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Time goes by  作者: 青鷺 長閑
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Prologue

 何もすることのないままに、一日が過ぎてゆく。何かしなければとは思いつつも、その何かが分からずに、結局は無為に時間だけを空費してしまう。

 どこぞのジジイやババアみたく、昔はよかった、なんて言うつもりはない。けど、子供の頃味わったもの新しさや感動なんてのは少なくとも大人になるにつれて減っていくものだと思う。そう実感している。

 毎日に何か楽しさが欲しい。変化があって欲しい。しかし歳を喰うごとに世の中のつまらなさは現実味を帯び、人生に飽き飽きした自分に降りかかってくる。

 いつからつまらなくなったか? 無意味な日々というのはある日ある時突然訪れるものではない。中学生になると小学校はよかったと言い出す輩がいれば高校生になると中学はよかったなんて言い出す輩がいる。かと思えばそいつらはかくして首尾よく適当な大学に進学し、今度は高校の甘酸っぱい青春の一ページを引き合いに出して語りだす。

 まったくおめでたい。そういう下らない口上を付けて仲間内の話題にする奴等もだが、それを「今が一番楽しいと知れ」などと諭す奴等もだ。今が楽しいだって? そんなことあるわけがない。言ってしまえば、小学校が最もよかったと思うならば、中学は次善、高校はそのまた次、大学、社会人と歩を進めるにつれて段々つまらなくなっていくということ。小学校と比べて中学校がつまらない、その中学校と比較して、高校がつまらない。それの連続が人生であることになぜ誰も気付かないのか。

 生きる効用は逓減する。こんなものかと己を見限った人間から命を落としていく。一見幸せそうな人というのは決して毎日が楽しいのではなく、ある程度のところで諦念の境地に入っているのだ。

 今日は昨日より楽しくならない。それを前提にして生きているから、たまに嬉しいことがあればそれを糧としていける。


 出自、生活柄、俺は周りから羨ましがられることが多い。だが自分で自分の人生を恵まれている、なんて思ったことは一度もないし微塵もない。テレビも見れればパソコンもできる、毎日学校に通えるのだからそれで幸せと言わないのは戦争地域の子供達に失礼だという言葉もあろうが、それは少しお門違いだ。もちろん貧困な人々が毎日苦しい目に逢っている、いつかはそれを解決していかなければならないという問題意識は持っている。しかしこの場合比較対象として引き合いに出すべきは同じ生活水準で暮らしている俺と似た年代の人々だろう。

 スポーツ万能、成績優秀……とまではいかないが、やればそれなりの結果は出る。高校、大学ともそこそこの公立校に進学したし、就職も首尾よく都心の一般企業に早々と内定を貰った。母は学校教師、父はメガバンク勤務で生活に苦しむこともなく、仕事で上京するまで穏やかな日常を謳歌できていた。

 だから、俺はそれが当たり前なのだと思っていた。何も不満なことはないけれど、これといった起伏もなく、つまらなくなっていく人生をただ淡々と消化していくのだと。


 高校に入った辺りから俺はそのことに薄々勘付き始めた。四年間の長い長い夏休みを経て社会人になった今それは確信を持って言えることとなったわけだが、さしあたって青春時代「世の中捨てたものじゃない」と少しでも思えていた、そんなエピソードを幾つか書き綴ってみようと思う。


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