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弱くてニューゲーム  作者: 直井 倖之進
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第一章 『貴方は、死にました』①


           第一章 『貴方は、死にました』


 あれは、もう二十八年も昔。木村拓未がまだ十五歳、高校一年生だったころの話だ。

 当時、陸上部に所属していた彼は、「陸上の花形」とも言われる百メートルの選手だった。

 しかも、ただの選手ではない。前年の全日本中学校陸上選手権大会で優勝していた彼は、(ちょう)高校級のスター選手だったのである。

 そのため、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の地区予選に出場した際の注目度は、(じん)(じょう)ではなかった。まだ県大会、地区予選であるにもかかわらず、地元のテレビ局だけでなく、陸上専門誌や全国紙の新聞記者までもが取材にきていたのである。

 「今年のインターハイは、まさに、木村拓未のための大会になる」陸上競技場に集まる誰もが、そう(うわさ)し合っていた。

 ところが、現実は意外な結果を残し、スター選手に悲劇をもたらした。

 それは、県大会決勝の()(たい)で起こった。


 ここまで何の問題もなく順調に勝ち進んでいた木村。あとひとレースでインターハイ出場が決定する。第四レーンのスタート地点から百メートル先のゴールを、彼は、自らの栄光に一片の疑いすら持つことなく見つめていた。

 やがて、スターターが定位置に立つ。

 ここで木村は、ゆっくりと首を回し、ぶらぶらと手足をふった。いつも彼がやっているレース前の(きん)(ちょう)(ほぐ)()(しき)のようなものだ。

 そして、最後に、これまたいつものように軽く二度ジャンプをする。……が、そのとたん、(みょう)()()(かん)が彼の身を(おそ)った。腹部に、(にぶ)い痛みが走ったのである。

 「これは、……“アレ”だ」そう木村は(さと)った。

 この時点ですぐにスターターに“アレ”だと伝え、“アレ”に向かえば、他の選手に(めい)(わく)をかけはするものの、事なきを得ることはできたはずだ。

 しかし、木村はそれをしなかった。いや、正確には、できなかった。

 実は、彼、実力は申し分ないのだが、その反面、(きょく)(たん)に気が弱かったのである。

 「ど、どうしよう……。(だい)(じょう)()かな。大丈夫だよね、うん」そんなことを自分に言い聞かせているうちに、スターターの声が(ひび)いた。

「位置について」

 スターティングブロックに足を置き、どうにかこうにかクラウチングスタートの姿勢を取る木村。

 その間に“アレ”は、もう出口付近の位置についていた。

「用意」

 (こし)()かせ、地面についた両手の指へと体重を移動させていく。その耳に、ギュルルルル、と、()(かい)な音が聞こえた。

 どうやら、“アレ”もいつでも出られるよう用意をしているらしい。

 色んな意味での緊張の中、パンッ! とピストルが鳴り、木村は一気に前へと飛び出した。

 ここで“アレ”までが(いっ)(しょ)になって飛び出さなかったのは、不幸中の幸いであったと言えるだろう。

 だが、今にも爆発しそうな(ばく)(だん)(かか)えたまま優勝できるほど、県大会の決勝は(あま)くはなかった。

 結果、百メートル十六秒台という、一般の高校生男子どころか、陸上クラブチームの小学生にさえ(おと)る記録でゴールし、彼は、そのまま一直線にトイレへと()けこんだのだった。


 翌日。地元新聞紙のスポーツ(らん)には、『高校陸上県大会 木村拓未、腹痛でまさかの敗北』そう見出しがなされていた。しかも、「確かに、決勝の木村の記録は目を(おお)いたくなるものであったが、ゴールしてからトイレへと駆けこむスピードは速かった。もし、ゴールに簡易トイレを設置していたならば、彼は、オリンピック選手にも負けない走りを見せてくれていたに違いない」との、一見褒()めているようで間違いなく(けな)している取材記者の感想つきであった。

 自らの失態とはいえ、あまりにも情けない負け方に、木村は、九歳から続けている陸上を辞めようかと考えるほどに心底落ちこんだ。

 そんな彼を元気づけてくれたのは、同じ陸上部の仲間たちだった。

 「高校生活は、三年あるんだ。来年がんばればいいじゃないか」、「次こそは、何も分かっていない記者の鼻を明かしてやろうぜ」部員たちの(はげ)ましはそんな月並みな言葉ばかりだったが、それでも、暗くふさぎこむ彼の心に明かりを灯すには十分だった。

 次の日から木村は、()(だん)どおりのトレーニングを再開した。

 ところが、その練習の場で彼は、先の県大会の決勝はこれより始まる苦しみのほんの序章にすぎなかったのだと知らしめられることとなる。


 いつもの学校の、いつものグラウンド。いつものようにスターティングブロックに足を置く。

 すると、次の(しゅん)(かん)(よう)(しゃ)のない痛みが彼の腹を襲ってきたのである。

 走ろうとすると腹痛。陸上部である木村にとって、それは、“チョークを持つと()()になる教師”と同じだった。

 あまりにも()鹿()らしい話ではあるものの、当の本人にしてみれば、決して笑うことのできない非常事態だったのである。

 ひと先ずグラウンドを離れ、校舎内のトイレへと走る。うす暗い(けい)(こう)(とう)(こころ)(もと)()く灯る個室で痛む腹を(かか)えながら彼は、「これは、大変なことになった」と心の中では頭を抱えた。

 こうなってしまっては、もはや練習どころではない。腹痛に至る原因を探るべく木村は、独自の調査を開始することにした。

 そして、その結果、あるひとつの事実が判明する。

 それは、自分が、“クラウチングスタートをすると下痢になる病”という、他に説明しようのない奇病に(おか)されてしまったのだということ。

 当初、腹痛は、レース前に軽く二度ジャンプをしたことにより発生したため、それが原因であろうと考えていたのだが、実際はそうではなく、クラウチングスタートの体勢を取ることによって引き起こされていたのだと分かったのである。

 また、その(しょう)()に、立ち上がった姿勢からのスタート、スタンディングスタートならば、何の問題もなかった。

 つまり、腹痛は、クラウチングスタートに起因する。そう結論づけられたというわけだ。

 しかし、その現実は、木村に、「陸上を辞めろ」と宣告しているも同じだった。

 何故なら、四百メートル以下の短距離走はクラウチングスタートが決まりとなっており、木村は百メートル以外の競技を苦手としていたからである。

 百メートルの選手である限り、クラウチングスタートから()げることはできない。

 これを境に、木村は、「()()()」と言っても過言ではなかった陸上から少しずつ離れていった。

 最初は練習の量が減り、やがて部活に顔を出さなくなった。そして、とうとう最後には、学校そのものにこなくなってしまった。彼にとっての陸上は、それほどまでに大きな意味を持っていたのである。

 木村が学校に通わなくなってから半年あまりがすぎた翌年の三月。一通の手紙が、彼の(もと)に届いた。それは、「出席日数の不足により、留年が決定した」との学校長からの通知であった。

 ひとつ。たったひとつの(ほころ)びが、全てを(こわ)す。それは、毛糸のセーターも人間も同じだ。

 (よわい)十六の春。木村は、高校を自主退学した。


 この後、彼は、長きに(わた)り、今で言うところの“引きこもり生活”を始めることになる。

 自宅二階の自室で、ふさぎこむだけの毎日。時間は、ただただ無益にすぎていった。

 ご訪問いただき、ありがとうございました。

 次回更新は、3月27日(火)を予定しています。

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