第一章 『貴方は、死にました』④
自らの手を左胸に当て、彼は、心音なき現実を噛みしめるようにつぶやいた。
「そうか、僕、死んだんだ」
それから、
「……よかった」
との感壊を述べる。
「よかった?」
テンコは何とも不思議そうな顔をした。
しかし、それでも木村の返事は変わらなかった。
「うん、本当によかったよ。だって、僕は、死ぬつもりでここにきたんだからね。もし、今日死ねなかったら、死ぬよりもつらい未来を生きなければならないところだったんだ。それに、どうやったのかは分からないけど、テンコちゃんが僕を幽霊にしてくれたお陰で、崖から落ちたのは体だけ。僕自身は痛くもかゆくもなかったし。自殺万歳。死んでブラボーだよ」
「ブ、ブラボーって……」
自らの死を心の底から喜んでいる木村を、テンコは白眼視した。
そこに、遠足当日の子供のような目をして木村がたずねる。
「テンコちゃんが天使だということは、それって、死んだ僕を迎えにきてくれたってことなんだよね? 人間って、死んだらどこに行くことになっているのかな? やっぱり、天国?」
すると、テンコはきっぱりと答えた。
「いいえ。貴方は、天国へは行けません」
「ということは、……地獄?」
これにもテンコは首をふる。
「いいえ。貴方は、地獄にも行けません」
「え、じゃあ、僕はどこに……」
行き場所を失くした死にたての幽霊が、気弱に全身を震わせる。
テンコは言った。
「これより、貴方は……」
その時、彼女の言葉をさえぎり、
「いつまでぐずぐずしてるのよ、テンコ!」
そんな怒りの声が、遥か遠くの空から霹靂のように聞こえてきた。
「か、か、神様!」
ひどく狼狽した様子で崖の先、水平線よりずっと上の大空をテンコが仰ぎ見る。
「神様?」
つられて木村もそちらへと目を凝らした。
にわかに、晴天に3Dホログラムのような立体像が浮かび上がってくる。
ところが、
「え? あれが、神様?」
驚き半分、戸惑い半分。そんな複雑な思いを木村は口にした。
それもそのはず、青空に浮かんだ立体像は、ひげの剃り跡が青々と光る坊主頭の大男。それでいながら、ぱっちりとしたつけ睫毛に薄紫のアイシャドー。ピンクの頬紅と真っ赤な口紅が目立つ、ひと目で“それ”だと分かる面体をなしていたのである。
「“おかま”だ!」“それ”の部分を、木村が胸中で換言する。
すると、彼の心に呼応するかのように、立体像の真っ赤な口が開かれた。
「拓未ちゃん。今、私のこと“おかま”だって思ったでしょう?」
「ど、どうしてそれを?」
よせばいいのに、正直に木村は問い返した。
「分かるわよ。だって、私は神なんだから。人間の心なんて、全部お見通しよ」
にこりと笑うと神様は、右手を筒状に見立て、遠眼鏡を覗くかのように自分の右目に当てた。
「……あ、小指、立ってる」気づくべきではない所に木村が気づく。だが、また心を読まれては敵わないと、彼は慌てて頭をふった。
「うふふ。拓未ちゃんって素直なのね。素直な男の子は、私、好きよ」
「い、いや、それは……」
木村は、しどろもどろになった。
どうやら、この神様、心を読まれては敵わないと考える相手の、その心まで読んでしまうらしい。
「どう? 神である私の力、分かってもらえたかしら?」
不敵な、いや、不気味な笑みを神様は浮かべた。
「いいえ、別に疑っていたわけじゃ」
すぐさま木村が大きく首をふる。
「あら、そうだったの。ごめんなさいね。でも、私の顔を見た瞬間から貴方の頭の中、“おかま”の言葉でいっぱいになっていたから、てっきりそうじゃないかと。ほら、私ってこんな風体でしょう。見てくれに威厳というものがないじゃない。まぁ、インパクトなら、他の神々にも絶対に負けない自信があるんだけど」
「他の神々? 神様って、そんなにたくさんいるんですか?」
神は唯一無二の存在。死ぬまでそう信じていた木村がたずねる。
ところが、その張本人(神)は、彼の概念をいとも簡単に崩した。
「もちろん。たくさんいるわよ。神はね、世界中の国や地域にそれぞれいるの。アメリカ合衆国にはアメリカの神、中華人民共和国には中国の神、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国にはイギリスの神、という具合にね。ちなみに、もう察してはいるでしょうけど、私は、日本の神ってわけ」
今も屈託のない笑顔を見せるこの“おかま”が、日本の護り神だったとは。
知らないほうが幸せだったであろうその現実に、木村は、「大丈夫なのか、日本」と思わず心の中でつぶやいた。
「大丈夫よ、任せてちょうだい。神も人間も、大切なのは外見じゃなくて、中身なんだから」
「問題ない」とでも言いたげに神様は、大きく筋肉の盛り上がる自分の胸を、ドンと叩いた。
確かに、その辺の人間の男たちと比較して、遥かに安心感はある。
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