第三章 『見えた課題』①
第三章 『見えた課題』
暦も四月へと変わって、新学期。いよいよ学校が始まった。
四年生の三学期がまるまるの入院生活であったため、ずっと学校に通えていなかった優太のことを同級生は奇異の目で見てくるだろう。そう木村は予想していた。
そのため、何を質問されてもよいようにと彼は、春休み期間中、優太についての予習を行っていた。今は霊体となっている優太本人から、入院していた時のことを詳しく聞いていたのである。
ところが、始業式の日に学校へ行ってみても、実際はそこまでではなく、友人たちからは、「退院したのか。よかったな」や「今日からまたよろしくな」などの言葉をかけられる程度であった。たとえ二クラスとはいえ、五年生進級に伴いクラス替えがあったことが奏功し、久しぶりの登校となる優太の存在が、新しい顔ぶれの中に紛れて目立たずにすんだのである。
ごく自然に、五年二組の一員として溶けこんでいく優太の姿をした木村。
三十三年越し、二度目の小学五年生は、まさに順風満帆な船出であった。
しかし、物事というのは、そういつまでも上手く行くものではない。
学校生活にも慣れ始めた四月の下旬。木村は、今の体が自分のものではないのだということを、はっきりと思い知らされることになる。
それは、体育の時間、五十メートル走の記録測定の日に起きた。
グラウンドに集合した子供たちを前に、五年二組担任の持田ひより先生は言った。
「それでは、今日は五十メートル走の記録をとりますよ。この記録は、運動会でのリレー選手の選考にも関わりますので、皆さん、がんばってくださいね!」
それと同時に、彼女は、「応援してるよ!」と胸の前で強く両手を握りしめた。
実は、持田先生、現在、教師になって三年目の二十四歳なのだが、一、二年目はどちらも一年生を受け持っていた。そのため、子供たちに話しかける言葉はゆっくりで優しく、見せる動きも大きめなのである。
「じゃあ、五分後に開始しますので、それまでは各自でストレッチなどをしておいてくださいね」
持田先生の指示で、子供たちが準備運動しやすい場所へとそれぞれ散らばっていく。今は子供の木村も、当然それに従った。
「木村さん。どうですか、調子は?」
他の子から離れたのをチャンスと見たか、宙に浮いたテンコがそう声をかけてくる。
「あぁ、問題ないよ。中年のおじさんだった時と比べて、この体、すごく軽いんだ」
アキレス腱を伸ばしながら、木村は小さく答えた。
「あの、あまり派手な記録は出さないでくださいね。そうじゃないと、来年の僕が……」
テンコの横から、今度は優太が困り顔で口を出してくる。霊体となっている彼も、当然、一緒にいるのだ。
すると、そんな優太に木村がたずねた。
「そういえば、優太君。去年の五十メートル走の記録って覚えてる?」
「はい。確か、九秒四ぐらいでした」
「測定した時期は?」
「今年と同じです。四月の終わりごろ」
「なるほど。じゃあ、標準的な記録だね」
そう答え、木村はゆっくりと腕を回した。
「へぇ、そんなことまで分かるんですね」
テンコが感心したような声を上げる。
「もちろんだよ。前に言っただろう。これでも昔は陸上の選手だった、って」
「私、少しだけ木村さんを見直しました。それで、今年の平均記録は、どのくらいになるんですか?」
「そうだなぁ。小学五年生男子、十一歳の平均記録は、八秒八なんだけど、四月だとほとんどの子はまだ十歳だから……、九秒ぐらいかな」
「九秒、ですか」
「そう。優太君も言っていたように、あまりタイムが早くなると来年困るだろうし、今回は、その辺りを狙ってみるよ。ごく平凡なタイムを出す僕の走りを見ていてくれ」
そんな決して恰好よくはない台詞を最後に、木村は、集合場所へと颯爽と去って行った。
「それでは、出席番号一番さんから走ってもらいます。他の皆さんは、しっかりと応援してくださいね。あ、そうだ。体育係さんは、ストップウォッチを持って、ゴール地点でタイムの計測をお願いします。スタートは、スタート地点にいる私の持つ旗が上がった時。ゴールは、走る人の胸がゴールラインに到達した瞬間です。責任重大ですよ」
持田先生が、体育係にストップウォッチを手渡す。
それを受け取る子の中に若菜がいるのに気づき、木村がつぶやいた。
「あれ? 若菜ちゃんって、体育係だったんだ」
「何を言っているんですか、木村さん。もう忘れたのですか? 若菜ちゃんは、体育が得意です。一学期は体育係をやっていて、委員会も体育委員会。彼女については何でも細かく覚えておいてください、そうお願いしたでしょう」
体育座りの木村の頭上からテンコが怒る。
近くに同級生がいるため返事ができない木村は、「ごめん」と、そっと小さく頭を下げた。
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次回更新は、4月23日(月)を予定しています。




