第二章 『強くてニューゲーム?』①
第二章 『強くてニューゲーム?』
「じゃあ、その男の子の霊体を取り出して、僕が入る。つまり、その男の子の代わりに、僕が“来年の三月三十一日”までをすごすってこと?」
上空三十メートルほどを平泳ぎで飛行しながら木村がたずねた。ここまでに、クロール、背泳ぎ、犬かき、バタフライなど色いろな泳法を試してみた結果、これに落ち着いたのだ。
「はい。非常に粗っぽい言い方をするとそのようになります。しかしながら、現実は簡単ではないかと」
そうテンコが答える。その顔は、言葉どおりに厳しい。
「大丈夫だって。その男の子って、まだ十歳なんだろう? 小学生じゃないか。小学校の勉強なんて、楽勝、楽勝」
「いえ、学習だけが問題ではありませんよ。というより、むしろ、そちらのほうは“おまけ”のようなもので、本当の目的は……」
「分かってるよ。体力作り、だろう? それについても任せてよ。こう見えても、僕、昔は陸上の選手だったんだから」
走っている動きを表現したいのか、木村はうつ伏せた姿勢のまま腕だけを腰の辺りでふって見せた。
「本当にお願いしますよ。このお仕事、ひとりの男の子の命が懸かっているんですから。それに、失敗なんてことになったら、私も……」
ひどく怯えた様子で、テンコがその身を震わせる。
「それなんだけど、テンコちゃん、神様から言われていたよね。僕をしっかりとサポートしないとトイレットペーパーの刑だって。それって、いったいどんな刑なの?」
「知りたい、ですか?」
急にぴたりと空中で停止し、テンコは木村を見つめた。
そんな彼女に合わせて、木村も平泳ぎをやめる。
真っ直ぐな少女のまなざしが、彼に注がれた。
「何だか、今、とんでもない地雷を踏んだような……」そう思う木村。
しかし、それでも好奇心には勝てず、彼は答えた。
「それは、知りたいさ」
「そうですか」
木村の返答で意を決したようにうなずくと、テンコは言った。
「分かりました。お話しします。トイレットペーパーの刑というのは、神様のお怒りが最高点に到達した時に発動される刑罰です。その対象者は、主に、日本国に重大な被害をもたらした人間や“おかま”をあざ笑った人間。他には、“おかま”を利用して悪さをした人間や“おかま”を騙してお金儲けをした人間などです」
「ほとんどが“おかま”関連じゃないか。まぁ、いいや。それで?」
「はい。それで、本来、そのような者たちは死後に地獄へと向かうことになるのですが、それを神様は認めません。貴様には、地獄すら生ぬるい。そうおっしゃり、天界に連行。その姿をトイレットペーパーに変えてしまうのです」
「それって……、わ、分かった。もういいよ」
何となく先の読めた木村が、テンコの話を途中で終わらせようとする。
しかし、「ここまで聞いたのだから、最後まで聞け」とでも言うように、彼女は続けた。
「トイレットペーパーに姿を変えられた者たちは、神様専用トイレにあるペーパーホルダーにかけられます。そして、そこで昼夜を問わず、“アレ”のあとの神様のお尻を拭くことになるのです。そのため、神様のトイレからは、度々、断末魔のような絶叫が聞こえてきます。さらに、この刑の恐ろしいところは、終わりがないことです。森羅万象において転生など赦されず、ただただ“神様のお尻拭き”として、永遠の時をすごさねばならなくなるのです」
「それが、……トイレットペーパーの刑」
「そうです。現在まで天使がこの刑に処されたことはありませんが、神様は、一度決めたことは必ず実行なさるお方。私が、第一号になってしまう可能性も……」
ペーパーホルダーに吊るされた自分を想像し、テンコは頭を抱えた。
一方、隣では、同様に木村も頭を抱えている。
「どうして木村さんまで怯えているんですか? しっかりしてください。私には、もう貴方しか頼る人がいないのですよ」
「でも、テンコちゃんがトイレットペーパーになるってことは、当然、僕も抱き枕にされて……」
すっかり気弱に戻ってしまっている木村に、テンコは強い口調で訴えた。
「でももヘチマもありません! お願いします! 助けてください!」
天使の瞳に、大粒の涙が浮かぶ。
その涙を前にして、木村は思った。「自分は、かつて誰かからこれほどまでに頼りにされたことがあっただろうか?」と。
……ない。
「ならば」と、精一杯に強がり、彼は言った。
「安心して、テンコちゃん。十歳の時も小学生も、僕は一度経験しているんだ。つまり、僕にとっては、強くてニューゲームをするようなものさ」
「強くてニューゲーム?」
テンコが首をかしげる。
「一度クリアしたゲームを、強くなったレベルで最初からやり直すことだよ。四十三歳の僕は、十歳の一年間を三十三年前に一度クリアしているからね。強くてニューゲーム、ってわけ」
「なるほど。そう言われれば、確かにそうですね」
何だか少し希望が出てきた様子で、テンコが微笑みを浮かべる。
だが、木村がほっとするのも束の間、すぐに彼女はその表情をくもらせた。
「どうしたの?」
「あ、いえ、大したことではないのですが、人生の半分以上をニートとして生活していたとしても、強くてニューゲームになるのでしょうか?」
ぐさり。木村の心が、杭を打たれたように痛んだ。
「それ以前に、そもそもニート生活で、人間としてのレベルは向上するものなのでしょうか?」
ぐりぐり。打たれた杭をえぐられる。
さらには、
「そもそも、四十三歳でニートって……」
と、二本目の杭まで打ちこんでこようとするテンコ。
木村は慌ててそれをとめた。
「と、とにかく、今は病院に急ごうよ。神様からもそう言われているんだろう?」
「あ、はい。そうでした。行きましょう!」
これまでの会話がなかったかのように、テンコは一目散に飛び立った。
どうやら彼女、人間の中にもまれにいる“自分ではまったく意識せずに、他者を傷つけてしまうタイプ”らしい。
まるでプレパラートを作る時に乗せるカバーガラスのように壊れやすい心を持っている木村は、これから始まる一年間に、早くも大きな不安を抱くのだった。
ご訪問いただき、ありがとうございました。
次回更新は、4月14日(土)を予定しています。