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第六幕

 ロンブルの街から街道を東に、徒歩の道程ならば半日の行程を経る事でフェルトラント地方第二の街『ソラード』へと至る事が出来る。


 ソラードの街は領主ラウルスの住まう公邸の存在からも窺える通り、嘗てはフェルトラント領の政治と経済の中心としての役割を担っていたが、帝国の崩壊を機に隣接するトロ―ニア地方との摩擦が表面化した事もあってか、より領境に位置するロンブルの街に人や物資の流れが偏りを見せ始め、税収を含めた経済規模では既にその地位は逆転していた。


 最も、田舎特有、と云う表現は些か不適切ではあるが、農耕に適した土地柄ゆえに大小の違いはあるが多くの集落が点在し、領民の多くが農村で働くフェルトラント地方には街、と呼べる規模のモノは『ロンブル』と『ソラード』しか存在せず、然したる不利益も無い事から領主であるラウルス自身、特に対策を講じる様子も見せてはいない。


 良くも悪くも、大陸中央からは遠く離れた西方の片田舎……フェルトラント地方とはそうした位置付けの小領地と云えようか。


 だが、そんな牧歌的な風土を持つ領内にあっても勤勉に……ある意味では意欲的に働く者も居るもので――――。



 「では失礼致します」


 と、頭を下げ部屋を出ていく男にアルヴィンは鷹揚に頷き送り出す。


 アルヴィンの座る椅子の前のテーブルには書類が山積みされ、部屋全体に置かれている書籍の乱雑さからも、さながら国立図書館の司書室を思わせる様相を呈し、整頓の行き届いていない、纏まりのない室内は部屋主の心情を現しているかの様でもあった。


 「盗賊どもの問題は早急に対策が必要でしょうな、これ以上奴らの好き勝手を許していてはやがては領民たちの不満の矛先が御領主にまで及びましょう……」


 ラウルスの補佐官が去った後、初めに口を開いたのは先日の一件以来、ラウルスの命で正式にアルヴィンの護衛件補佐役として傍に仕える事となっていたアリバールであった。


 今だ家督を継いではいないアルヴィンは正式に領地の運営に関する権限を有していた訳では無かったが、王都から戻って来てからはラウルスの補佐役として頭を悩ませる日々が続いていた。


 今回の一件はその最たモノで……。


 領地の村がまた一つ盗賊の襲撃を受け焼失した、との一報が齎されアルヴィンの表情は暗い。


 被害に遭ったのが人口としては二、三十人程度の小規模な農村だと云う事は経済規模の小さい、言ってみればそうした小さな農村からの税収を主として得ているフェルトラントの様な小領地では何の救いにもならない……単純に農地を耕し穀物を育てる働き手を失えば領地の運営に大きな痛手となるのだから。


 「組合に相談するしかないか……後は無駄だとは思うが王都に遣いを出そう」


 領主は王国から独自の地方自治権を認められている……しかしフェルトラントの正規軍の規模は小さく領地全域を守護するだけの兵力も……また力もない。

 ゆえに、こうした問題が起きた場合の多くは商人たちが組織する『西方通商組合』に助力を乞う事が通例となっていた。

 簡単に言ってしまえば商人たちにしても死活問題に発展しかねない盗賊関連の事案に際しては領主側と折半で金を出し合い傭兵を雇おう、と云う事なのだが……本来ならば民を守護する立場にある貴族としては心情的には複雑なモノがある……しかし傭兵を独自に雇うにしても、正規軍を増強するにしても単独では前者では纏まった金が、後者であれば同じく大きな維持費が掛かり、慢性化している盗賊問題の対応だけで領地から得られる税収の大半を費やす事になる。


 これはアルヴィンの実力不足と云うよりは大陸全土で領地を持つ領主たちの大きな問題と課題であると共に、国として対応せねばならぬ優先事項の一つであった事だけは間違いない。


 「アルヴィン様……その……お約束があるという方が……」


 と、控えめな侍女の声が扉の外から聞こえ……。


 盗賊への対策をアリバールと詰めていたアルヴィンの下に来訪者の知らせが齎されたのは、それから半刻程後の事であった。






 「良く来てくれたね、待っていたよ」


 前回見せてしまった醜態を少しでも払拭しようとしてか、アルヴィンは努めて自然な態度で、笑顔を見せて客人を部屋へと招き入るが……相手の少女はそんなアルヴィンの内心など意に介す様子すら見せず、つかつかと部屋の中央に置かれているテーブルに歩み寄ると椅子にどかっ、と脚を組んで座った。


 当然ではあるが、それは一介の傭兵が貴族に対する態度としては甚だ無礼であり、本来であればこの場で斬り捨てられても文句は言えない危ういモノ……しかし激昂するでもなく、やや笑顔を引き攣らせながらも無言で懐から約束の金の入った小さな革袋を少女へと手渡すアルヴィンの姿を、警護の為にその場に居合わせていたアリバールは複雑な眼差しで見つめる。


 今だにアリバールは新たに仕える事となった主への評価を定める事が出来ずにいる。


 最初の印象が最悪だったとは云え、良く言えば善良……ではあるが、領地の発展や運営に精力的とは云えぬ現領主のラウルスと比べ、野心的なゆえに高いアルヴィンの向上心や行動力はアリバールの目には好ましいモノに映った。

 加えてまだまだ世間知らずの夢想家である、という点を差し引いても政治的な手腕や発想は王立学院の主席と己で自負するだけの事はあり、決して無能とは言い難い。


 しかし同時に悪い面で貴族的な価値観を持つアルヴィンは選民的な差別主義者であって人格面では称賛出来る点は少なく、全体的に見ればやや善良ではあるがこれまでアリバールが見て来た貴族たちと同列の存在と云う評価に落ち着きはするのだが……。


 この少女……アルミシアと名乗ったこの少女に対するアルヴィンの態度だけがアリバールを迷わせる。


 素直に金を出すべき、と進言したのはアリバールであったが、正直あれだけの醜態を晒した相手に貴族の……まして領主の嫡子が素直に金を支払うとは思わなかったのだ……請求された額が驚く程に常識的なモノだったのが理由の一つではあったのだろうが、それでも貴族が持つ歪んだプライドの高さを知るだけに人を集めて殺せ、と命じられる事を半ば覚悟していた。


 だがアルヴィンは驚く程、素直に金の支払いを承諾し……今こうしてこれ程の不敬な態度を、屈辱的な態度を、見せられても耐えている。


 少女により刻まれた恐怖、というモノがあったとしても、進言を受け入れる柔軟さを持ち、こうした忍耐力もあるのだとすれば、或いは想像以上に度量があるのかも知れない、と。


 民草に対しての寛容さ……それをもし持ち合わせているのだとしたら、もう一度仕える価値のある……案外良い領主となるのかも知れない、と。


 だがもしこの時、アルヴィンが見せる寛容さの理由をアリバールが知ったなら即座に前言を撤回していただろうが……女の心は秋の空と同様に移ろい易いと言われる様に、男の機微もまた然り……だからそれは仕方がない事ではあったのだろう……秘め事とは古来よりそういうモノなのだから。


 「金払いの良い人間は好きだよ」


 と、革袋ごしから感じる硬貨の感触に満足そうに初めてアルミシアは笑顔を見せる。


 「そうか……ではどうであろう……お互い出逢い方こそ不本意なモノではあったが今後は良い関係を――――」


 「それと、ついでにもう一つお願いがあるんだけど」


 にこにこと笑顔を浮かべ……しかし一見して友好的な表情とは裏腹に一方的に言葉を遮るアルミシアの態度にアルヴィンは頬を引き攣らせる。


 少し……釘は刺して置くべきか、と内心で渦巻く怒りの感情を抑えながらアルヴィンは思う。


 確かにこの娘は剣の腕が立つのだろう……しかし今この場で帯剣しているのは自身の警護として同席しているアリバールのみ……。

 今後の関係を考えても此処は甘い顔は見せずきちんと恫喝してやるべきだろうか……此方に下心……いや火遊び程度の好意が有るとは云っても、たかが下賤の出の小娘風情が次期領主たる自分に対して余りにも目に余る態度である、と。


 少女に抱く恐怖と好意を上回りつつある怒りが、アルヴィンにそんな嗜虐的な感情を抱かせる。


 「盗賊討伐の一件で、組合に私たちの事を推して置いて貰いたいんだよね、便宜の方宜しくお願いしますよ次期領主様」


 予期せぬ少女の言葉に驚きと共にアルヴィンの怒りの感情は嘘の様に退いていく。


 傭兵が依頼を請け負うに際して、乞われるのと求めるのとでは自ずと報酬の額に差が生じるのは至極当然であり……その事が衝撃の理由ではない。


 問題なのは自分たちですら先程知った情報を何故この娘が既に知っているのか、だ。


 「私がロンブルを出る前にはもうこの噂で街は持ち切りだったよ……商人たちの情報網は優秀だし足が速いよね」


 驚くアルヴィンの姿を前にして流石に少しは同情したのだろうか、少女は含みもなく素直に答え合わせをして見せた。


 僅かな沈黙――――少女はくすり、と嗤う。


 なあ……お坊ちゃん、盗賊の被害に頭を悩ませているんだろ? だったら効果的な解決法を教えてあげようか、と。


 少女の思いがけぬ提案にアルヴィンは息を飲み……アリバールは嫌悪で表情を曇らせる。


 嫌な笑みだ、と、歪んだ嗤いだ、と少女が張り付かせているソレにアリバールは心底嫌悪感を覚える。


 血に飢えた獣の如く、野蛮で狂った嗤い――――。


 嘗て同じように嗤いながら人々を戦場に駆り立てた男をアリバールは知っている。


 それはある種の資質――――狂奔と呼ぶべき鬼の資質――――。


 少女が纏う気配にアリバールはまた何者かの影を見たのだろうか……知らず、意識せずとも本能ゆえか、その手が剣の柄へと伸びるのであった。



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