第九幕
盗賊たちの略奪行為に対する報復措置として領主であるラウルスが領地全域に発令した盗賊討伐令の公布から五日が過ぎ……各地から齎される状況報告や追認、指示を仰ぐ伝令たちが公邸を訪れ、その対応に追われる様に喧騒の渦中にある公邸の廊下をアリバールは一人歩いていた。
アルヴィンからの急な呼び出しを受け向かう先は、対策に追われる執務室、ではなく私的な要件で使われる私室である。
廊下を歩くアリバールの視界の先、目的の扉からぞろぞろ、と姿を見せた男たちにアリバールは道を譲る為に壁際まで下がると近づく気配に頭を下げる。
アリバールの正式な役職はアルヴィンの警護官……補佐官としては頭に私的な、と付くあくまで兼任しているモノに過ぎず、爵位を持たず官職としては低いアリバールの此処での立場は極めて低いモノであった為に、上位者に対する姿勢としては当然とされる一般的なモノ、とも云える。
険しい表情でひそひそと話し合っていた男たちは、アリバールに気づくと雑談を止め無言のままにその横を通り過ぎていく。
アリバールは彼らの気配が完全に消えるまで動かず頭を下げ続けていたが、やがて顔を上げたアリバールは表情を曇らせる。
今、私室から姿を見せた者たちは純然たる貴族たちではあったがまだ若く、補佐官や武官としては次席に当たる二等補佐官、武官たちであり……若さゆえの無謀さと血気盛んなゆえに理想が高い彼らを、この時期に私的に集めたアルヴィンの意図に思い当たる節があるアリバールとしては一抹の不安が過ったとしても、それは仕方が無い事ではあったのだ。
私室の扉を叩き、応じたアルヴィンの声に促されて室内へと入ったアルヴィンの視界に映るのは酷く憔悴した様子の主の姿であった。
此処数日、まともに睡眠をとれていないのであろうか、目の下には色濃く隈が浮き上がり、整えられていない髪は乱れ……良くも悪くも滲ませていた上品さ、貴族然とした気品の様なモノは今のアルヴィンからは完全に失われていた。
「考えて見たのだ」
と、社交辞令も挟まず、まだアリバールが扉を締め切る前に紡がれたアルヴィンの声の調子に、狂相を湛え主を唆す鬼の少女の姿が脳裏に過り、アリバールは覚悟を定める。
もし主が鬼の子に魅せられ、人の道を外れると言うのならば部下たちを連れてこの領地を去ろう、と。
命を懸けてまで注進する程の忠義心や忠誠心を抱いていない今の自分に出来る事は、せめて邪魔はせずとも巻き込まれる事なく関わりを絶つ事くらいである、とアリバールは冷静にそう考えていた。
「父上の……現状の路線を踏襲して……民たちに土地を誘致しながら開拓を進めさせ、商人たちに譲歩しながら街を発展させて人を呼び寄せる……この遣り方では恐らく国に報告出来る成果、と呼べる程の功績を残すのに二十年は必要であろうな……」
「そうかも知れませぬ……しかしそれが本道……政の正道と呼ぶべきモノでありましょう」
「その成果を持って国政の一端へと関わりを持ち、人脈を作り地盤を固めるのに更に十年」
アリバールの言葉を無視しアルヴィンは続ける。
「其処で認められる為に功績を積み重ね……やがて国の要職に就く頃にはもう俺は老人ではないか……そして年老いた俺はみっともなく、無様に足掻くのだ……今の権威を守ろう、と地位を奪われてなるものか、とな」
自虐的にアルヴィンは笑う。
「皮肉な話だとは思わないか、俺がこれまで忌み嫌ってきた、そんな老害に己が成り下がるというのはな……老成しなければ見えぬ景色があるなどと……所詮それは恵まれた人生を歩んできた者の戯言に過ぎん……この胸に抱く理想も、夢も、野心も、今の俺だけのモノだ!! 未来などと云う不確かな先に居る俺に譲り渡して良い道理などあろうものか!!」
激昂した様に、バンッ、とテーブルを叩き立ち上がるアルヴィンに……だがアリバールの口が開かれる事はない……その様子を、緊張した面持ちを見せるアリバールに気づいたのであろう、アルヴィンは怒気を緩め落ち着いた調子で告げる。
「少し誤解をさせてしまったようだ、俺はアルミシアが示した道は進まぬよ」
と。
「俺は無能な癖に伯爵家や公爵家に生まれたと云うだけで、俺が必要とする大半の時間を飛び越えていく連中が心底妬ましい……野心も無く現状のぬるま湯で満足している父上を心底軽蔑している……しかし……だからと云ってアルミシアの様に俺は生きられない……生きる気も無い」
フェルトラントは小さな領地ゆえに、貴族と……領主と云えど領民との距離が近い……ましてローウェル家は代々この地を治めて来た家系……例え貴族の誇りゆえに其処に選民的な意識があろうとも、この地に誇りを持ち、愛着を持ち。そして長い年月を共にしてきた領民たちを愛してもいた。
その中で出来うる限りに置いて善良であろうとする、良心的であろうとするラウルスの心根は決して侮られ、馬鹿にされる種の資質ではないとアルヴィンは思う……そしてそう思える自分自身が嫌いではなかった。
「しかし……王都に居ては……貴族たちの欲望渦巻く巣窟に居ては気づけぬ事が見えぬ景色があった……」
揺るがぬ瞳を向けられアリバールは其処に確たる覚悟を見る。
「海からは離れ確たる資源も無く、交易路が整備された中央とは遠く離れた辺鄙なこの地が栄えるにはどうしたら良い? 」
アリバールは答えられない。
「資源が無いのなら集めれば良い、この地が最果てと云うのならば此処を大陸の中心地とすれば良い」
「御子息……」
「アリバール……俺は決めた、この地に傭兵たちを誘致して組織を作らせる……商人たちが持つ力の象徴『西方通商組合』や『東方商工協会』と肩を並べる傭兵たちの一大組織をこの地に作り上げる」
荒唐無稽な与太話と人は笑うであろうか。
「帝国の崩壊から学べねば貴族の世は遠からず終わる……これからは傭兵たちの、商人たちの、そしてこれまで軽んじて来た民草たちの時代なのだ」
と、説くアルヴィンをアリバールは絵空事、とは笑えない……それは頭の片隅で、心の奥底で、祖国が滅んだ理由を求めていた、尊き意味を求めていたアリバールにとっては信じられる……ではない、信じたい、甘露の如く甘い囁き……。
少し考えれば赤子でも分かる解。
国に所属せず、独自の軍事力を有する第三極の存在など諸国が許す筈などない事を。
国同士の利害や思惑すら越えて、国境を介さず紛争に軍事介入出来る武力装置の存在などを。
しかし……それこそが王制の……貴族制度の終焉を意味するならば……。
「困難な道などと分かり切った事は言わない……俺は俺の為に傭兵たちを踏み台に駆け上がって見せる……貴族の世が終わるのならば俺はその最後の成功者に、そして新しき世の先駆者たりたい」
その為には信頼出来る協力者が必要だ、とアルヴィンは手を差し伸べる。
若さゆえの無鉄砲さ、貴族社会で育まれた歪んだ劣等感、多くのモノを下敷きとして導き出した青年の答え……しかし人々の畏怖ではなく畏敬を、称賛を求めた答えの裏側にはあの少女の……アルミシア・エインズワースの存在が与えた影響が大きいであろう事は疑い様もない。
其処に不安がないかと云えば噓になる……しかし……いやそれでも……今のアリバールにはアルヴィンの誘いを拒む……手を取らぬ理由がどうしても思い付かなかった。