請がない限り誰も助けに来ちゃくれないぞ」
携帯電話を耳にあてようとした砧に向かって呉服が突然走り出した。彼女の前方にできたアイスバーンを滑走し、砧を蹴り飛ばす。呉服の足と交差する形で拳が凍った地面にめり込んでいる。
『存在しなかった惑星』(アイザック・アシモフ)から