4(ソフィアの本)
その奇妙な感覚を何と表現すれば良いのか。
そもそも、あれを感覚とは呼ばないだろう。
感覚とは外からの光、音、におい、味、寒温、触などの刺激を感じる働きと、それによって起こる意識のことを言う。ちなみに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、更に温覚、冷覚、痛覚などがある。
果たして私はその時、目を開けていたのかどうなのか。体は上下左右不規則に回転していたような、してないような。とにかく落ち着いた感じはしなかったと思うのだけれど、それも今となってはうろ覚え。
エマは、驚きに目を見開くヒュー・コリンにそう話した。
彼女が話す“その時”に、つまり本を開いて七色の淡い光を見たと思ったその直後に、何があったのかを説明しよう。
先程述べたような摩訶不思議な現象のあと、いや、その最中だったのかもしれないが──何しろうろ覚えなのだから詳しく言えまい──確かに歌を聴き取った。
美しき 気高き 誇り高き
そして賢き彼女に従える 幼き其れ
乙女の恩恵に縋るる
心凍らす喧騒を 耳にしたらば
また 乙女の足元に縋るる
設えられた座を捨て
真実を信ず道を 唯進むのならば
繋がりは途切れず
美しさとは何処に在るのか
古から 宝物の在り処を知る
其処に美しさとは在ろうて
栄光は其れを照らす
思うに、これこそがきっと、詠魂。
気付くと本を開いた瞬間と寸分違わない体勢だった。
手元には本。真っ白のページが目に飛び込んできた。
ざっと見てみる限り、全てのページが白紙らしい。
表紙には変わらず、「詠魂者の栄光」と。
とんでもない体験をした。心身ともに震わせながら、エマはほとんど無意識に今きいた詠魂を口の中で反復し呟き、脳に覚えこませた。
天才であるが故の徹底さだ、とコリンは言う。
殆どの人があまりの衝撃に1度しか聞くことが出来ない詠魂を忘れてしまう失態を犯す。それをエマもコリンも知っていた。
エマは迎えに来た面倒見のいい先輩に、この話をした。
というより、珍しく素直に驚いた様子で呆然としていた後輩に好奇心を抱いたコリンが無理矢理聞き出したと言った方が正しい。
コリンはエマに負けないくらいに驚き呆然とした。
そして真剣な顔つきになり、こう忠告をする。
「その話、もうしない方がいいね。」
他の人には喋っちゃ駄目だよ。鋭い光を持つ瞳に、エマは気圧されつつしっかりと頷く。
「確かにあまり人に言う事ではありませんね」
「んー、うん。まぁそういうこと。」
曖昧に困ったような笑みを浮かべる目の前の男に、彼女はすうっと目を細める。
「何か喋ってはいけない理由があるんですか。」
「疑問系になってないよ…。うん、セシルには敵わないね。」
「あるんですね。」
「うん。例えばセシルの命を狙う人間が出てきたりする。」
………。
「何故?」
「人は嫉妬心を憎悪や殺意と勘違いしてしまうから。」
「…それだけ、ですか。」
「きょとんとした顔されてもなぁ。君が司書となった場合とは違うんだ。」
コリンは悲しそうに言った。
夏の空のような青い瞳に影が落ちる。
「詠魂に詳しくて、いやにこだわる汚い人間がいるんだよ。この世には。」
この時、彼は詠魂者関係で何かあったのだなと思ったのだけれどそれを訊ねるのは流石にはばかれた。
またいつか教えてあげるよ。だから今日はもう休みな。エマ。賢きお嬢さん。
その日以来、コリン──改めヒューとは良き友人となった。
共通の秘密は親しみを生む。
感覚についてはyahoo!辞書で調べました