大納言殿の参りたまえる 1
『あそこにいるのは義懐様に道隆様!』
人混みに紛れて貴族達の催しものを眺めているーー
『お召物も綺麗でふるまいも素敵……』
牛車から見える彼らとの距離以上に、私には届かない世界だと思っていたーー
だから使いの者が家に来て出仕の話を持ちかけて来たときは嬉しかったのだけれどーー
『ーー少納言』
「少納言!」
呼びかける声で目が覚めた。
いつかの物見の夢を見ていたようだ。格子は開けられ部屋は明るくなっている。
「清少納言、今日は雪が降ってるからそこまで明るくないわよ。今日くらいは昼からでも顔を出しなさい」
中宮様の声が聞こえる。
あれこれと私が出て来るように理由をつけてくれているんだろう。
それでも勇気が出ない。
このまま寝たふりを続けてやり過ごそう。
嘲笑のように聞こえる女房達の笑い声も聞き流して局にこもるーー
バッ
いきなり几帳が開けられ藤内侍が入ってきた。
目が合ってしまう。
「ちょっと清少納言、聞こえてたんでしょ。出て来たくないってもうちょっと女房としての自覚を持ってよね」
藤内侍はきびきびとしてる女房で責任感が強く、よく私に仕事のあれこれを教えてくれていた。
「だいたい宮様が来てすぐのあなたを気にかけていただくこと自体凄いことなんだから。宮様からお声をかけてもらってそれに応えないのは失礼でしょ」
部屋の中に聞こえないよう、それでも強く言ってくる。
私は合わせてた目を落としてうつむいた。
「こういうのはきっかけなんだから。私も最初は閉じこもってたけどこういうのは思い切りでなんとかなるものよ」
藤内侍も同じだったという言葉を聞いて顔を上げる。
手を差し出されていた。
「ほら、行くわよ」
その手に導かれるように几帳をくぐった。
「天岩戸が開いたわね」
中宮様がこちらを見てくる。女房達もいっせいに目を向けてくるので顔を隠していた扇を高くした。
「私が脱げばいいんですね?!」
柳織部と呼ばれていた女房がおもむろに立ち上がる。
「もう出てきたから裸踊りはけっこうです!」
中宮様の返しで部屋中に笑いが響く。
「もうやめて! 白粉がはげる!」
扇を下げて見ると中宮様は御簾も上げてくつろいでいるのに気付いた。
「皆このように砕けてるのよ。あまり気負いすることは無いわ」
藤内侍が耳打ちをしてきた。
燈台の灯りしか無かった今までと違い、部屋は明るく皆がはっきりとわかる。
中宮様は装飾の施された炭櫃に手をかざして暖をとっている。
女房達は別に用意してある長炭櫃に集まり身を寄せあっている。
少し離れた所では3人の女房が絵を鑑賞している。
「ほら」
藤内侍が袖を引っ張って長炭櫃の方へ連れていく。
女房達に挟まれ逃げられなくなってしまった。獅子の群れに放り込まれた兎のように固まってしまう。
「私達も女房を従えて自分でやってこなかった訳でしょ?最初はなにも分からないんだから逃げ隠れなんてしなくていいのよ」
「そうそう」
藤内侍が気をほぐそうとしてくれる。
「見てわかるでしょ。日中なんてほとんどすることなんて無いんだからくつろいでていいの。人も余してるんだし仕事は見てるだけでいいの。すぐに覚えるわ」
「そうよ。私達もあなたと色々話したかったのにいつも逃げて。私、元輔様の歌が好きだったからあなたに聞きたかったのに」
「私もよ。歌集探し回ってたんだから」
女房達は父の名前を出してくる。
私が仕官するきっかけになったのも父のおかげ。彼女達の興味を引くのも父の歌。
『これが清原元輔の娘の詠んだ歌か。なるほど分からんーー』
父の名前が大きいほど私への期待は大きくなる。私にも重圧がのしかかり、皆の期待に応えようと緊張し続けた。
歌を詠むのも書を開くのも好きだったが、私の歌に責任を感じるようになると恐くなっていき、結果私は歌を詠めなくなった。
ここにいる女房達も、中宮様も私の歌に期待されている。
分かりきっていた事なのに、話を受けてしまった。
いや、もしかしたら学識のある人たちなら自分の歌を理解してくれるかもしれないという期待もあったかもしれない。
でも、永らく歌から逃げていたせいで歌を詠むのが恐くなってしまった。
『これが元輔の娘の歌かーー』
私の歌は父と比較される。父の娘として期待される。中宮様が気にかけているのも私ではなく元輔の娘。
私には居場所はない。
「ちょっとあなた達ーー」
中宮様がこちらに声をかけようとしたとき、廊下から大きな咳払いが聞こえた。
「関白道隆様がこちらにいらっしゃるようです!」
くつろいでいた女房達はバタバタとあわただしく部屋を片付け、中宮様の御簾を降ろす。
私は局に戻ることもできず、いつもの几帳の裏に隠れた。
くつろいでした女房達は打って変わって客を迎えるたたずまいをしている。
しばらくして直方姿の男性が入ってきた。
やって来たのは道隆様ではなく、大納言の伊周様だった。