最終章 『弱くてニューゲーム』②
若菜が指定してきた公園というのは、木村が運動会の練習で使用し、今もトレーニングしているあの公園だった。
入口は小さいのだが奥行きは広く、入ってすぐには、ブランコや鉄棒、滑すべり台などの遊具と休憩用のベンチ、先のほうには、テニスコート八面分はある大きな運動スペースが設けられている。
まだ若菜がきていないことを確認した木村たちは、ひと先ずベンチに腰を下ろすことにした。
「ところで、優太君は、毎年バレンタインデーにはここで若菜ちゃんと会っているの?」
そう木村が聞くと、優太はすぐに首をふった。
「いいえ。僕の記憶が正しければ、チョコレートは家に持ってきてくれていたと思います。すぐ近所ですし」
「へぇ、そうなんだ。それって、いつごろから?」
「幼稚園のころからです。初めはおばさんと一緒にきていたんですけど、小学一年生の時からは、ひとりで」
「ということは、こうしてバレンタインデーに渡したいものがあるからと、この公園に呼ばれたのは、今回が初めて?」
「はい、それは間違いなく」
「ふーん」
そう返事をすると木村は、何かを思案するように口を閉ざした。
その様子が気になり、テンコがたずねる。
「急に色いろと質問しだして、どうしたんですか?」
「いや、大したことじゃないんだけど、僕って、“いつもと違う”ことが、妙に気なる質だから……」
「まったく、木村さんは神経質すぎるんですよ」
陰の木村に対して、陽のテンコ。彼女は、あっけらかんと笑って見せた。
すると、そこに、
「待たせちゃったでしょう? ごめんなさい」
そう言って、突然背後から若菜がやってきた。
「んっ! ……あ、べ、別に。別に、ぜ、全然待ってないよ!」
完全なる不意打ちの登場に、大いに面食らう木村。
どうやら、彼だけでなく優太やテンコも話に夢中で彼女がきたことに気づかなかったようだ。
とはいえ、たとえ先ほどの会話を聞かれていたとしても、彼女が認識できるのは、木村であるほうの優太の声だけ。「随分と大きな独り言だ」そう不思議に思われる程度ですんだはずだ。
「落ち着くんだ、自分。冷静に、普段どおりに」そう考え、木村は動揺を隠そうと努める。
そんな彼の隣に腰をかけると、若菜はゆっくりと口を開いた。
「この公園にくるのって、久しぶりだよね」
「う、うん。そうだね」
「ねぇ、優太君。この公園で初めて出会った日のこと、覚えてる?」
「え? あ、あぁ。もちろん覚えているよ。確か、あれは……」
そう答えながら、木村が優太のほうへとちらりと視線を送る。
すぐに、「幼稚園の時です。僕がこの街に引っ越してきた日」そんな答えが早口で返ってきた。
「そう、思い出した。あれは、幼稚園の時だ。僕が引っ越してきた日」
「うん、そうだったね。あの日、優太君ってば、引っ越したばかりで帰り道が分からないって泣いてて、それで、私が家まで送ってあげたんだよね」
「そういえば、そんなこともあったような」
適当に話を合わせようとする木村。
だが、「違います! 逆です!」と、横から優太が口を挟んだ。
「ち、違うよ、逆だよ。泣いていたのは、若菜ちゃんのほうじゃないか。それで、僕が送ってあげたんだよ」
「あら、そうだったっけ。あ、そうだ。うん、そうだったね。ごめんなさい」
若菜はぺろりと舌を出した。
「何か、おかしい」木村が、そんな違和感を胸中でつぶやく。
優太も、「木村さん、気をつけてください。今日の若菜ちゃん、少し変です」と警戒を促した。
その後、二人は、何を話すこともなくただ黙ってベンチに座り続けた。
そのまま一分ほどがすぎてから、ふと思い出したように再び若菜が口を開いた。
「あ、そうだ。今日、バレンタインデーでしょう? チョコレート作ってきたの。よかったら、食べて」
「よかったら」などと言いながら、彼女は、包装された手の平サイズの小箱を半ば強引に木村に押しつけた。
「あ、ありがとう」
「開けてみて」
「……うん」
恐るおそる包装を解き、箱を開ける。中には、ピンポン玉ほどの大きさの黒いかたまりが、三つ入っていた。
「食べてみて」
すぐさま若菜が次の指示を出す。
「い、いただきます」
震える指で三つのかたまりのうちのひとつをつまむと、木村は、それを口へと運び、少しだけかじった。
カリッ。普通のチョコレートよりも少し硬めの歯触り。
直後、強烈な苦みが彼の口内に広がった。
「苦っ!」思わず口から出ようするその言葉を、木村は必死に飲みこんだ。すぐ近くから、「どうしたんですか?」と優太が聞いてくるが、隣に若菜がいるため返事もできない。
ただ目を白黒させるだけの木村。
そこに、若菜がたずねた。
「どう? 優太君、おいしい?」
ささやきかけられるようなその声に反応し、とっさに彼は答えた。
「うん、おいしいよ」
「……嬉しい」
彼女は、その顔に笑みを浮かべた。
「よ、よかったぁ」木村が、自分の出した返事が正解であったことを確信する。
だが、それも束の間、若菜は、彼の眼前でその表情を冷淡なものへと一変させた。
それから、顔と同じく冷然とした口調で告げる。
「貴方、優太君じゃないですよね? いったい、誰なんですか?」
「えっ……」
木村は言葉に詰まった。開きかけたその口から、心臓が飛び出しそうになる。口内に広がっていた苦味も一瞬で消え去った。
若菜は言った。
「今、貴方が食べたのは、ダークチョコレートです。しかも、その辺で市販されているものではなく、百パーセント、カカオだけのもの。だから、本当はすごく苦かったはず。それなのに、貴方は、そのチョコレートをおいしいと答えた。失敗でしたね。優太君なら、たとえ私があげたものでも、苦いものは苦いと正直に言います」
「い、いや、それは違うよ、若菜ちゃん。今日はたまたま苦いものを食べたくて、それで、おいしく感じて……」
「まだ嘘をつくんですか。優太君のことで私に嘘は通用しませんよ。……でも、まぁ、いいです。そこまで貴方が優太君だと言い張るのでしたら、これからする私の質問に答えてください。それが正しければ、私は貴方のことを優太君だと信じます」
「分かったよ」
「こちらには、本人がいるんだから平気だ」そう考え、木村はうなずいた。
一度深く息を吸い込み、はき出す。それから、おもむろに若菜は言った。
「それでは、質問します。私は、将来、優太君のお嫁さんになりたいと思っています。でも、そこには、ひとつだけ問題が。それは、名前です。私は、如月若菜といいますが、如月は二月、若菜は葉が柔らかい草のことです。つまり、如月若菜は、“春浅い時期に芽生える若草”を意味するのです。ところが、優太君と結婚すると、私の名前は、深石若菜になってしまいます。深石若菜。それは、こう書けるんです」
いきなりベンチから立ち上がると、彼女は地面に何かを記した。
「……なるほど」
思わず木村がうなる。
そこには、“深いシワかな”と書かれていた。
「分かりましたか? 若々しかった私の名前が、おばあちゃんみたいになってしまうんです。そこで、質問。これについて、貴方はどう思いますか?」
「どう思うかって、聞かれても……」
木村が返事に困る。
すると、そこに優太が、「たとえ名前が変わっても、若菜ちゃんは若菜ちゃんだよ。お互い、顔中に深いシワが刻まれるその時まで、仲よく一緒にいよう。そう、伝えてください」と告げた。
木村は、ベンチへと戻った若菜に向かって言った。
「たとえ名前が変わっても、若菜ちゃんは若菜ちゃんだよ。お互い、顔中に深いシワが刻まれるその時まで、仲よく一緒にいよう」
「それが、貴方の、優太君の答えですか?」
じっと彼の目を見つめて、若菜がたずねる。
「うん」
木村は、きっぱりとうなずいた。
すると、
「やっぱり、貴方は優太君ではありません」
驚くほどあっさりと、そう彼女は宣言した。
だが、これは絶対の正解である。それを知っている木村は、立ち上がって反論した。
「そんなわけないよ! だって、そう伝えてくれって優太君が、……あ!」
全ては、終わった。
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次回更新は、6月4日(月)を予定しています。




