第一章 『貴方は、死にました』⑥
時にして十秒ほどがすぎ、今も頭を下げ続けているテンコにそっと木村が言った。
「あの、テンコちゃん。神様、もういなくなったけど」
「え? ほ、本当ですか?」
慌ててテンコが顔を上げる。
それから、先ほどの場所に神様の姿がないのを確認したのち、彼女は、「ほっ」と小さく息をついた。
「ねぇ、神様って、すごくテンコちゃんに厳しいみたいだけど、何かあったの?」
ずっと気になっていたことを木村がたずねる。
すると、テンコは小さく首を横にふって答えた。
「いいえ。私に、というより、この世の全ての女性、性別でいうところの“雌”に対して、神様は厳しいのです。“神である私でさえ、なりたくてもなれなかったのに、いとも簡単に女になっているなんて許せない”と」
「なるほど」
神様の容姿を思い浮かべ、何となく木村は納得した。
そこに、テンコはさらに言葉を足した。
「あ、ですが、逆に男性に対しては誰にでも優しいのかと問われると、そこまでではありません。善いものは善い、悪いものは悪い。その辺りの善悪の判断は、きちんとなさります」
「へぇ、そうなんだ。でも、一年早く死んじゃった僕に説教するなんて言っていた神様、そんなに怒っている様子でもなく、優しかったけどなぁ」
思ったままの感想を木村がつぶやく。
テンコは言った。
「それは、木村さんが特別だからです」
「僕が、特別?」
「はい。男女で多少の違いはあれども、基本的に人間には平等に接する。そんな考え方を神様はお持ちです。しかしながら、それが恋愛感情となると話は別。はっきり申し上げれば、神様は、貴方のことを愛しておられます」
「あ、愛してって……、冗談、だよね?」
「冗談などではありません。恋愛は、いわば異性へのランク付け。つまり、“異性に対する不平等の最たるもの”が、恋愛感情なのです。そのため、神様が、ご自身にとっての一位である木村さんに、意識せずとも優しくなってしまうのは、当然のことかと」
「でも、それって、テンコちゃんの予想だよね。神様が、本当にそう思っているのかどうかまでは……」
「いいえ、この耳ではっきりと聞きました。木村さんは、“キムタク”さんをご存知ですか?」
「それって、僕の名前と一字違いの“キムタク”のこと? もちろん知ってるよ」
「その“キムタク”さんと比べても、神様は、木村さんのほうが好きだとおっしゃっています」
「いやいや、そんなわけないよ。だって、向こうは国民的アイドル。大スターだよ」
木村は笑い飛ばした。
だが、テンコは至って真剣だ。
「もちろん、神様も“キムタク”さんのファンです。遠い将来彼が亡くなったら、ツーショットで写真を撮り、それにサインを貰ってベッドルームに飾りたいと考えていらっしゃいます。ですが、木村さんの場合は……」
「僕の場合は?」
「ぜひ、抱き枕にしたいと」
「だ、抱き枕?」
「はい。貴方を抱き枕に変身させて、毎晩一緒に眠りたい。そんなことを神様はおっしゃっていました。……乙女心ですね」
神と天使は似た者同士なのか、共感の証である笑みをテンコが浮かべる。
「乙女心って、怖い」そう思い、木村はその顔を凍りつかせた。
そこに、はたと何かを思い出した様子でテンコは言った。
「そういえば木村さん、私たちは急がないといけませんでした。行きますよ」
「行くって、どこに?」
「病院です。この街で一番大きな病院」
「え? 僕の体、どこも悪くないけど?」
「何を言っているんですか。神様と約束したでしょう。お仕事をするって」
「ちょ、ちょっと待って。僕、病院で働くの? 医師免許も看護師の資格も持ってないのに」
「それについては途中で説明しますから。とにかく、今は急ぎますよ」
テンコは、木村の手を握った。
「でも、病院は街の中心にあるんだよ。ここからだと、歩いて三、四時間は……」
なおも話し続ける木村に、テンコは、
「平気ですよ。貴方は、もう亡くなっているのですから」
そうさらりと告げると、そのまま崖の先へと小さな体を投げ出した。
「う、うわぁ!」
手をつながれている木村も、一緒になって飛び出す。
ところが、重力に従い真っ逆さま、などということはなく、木村とテンコは風に乗ってふわりと空に浮かんだ。
「ぼ、僕、飛んでる」
木村が、呆けたような声を出す。
「霊体なのだから当然ですよ。さぁ、行きましょう」
街中を目指して、テンコは一直線に飛んで行った。
「あ、待ってよ」
慌てて木村も白い翼の生えたテンコの背中を追いかけようと動き出す。
その時、
「……あ」
一瞬だけ彼の視線が下に向き、その両眼に、今も崖下で動かぬままの自分の死体が映った。
これが、木村拓未、“本体”との永遠の別れであった。
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これにて、第一章終了です。
次回、第二章初回更新は、4月11日(水)を予定しています。