第一章 『貴方は、死にました』⑤
「あ、あの、神様」
神様と木村の会話が一段落したのを見計らい、恐るおそるといった様子でテンコが声をかけた。
「何? せっかく拓未ちゃんと楽しく語らっているのに、邪魔するっていうの?」
じろり。神様が睨みつけてくる。
「い、いいえ。そんなつもりは……」
テンコは、ひれ伏すような勢いで崖の先端にひざまずいた。
「分かってるわよ。もう時間がないって言いたいんでしょう。まったく、神様稼業も楽じゃないわね」
ぶつぶつと愚痴りながらも神様は、木村に視線を向け直した。
そして、テンコと話す時とは打って変わった猫なで声でこう切り出す。
「ねぇ、拓未ちゃん。本当はこんなことしたくないんだけど、私、神として貴方にお説教しなくちゃならないの。聞いてくれる?」
「は、はい」
「説教」その言葉に、木村は真っ直ぐに立ち、その身を正した。
「あらあら、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
くすりと笑って、神様は続けた。
「拓未ちゃん。貴方は、三月三十一日の今日、死を迎えた。それは、もう分かっているわよね?」
「はい。僕は、この崖から飛び降りて死にました。だから、今の僕は幽霊です」
「そう、そのとおりよ。物分かりがよくて助かるわ。理解が早い男の子も、私は好き。……でもね、困ったことに貴方は、その死について、ひとつ間違いを犯しているの。何だか分かるかしら?」
「自殺したこと、ですか?」
それしかなかろうと、木村が答える。
ところが、意外なことに神様は、小さく首をふった。
「まぁ、道徳的な観点に立てば、それも正解だと言えるわね。でも、今回は違うの」
「今回は違う?」
「えぇ、そうよ。今回、死に方はさほど問題じゃないの。いいかしら、少し難しい話だけどよく聞いてね。拓未ちゃんの命日、つまり死んだ日のことだけど、それについては、三月三十一日で正しいわ。だけど、問題なのは、その年。貴方が死ぬのは、今年ではなく、来年の今日。“来年の三月三十一日”だったの」
「じゃあ、僕は、一年早く死んでしまったってことですか?」
「そういうこと。日本の神である私は、日本人の生と死の管理も行っているの。人口を増やしすぎたり減らしすぎたりしないよう上手に調整して、日本人という人種の保護に努めているってわけ。それなのに、貴方たち人間は、与えられた天命をまっとうしようとしない。まだ病魔と闘う力が残っているのに途中で諦めちゃったり、拓未ちゃんみたいに、勝手に人生の幕引きをしちゃったり……」
明るかったこれまでとは対照的に、神様は少し悲しそうに小さくため息をついた。
そんな顔をされてしまっては、死んだことを「ブラボー」などと言っていた自分が恥ずかしくなる。
「すみません」
と、木村は素直に頭を下げた。
「いいのよ、拓未ちゃん。潔さは日本人の美徳でもあるから仕方がないわ。でもね、これだけは覚えておいて。人間というものは、“生まれたことより、生きることに意味がある動物”なの。だから、死を迎えるその瞬間まで、自分の命を輝かせ続けなければならない。そこで、貴方に質問よ。木村拓未。貴方は、自らが死を迎える瞬間まで、その命を輝かせたかしら?」
長いつけ睫毛で強調された神様の瞳が、木村を射抜く。
「いいえ」
彼は、力なく首を横にふった。
「そうね。私も、拓未ちゃんががんばっていたとは、お世辞にも言えないわ。そこで、貴方には、ひとつお仕事をしてもらおうと思うの」
「え? 仕事、ですか?」
「そうよ。生きている間、一度も社会に出て働いたことがなかった拓未ちゃんの、初めてのお仕事」
「何をすればいいんですか?」
「お仕事の内容については、そこにいるテンコからあとで聞いてちょうだい。ただ、伝えておかなきゃいけないのは、このお仕事、拓未ちゃんがどれだけ続けたいと願っても、できる期間は、“来年の三月三十一日”までよ。さっきも話したように、その日が、貴方の“本当に死ぬ日”だから」
「それからあとは、どうなるんですか?」
「今残っているその霊体が、この世を離れて天に昇ることになるわ。理解できた?」
「はい。何となく、ですけど……」
「今はそれでいいわ。少しずつ、分かってくると思うから。それと、お給料のことなんだけど、“来年の三月三十一日”にまとめて支払うわ。とは言っても、お金はもう必要なくなっちゃうから、別のものがいいでしょうね。何にする? 例えば、私のキスとか」
神様は、真っ赤な唇をぺろりと舐めた。
「い、いいえ! 何も要りません! 何も!」
木村は、ぶんぶんと首をふった。
「あら、そうなの。残念。拓未ちゃんって、欲がない子なのね。じゃあ、そんな貴方には、特別に、“生き返ること以外なら、何でもひとつだけ願いが叶う権利”をあげるわ」
「何でも?」
「えぇ。生き返ること以外ならば、ね。まぁ、一年もあるんだし、ゆっくり考えるといいわ。他に質問は?」
「いいえ」
「そう。じゃあ、名残惜しいけど、これでしばらくお別れね。がんばるのよ、拓未ちゃん。応援しているわ」
最後に木村に向かって投げキッスをすると、神様は、テンコへと視線を移した。
「いいこと、テンコ。拓未ちゃんのこと、しっかりとサポートするのよ。もし、サボるなんてことがあったら、その時は、トイレットペーパーの刑だからね」
「ト、トイレットペーパーの刑!」
「そうなりたくなかったら、しっかりとやることね。分かった?」
「は、はい!」
テンコが、深く頭を下げる。
そんな彼女を蔑むように見下ろすと、神様はこつ然とその場から姿を消した。
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