第一章 『貴方は、死にました』②
次に木村が外出したのは、実に十年後。二十六歳の時だった。家に彼を残して二人で旅行に出ていた両親が事故に遭い、他界したのだ。
二十六にもなれば立派な大人……のはずなのだが、社会経験が高校一年の段階で止まっている木村はその限りではない。役所への死亡の届け出から葬儀の一切、保険金や償い金の受け取りに至るまでを代行で執り行ったのは、幼いころによく面倒を見てくれていた彼の叔父であった。
喪主でありながら、斎場、火葬場、墓場と、叔父について回るだけ。いつの間にか、葬儀、四十九日法要、一周忌までが過ぎ去り、一人っ子であった彼の通帳には、当面の生活には決して困らぬほどの多額の遺産が入った。
普通であれば、これを再出発の時と捉えて一念発起し、商売を始めるなり資産を運用するなり、長年の“引きこもり生活”に別れを告げることだろう。
だが、彼は違った。何の行動をなすこともなく、これまでどおりの生活を続けたのである。
長時間の外出は、両親の墓参り程度。その他は、基本的に家の中で所在無くすごす。ちょうどインターネットが急速に普及し、物流もそれに乗り始めた時期であったため、外出せずに欲しい物を手に入れられる便利な世の中が、彼の引きこもりに拍車をかける主要因となった。
基本的に気が弱い人間は、進学や就職、引っ越しなど、身の上に起こる変化というものを極端に嫌う。木村は、まさにその典型だったのである。
しかしながら、“したくなくとも変化せねばならぬ時”というものは必ずやってくるもので、その時は、例外なく彼にも訪れた。
両親の死から十七年目。通帳の金が、とうとう底を突いてしまったのである。
生活するには金が必要で、金がなければ働かねばならない。
さすがの木村もこの理には抗いようがなかったようで、ようやく漬物石よりも重い腰を上げ、仕事を探し始めた。
ところが、四十三にもなって職歴のない彼には、希望する職種がない。いや、それ以前に、どんな仕事が自分に合っているのかさえ分からない。
履歴書を片手に方々を回ってはみたものの、木村を受け入れてくれる会社は、一社として現れなかった。
そうこうしているうちに、手持ちの現金も残り少なくなっていく。
そして、とうとうそれが百円玉一枚を残すのみとなった今日、三月三十一日。彼は、四十三年の人生で初めて、自らの死というものをはっきりと意識した。
物心ついたころから現在まで、木村は、ほとんどの事物現象に対して受動的、つまり、受け身で生きてきた。「~がいい」ではなく、「~でいい」と、与えられるものだけを素直に享受してきた。過去に彼が能動的になったのは二回だけ。九歳の時に陸上クラブチームの門を叩いたのと、その種目として百メートルを選んだことだけだ。
生きることにもっと必死に、もっと積極的になっていたならば、きっと木村の未来は、今とは大きく変わっていたのだろう。
だが、事ここに至っては、全ては手遅れであった。
最後の百円玉一枚を、着古したジャケットの内ポケットに。御守りでも持つかのようにそっと大事に忍ばせる。彼は、二度と戻らぬ我が家を出た。
それから、日中までの数時間。木村は、表通りから街はずれへと、人目を遠ざけるように歩き続けた。
着いた場所は、絶壁の崖。遥か遠く先まで、大好きな大海原が一望できる崖であった。
どの道死ぬのならば、死に場所は選びたい。そう考え、木村はこの崖へとやってきたのである。
それは、彼の人生で三度目となる能動的な行動。
皮肉なことに、木村は、生きることよりも死ぬことに、積極的になってしまったのである。
「次に人として生まれてくる時には、どうか、世界で一番好き、と言ってくれる誰かが、僕の前にも現れますように……」
末期、神に向けて来世への祈りを捧げ、木村は崖から身を投じた。
そう、彼は確かに身を投じた。投じたはずだったのだが……。
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次回更新は、3月30日(金)を予定しています。
なお、本日これより、原稿用紙55枚ほどの小説を投稿しようと考えております。
恋&謎解き学園ショートストーリーコンテスト(胸キュン賞)への応募作品となる小説です。
そのため、小学校高学年から中学生が主な対象となりますが、お目通しいただけましたら幸いです。
全投稿完了は、午前10時ごろになるかと思います。