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真意のラピスラズリ

 小走りで階段を降り、ピロティを抜けて西校舎に向かう。横から吹く霧雨から逃げるように扉を開けて食堂に足を運ぶ。そして入り口手前で止まると、掲示板に目を向けた。

 幸い、まだB4サイズの紙を一枚貼るぐらいにはスペースがある。他に貼られているのは、とっくに風化しているサークル勧誘のポスターや、ノロウイルスへの注意喚起のポスター。食堂の営業時間が書かれたお知らせのプリント。

 そこではっとする。

「食堂開いてないじゃん……」

 それもそのはずでまだ時刻は朝の五時前。そして今日は日曜日。考えればわかることなのだが、こんな時間に大学にいたこともなかったし、なにより記事のことで頭がいっぱいだったのだ。そこまで考えが及んでいなかった。

 食堂の観音開きのドアが片方開いていたので、顔を覗かせると数人の学生らしき人たちが見えた。彼らは思い思いにコンビニで買ってきた食べ物を広げていたり、顔を伏せて寝ているものもいる。

 コンビニまで行って何か買ってこよう、と思ったところで、見知った顔を見つけた。

「あ、璃音(りおん)ちゃんだ」

 偶然にも知っている人を見つけたために話しかけようかと足を一歩踏み出そうとしたが、隣には知らない男子が座っている。用事があるわけでもないし、こんな時間で男女でというのも気になる。

 璃音は中学の頃から知っているが、高校デビューをしてからというもの時折、恋人と逢瀬を重ねているのを栄子は知っている。どれも長続きしていたというイメージはなく、本人もなんか違うんだよねと公言していた。

 小向(こむかい)璃音は大学に来てからもモテるんだなぁ。と妙な関心をしながらそっと立ち去ろうとしたが、踏み出しかけていた片足が閉じているほうの観音扉にぶつかり、鈍い音が鳴った。

 もともと人の少ない食堂に響いた音は異質で、食堂という一つの空間を巨大なハンマーで小突いたような感覚だった。数人の視線が一気に栄子に突き刺さり、冷や汗をかいた。

「あれ、栄子じゃん」

 おかげで璃音に存在が知られてしまったため、ここで引き返すわけにはいかなくなった。ぺこぺこと頭を下げながら食堂に踏み入ると、もうすでに栄子に注がれていた視線は璃音と、隣に座っている男子だけになっていた。

「珍しいね、栄子がこんな時間に大学にいるなんて」

 璃音がにこりと笑って言う。覗いた八重歯が特徴的で、本人は気にしているらしいが、栄子にとってはチャームポイントなのに、と思っている。

「うん、ちょっと忙しくてね」

 ピロティを渡った時に濡れてしまった体をハンカチで拭きながら席に近づくと、璃音が手招きして隣に座っていいよと促したので、従うことにした。

「璃音ちゃんはどうしてこんな時間に?」

 こちらも質問しながら、向かい側に座っている男子を一瞥する。

 体躯はそれほどがっしりしていない。黒髪は手入れされているようには見えず、黒々とした瞳は何か自分の裏側を見透かされているような、なんとも言えない雰囲気を醸し出していた。

「サークルの集まりでね。そいつは、冴木(さえき)部長だよ」

「へぇ、そうなんだ。初めまして、七倉栄子です」

 部長と呼ばれた男子はお腹でも痛いのか仏頂面のままで会釈した。

「愛想がないけど、別にこれが標準だから気にしないでね」

「あ、うん。そうなんだ?」

 璃音の物言いに対して特に反論も言わない部長とやらを気にしつつ相槌を打つ。話題を変えようと思い、視線を漂わせると、テーブルの上に会ったプリンの容器を見つけた。

「相変わらず、プリンとかデザートが好きなのね」

「まぁね。三度の飯よりデザートよ」

 そういってはにかむ璃音の首元にキリンのネックレスが見えた。体は右を向いているが顔は左を向いたキリン。心臓の部分に小さいが青い宝石があった。

「中学のときからそうだよね。よく部活のあとにアイスとか食べにいったっけ」

「懐かしいなぁ。栄子はバスケとかまだするの?」

「ううん、もう全然。今は新聞部だよ」

「へぇ。私もインドアになったんだ。知ってる? ミステリー研究会って」

「えー、意外!」

 向かいに座っている仏頂面の男子がミステリー研究会の部長だということが分かり納得がいった。確かに、ミステリアスな感じはある。どことなく生命の息吹を感じないところとか。

 それとは対照的に、璃音は明るく、皆に愛されるキャラだった。中学の時からスポーツ万能で、ずっとバスケをしていた璃音はショートヘアが良く似合い、後輩の女子からラブレターを貰っていたことも覚えている。しかし高校のときに怪我を負い、すっかりバスケとは疎遠になった璃音とは、接点が小さくなり、いつしか私と遊ぶ機会も無くなってしまったのだ。

 過去を振り返っていると、璃音が大きな欠伸をした。目尻に溜まった涙をぬぐいながら、彼女がつぶやく。

「結局徹夜しちゃってさ、もうほんと眠い」

「え、男子と二人で……?」

 後半は数少ない周りの人たちに聞かれないよう小声になったが、璃音は一瞬きょとんとしてからけらけらと笑った。

「そんなわけないでしょ、サークルの集まりなんだから二人じゃないよ。後二人いたんだけど、一人は電話掛かってきてからどっかいっちゃって、もう一人は東校舎にある研究室に忘れ物取りに行ってる」

 なんだ、と胸を撫でおろす。よもや、こんな死んだ魚の目をした男子が彼氏かと思ってしまった自分を恥じる。というか、徹夜明けだから、死にかけて見えるのかもしれない。そう思って栄子はもう一度冴木を見てみたが、腕組みしながら目を閉じている。本当に元気がない、というか生気がない。

「冴木部長ね、お目当ての子が来なかったからしょげてるのよ」

 璃音が耳打ちしてきた。こそばゆくて腕に鳥肌が立つ。

「お目当ての子?」

「そうそう、アリスちゃんって知らない? あの有栖川家の」

「ああー、うん」

 噂には聞いたことがある。凄く大きな会社の社長令嬢だとかなんとか。

「今日の集まりに来るはずだったんだけどね。というか、この集まりもアリスちゃんが企画したものだったし、部長を励ます会的なあれでね」

「ふぅん……。とはいっても璃音ちゃん。ヘビメタとか歌って楽しんだんじゃないの?」

「あは、バレた? まぁ楽しまなきゃでしょ。主役の部長は頭に響くからやめてくれと言ってたんだけどね」

 励ます会的なあれで余計疲れさせているのではないか? と疑問が浮かんだが口を出す立場ではないので噤んでおく。

「カラオケ出てからもさ、消防車が通って勘弁してくれ、って悲痛な顔になってて面白かったよ。しかも消防車が部長の家の方角に行ったって瀬戸(せと)先輩が言い出したもんだから――」

 唐突に知った名前が出てきて驚いた。瀬戸先輩とは探偵という肩書きで何でも屋のように扱われており、栄子も元旦という貴重な日に、飼い猫探しを手伝ってもらった思い出がある。それにしても璃音にこんなサディストな部分があったとは、と苦笑して言葉を返せずにいると、今まで黙りこくっていた冴木が声を発した。

「縁起でもないこと言わないでもらえるかな。もう一度、ボヤ騒ぎがあったんだから」

 思いもよらぬ低めの声でぎょっとする。死者の目覚めとまではいかないが。

「そういえばあったね、そんなこと。クリスマスパーティーの時でしょ?」璃音が楽しそうに話す。「結局アリスちゃんと仲良く二人で来たんじゃなかったっけ。私は酔いつぶれてて覚えてないけど、もっぱら付き合ってるんじゃないかって噂だよ」

「付き合ってない」

「ほんとに~?」

「あんなトラブルメーカーと付き合うなんて、体がもたないよ」

「まぁね。有栖川(ありすがわ)みれい現れるところ乱あり、ってね」

 冴木は疲れた様子で頷いた。

 こんな調子でいじられていたらそりゃ生気も無くなるというものだ、と少しだけ冴木に同情してから、栄子は席を立つ。

「それじゃ、私はちょっとコンビニに行ってくるね。まだやらなきゃいけないこともあるし」

「あ、うん。ごめんね話し込んじゃって」

「ううん、楽しかった。また今度ゆっくり話そうね、璃音ちゃん」

 バイバイ、と手を振ってからテーブルを離れる。ちょうどその時、食堂に新たな人物が現れた。

 栗色のボブカットの下に、先ほども見たキリンのネックレスが見えた。向きは逆に思えたが、同じ宝石。今度は名前を思い出した。あれは、ラピスラズリだ。

「あ、早希(さき)ちゃんおかえり」璃音の声が後ろで聞こえる。「忘れものあったの?」

「うん。あったよ。待たせてごめんね」

 早希と呼ばれた女の子は璃音の隣にちょこんと座る。

「雨、止んだ?」

 冴木の低い声が聞こえる。

 バスケが出来なくなってからみるみる元気がなくなっていった璃音も、今は楽しそうにサークル活動をしているようで安心した。三人の談笑を背に、栄子は食堂を後にした。

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