最終章 『弱くてニューゲーム』①
最終章 『弱くてニューゲーム』
今年も、その日はやってきた。
頼んでもいないのに、勝手にその日はやってきた。
二月十四日。もてない男たちが宿敵となす一日。バレンタインデーである。
とはいえ、小学生のころからこの日を、「自分とは別次元のイベントだ」と言い聞かせ、自己をマインドコントロールしてきた木村にしてみれば、そんなものは関係ない。普段どおりの日常を演じることなど朝飯前、……のはずだったのだが、どうやら、今回ばかりはそうもいかないらしい。
それというのも、午後四時になろうかとする今し方、若菜から連絡があり、「渡したいものがあるから、近くの公園まできて欲しい」と告げられたのである。
「まったく、服なんかでいつまで悩んでいるんですか? 寒空の中で女の子を待たせるなんて最低ですよ。そんなことだから、木村さんはもてないんです」
電話があってからまだ二分と経っていないのに、そうテンコが急かす。
両手に持った上着のどちらにするかで迷いながら、木村は答えた。
「そんなこと言ったって、仕方がないだろう。呼ばれているのは、僕なんだけど僕じゃない。優太君だよ。優太君に恥をかかせるわけにはいかないじゃないか」
「それは分かりますが、“下手の考え休むに似たり”ですよ。だって、木村さんって、生きていたころにデートというものをしたことがないじゃないですか。そんな人が服を選んでも……」
はらり。テンコの言葉の途中で、木村の両手から二着の上着が床へと落ちた。彼の両眼からは、涙も零れ落ちそうになっている。
「ちょ、ちょっと、テンコさん! 木村さんに失礼じゃないですか! せっかく、僕のことを考えてくださっているのに」
慌てて優太が割って入る。
これには、さすがのテンコも悪いと思ったか、
「あの、すみません。言いすぎました」
とすぐに謝った。
「……いや、いいんだよ、テンコちゃん。僕がもてなかったのは、本当のことだからね。それじゃあ、外はまだ寒いだろうし、こっちの厚手のやつにしようかな」
右手から落ちたほうの上着を引きつかむと、木村は、肩を落としてとぼとぼと部屋を出て行った。
「ほら、完全にいじけてしまったじゃないですか」
取り残された室内で、優太がテンコをとがめる。
困り顔を浮かべながらも、テンコは言った。
「そもそも、木村さんが傷つきやすすぎるんですよ。四百メートルリレーの時の木村さんは、もっと男らしくて恰好よかったのに……」
「だけど、そこが木村さんの長所だと思いますよ。普段はそうでなくてもいざという時には頼りになる父親、という感じで」
「えー、そんなことないですよ。それは買い被りというものです」
テンコはきっぱりと言い切った。
「でも、木村さんは、僕の体に発作が起きないほどの体力をつけてくれましたよ。それに、現に今だって、僕のために公園まで足を運んでくれようとしています」
「まぁ、確かに、本人に自覚があるのかは別として、父親みたいなことができてはいますね」
「そうですよ」
「では、そんなパパと一緒に、私たちも公園に行くとしますか」
そう告げるとテンコは、二階の窓をすり抜けて外へと飛び出した。
ところが、
「あれ?」
すぐに空中で停止し、眼下を見下ろす。
「どうかしたんですか?」
あとからきた優太がたずねると、彼女は黙って深石家の玄関前を指さした。
「あれは、木村さん」
優太が答えを口にする。
すると、木村は、何やらぼそぼそとつぶやき始めた。
「遅いなぁ、優太君とテンコちゃん。まさか、ついてきてくれないってことはないよね。僕ひとりだと、心細いんだけど……」
直後、一陣の冷たい風が寒空の中を吹き抜けていった。
「あれが、父親の言葉ですか? やっぱり、木村さんは、ただの木村さんです」
テンコが、心底がっかりしたとの顔を優太に向ける。
これにはさすがの優太も弁護のしようがなかったようで、ただただ口を閉ざすのだった。
無事に優太、テンコと合流した木村が、急いで公園を目指す。
その道中、
「あぁ、緊張するなぁ」
何度もそう繰り返している木村を気にして、テンコが口を開いた。
「そんなに肩に力を入れる必要はないでしょうに。優太君が緊張するのならまだしも」
「分かってないな、テンコちゃんは。もし、僕が若菜ちゃんから嫌われるようなことがあったら、それは優太君が嫌われるのと同じになるんだよ」
「そんなことは承知してますよ。さっきも似たようなことをおっしゃっていたじゃないですか。……それで、今、どんな心境なんですか?」
「心境? そうだなぁ、我が子に代わってテストを受ける親の気持ち、かな」
「そんな親、いるわけがないでしょう。……とはいえ、一応、木村さんにも、父親っぽい自覚ってものがあったんですね」
「え、何が?」
後半部分がよく聞き取れなかった木村がそうたずねるが、テンコは、
「何でもありません。それより、公園には優太君もついてきてくれるのですから、木村さんは、もっとリラックスしてください」
とはぐらかした。
「う、うん。そうする。でも、僕が困った時には助け船を出してね。頼むよ、優太君」
木村が優太に顔を向けると、彼は、
「はい。任せておいてください」
と笑顔で答えた。
「まったく。これでは、どちらが父親なのか分かりませんね」
二人のやり取りを眺め、テンコが密かにため息をつく。
そうこうしているうちに、木村たちは、公園へと到着したのだった。
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次回更新は、6月1日(金)を予定しています。




