最終章 『弱くてニューゲーム』④
三月三十一日。いよいよ、運命の日がやってきた。
深石家二階、優太の部屋。そこには、木村、優太、テンコの他に若菜の姿もあった。
そして、今、優太の体に、その霊体が戻る時は訪れた。
「木村さん。一年間、本当にありがとうございました」
優太が深くお辞儀をする。
大きく首をふって木村は答えた。
「何を言っているんだよ。お礼を言わないといけないのは僕のほうさ。この体のお陰で、僕はもう一度走ることができたんだから」
それから彼は、今度はその顔をテンコへと向けて続けた。
「テンコちゃんも、ありがとう。天使の君が支えてくれたから、僕はここまで頑張れたんだ」
すると、テンコは、
「本当にそう思っていますか? もしそうならば、そのことを神様にお伝えください。テンコは最高の天使だった、と」
そう冗談まじりに笑って見せた。
「分かったよ。僕が死んだら、そう神様に伝えておく」
彼女に合わせて淡く微笑むと、木村は、最後に若菜へと告げた。
「あの、若菜ちゃん。ずっと騙し続けたみたいになっちゃって、ごめんね」
「いいえ、いいんです。木村さんが優太君のために何をしていたのかについては、聞くことができましたから。私も、木村さんに感謝しています」
若菜がにこりと笑って見せる。
そこに、思い切った様子で木村はたずねた。
「ねぇ、若菜ちゃん。もし、君が優太君と結婚して、二人の間に子供ができたとして、その時も、若菜ちゃんは優太君が、世界で一番好き、なのかな?」
若菜は少し考えていたが、やがて口を開いた。
「今はまだ分かりません。でも、優太君には悪いけど、その時がきたら、きっと、世界で一番好き、なのは子供になっていると思います。だって、その子は、世界で一番好き同士の二人から生まれた、愛の結晶ですから」
「愛の結晶、か。なるほど、愛に形ってあったんだね」
木村が、そっと小さくつぶやく。
すると、若菜の隣にいる優太も、
「僕も、若菜ちゃんと同じだと思います」
と答えた。
「そうか。じゃあ、二人の子供になる赤ちゃんは幸せだね。それを聞いて、安心したよ」
木村の瞳に、涙が滲んだ。
それを目にし、テンコが夏休みの会話を思い出す。
全てを察した彼女は、いたたまれない思いで声を張った。
「それでは、これより霊体の交代を行います。その方法は一年前とまったく同じです。私が、優太君の体から木村さんの霊体を引き出しますので、同時に、優太君は自分の体に入ってください」
「はい」
優太がそう返事をし、木村もうなずく。
「参ります。三、二、一、……ゼロ!」
テンコが木村の霊体を引き出し、そこに優太が飛びこむ。
こうして、本年三月三十一日、木村は死を迎えた。
霊体となった木村が、部屋の上へと勝手に引き上げられる。
天井をすり抜ける直前に目にしたのは、優太の胸に飛びこむ、若菜の姿だった。
木村は、屋根の上まで上がってきた。
そこでは、思わず、「何デラックスだ?」とたずねたくなる大男(女)、神様が彼を待っていた。しかも、今回はわざわざ地上に降りてきたらしく目の前に立っている。
「拓未ちゃん。一年間、本当にお疲れ様。よくやり遂げたわね」
神様が労をねぎらうと、木村は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいのよ、そんなにかしこまらなくても。それで、初めてのお仕事はどうだった?」
「はい、僕なりに精いっぱい全力でやりました。……でも」
「でも?」
「後悔が残りました」
「そう、後悔が。それで、どんな後悔が残ったのかしら?」
「どうして、この一年間のような頑張りを生きていたころにしなかったのか。深石優太ではなく、木村拓未の時をもっと真剣に生きていれば、僕の人生は変わっていたんじゃないか、と」
「それが、拓未ちゃんの、後悔」
「はい」
「なるほど、よく分かったわ。人間の生きる道というのは、神の私にも先が読めないものだけど、これだけははっきりと言える。もし、拓未ちゃんが、今のような心で生きていたとするならば、貴方の人生は変わっていたでしょうね。きっと、素敵な未来が、貴方を待っていたはずよ」
「あの、神様」
「何かしら?」
「どうして、僕は、死んでしまったんでしょうか?」
「それは、貴方が崖から飛び降りたからよ。まだ一年も余命があったにもかかわらず」
木村は大きく首をふった。
「いや、そうじゃなくて!」
「……後悔、してるのね?」
「はい」
木村は、小さくうなずいた。
「そう。でも、そればかりは、私にもどうにもできないわ。死んでしまった人を生き返らせることは、私にも不可能なの。たとえ、それが、他ならぬ拓未ちゃんのお願いであっても」
「神様!」
すがるような目で、木村が神様を見つめる。
「ごめんなさい」
神様は心苦しそうに赤い唇をかみしめた。
「……神様」
木村の両眼に大粒の涙が溢れる。
「いらっしゃい、拓未ちゃん」
神様が大きく手を開くと、木村はその胸に飛びこんだ。
神様の腕の中で、木村は泣いた。生まれたばかりの赤子のように、大声を上げ、流れる涙を拭いもせず、木村は泣いた。
そんな彼を神様は、大いなる慈悲の心で優しく包み込んだ。
しばらくの時が経ち、しゃくり上げる彼の声が静まるのを待ってから、神様は口を開いた。
「どう? 少しは落ち着いたかしら?」
「はい。あの、取り乱してしまって、すみません」
木村が、照れたような笑みを浮かべる。
「いいのよ。それより、これから先のことをお話ししないといけないの。聞いてくれる?」
「これから先、ですか?」
「そう。先ずは、優太君と若菜ちゃんのことだけど、二人の記憶から拓未ちゃんのことを抹消するわ。これは、自分の人生に霊体が関わっていた、という記憶が、彼らによい影響を及ぼさないからなの。承知してくれるわね?」
「はい、もちろん」
木村がうなずくと、神様は、そっと家の屋根に向かって手をかざした。
屋根の下には優太と若菜がいる。恐らく、これで二人の記憶から木村は消え去ったのであろう。
続けて、神様は言った。
「じゃあ、次よ。お仕事をしっかりとがんばった拓未ちゃんには、お給料をあげるわ。以前お話していた“生き返ること以外なら、何でもひとつだけ願いが叶う権利”よ。何がいいかしら?」
この言葉に、木村は大きな戸惑いを見せた。
「あの、願い事なら、もう叶えてもらいましたけど……」
「え? どういうこと? お給料の支払いは、今日のはずでしょう?」
そうたずねる神様に、木村は、運動会での出来事を説明した。
すると、神様は少し嬉しそうな顔をして言った。
「へぇ、そんなことがあったの。でも、私は何もしていないわよ」
「ほ、本当ですか?」
「神が嘘をつくわけがないじゃない。本当よ。“クラウチングスタートをすると下痢になる病”は、紛れもなく、拓未ちゃんが自分で克服したの」
「僕が、ひとりで」
「そうよ。自信になった?」
「はい!」
木村は大きくうなずいた。
「そう、よかったわ。それでは、仕切り直しよ。願い事は何にする?」
「それでは……」
木村は、神様に自らの願いを伝えた。
「なるほど。なかなか考えたわね」
神様がにこりと笑う。
「はい」
木村も笑顔で返した。
「それじゃあ、地上でやることはこれで全て終了よ。拓未ちゃん、一緒に天界に行きましょう。お仕事をがんばったごほうびに、今日は、フランスの神からもらった特別なワインをごちそうしてあげる」
「え、いいんですか? 楽しみだなぁ」
「優太君の体だった時は、お酒も飲めなかったでしょう。大人に戻ったんだし、今夜は浴びるほど飲むといいわ。そして、そのあとは……」
「え、……えっと、そのあとは?」
「もちろん、お互い大人なんだし、“大人の時間”に決まってるじゃない。私と拓未ちゃんで、ゆっくりじっくりと、愛について語り合いましょう」
「い、いや、それは……」
「さぁ、行くわよ!」
木村の手を強引につかむと、神様は、勢いよく天界目指して飛び立った。
それは、中年男性の悲鳴をこだまさせながら、一条の光となり、やがて、空に吸いこまれるようにして消えて行ったのだった。
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今話で本編終了、次話のエピローグにて完結となります。
次回更新は、6月10日(日)を予定しています。




