第五幕
ロンブルの安宿『豊穣の稲穂』亭は、草木も眠る深夜であるにも関わらず煌々と明かりが灯り、店内から漏れ聞こえる男たちの嬌声が静まり返る向かいの通りに立つ女たちの下にまで漏れ聞こえていた。
最もこの光景は豊穣の稲穂亭だけとは云えず、安宿が多くの軒を連ねる通りの各所で見られ……傭兵たちが臨時の収入を得て騒ぎ金を落とす、こうした日は宿側としても書入れ時である為に刻限を定めず営業する事が今や常の光景となりつつあった。
酒に酔った男たちが肩を組み歌い合い、宿の給仕とは明らかに異なる開けた胸元を強調する遊女たちが男たちに侍り酌をする……傭兵たちの多くが宵越しの銭を持たず、ゆえに豪快に金を落としている店内はまさに喧騒の極みに達していた。
見知らぬ男たちが酒を酌み交わす……一見して戦場を共にした戦友同士の繋がりがゆえ、と感じさせる光景ではあったが、それはある意味正しく……そして間違いである。
意気投合し酒を勧める相手がつい先程まで殺し合いをしていた相手であった、という話はこの家業では珍しくもない事であったからだ。
戦場での事は金の為、私情は持ち込まない……つまり終わってしまえば恨みっこ無し、と云うのが傭兵たちの多くが持つ信条……無駄に敵を作らないという打算的なモノではあったが、しかしそれがこの家業に置いて互いが今後も生き抜いていく為の知恵でもあった。
最も大切な仲間を殺された者たちはそう簡単に割り切れる筈もなく、そうした者たちは衝突を避ける為に別の場所で仲間を送る為に馬鹿騒ぎに興じている……別離を悼む、送別の方法など傭兵でも人間である以上多種多様……人それぞれである事だけは変わらない。
こうした傭兵たちが持つ独自の死生観は一般の者たちには理解に難しい……しかし常に死と隣り合わせの日々を生きる彼らには必要な……ある種に置いて戒律に近い、と例えても遠い表現ではないだろう。
「大将……随分とご機嫌じゃないですか、何か良い事でもあったんですか?」
「ん? そうかな……何時もと変わらないと思うけど?」
「団長……機嫌……良い」
付き合いが長い二人で無くともアルミシアの上機嫌さは見て取れる程に分かり易いモノで……もっと端的に例えるならば露骨に、と云うべきであろうか。
「そうですか……なら別に――――」
「実は――――」
被せ気味にアルミシアに言葉を遮られたヴォルフは、話したかったんじゃねえか、と突っ込みを入れそうになるが……後が怖いので止めておく。
戦場であった顛末を楽し気に、時に苦笑を交え話すアルミシアの姿は、予期せず贈り物を贈られた少女が見せるソレに似て、無邪気な愛くるしさを感じさせるモノで……。
「ふーん、で、その貴族の坊やに見所でも? 何かの片鱗ってなモノでも感じたんですか?」
「んにゃ……あれは只の世間知らずの坊やだね……たぶん……ね」
機嫌の良し悪しが理由なのであろうか、アルミシアの杯を重ねる頻度は高く、白い頬に朱に染める姿は言動や呂律と共に大分怪しいモノになりつつあった。
「けどさ……同じ馬鹿でも愉快な馬鹿は嫌いじゃない……そう……嫌いじゃない……」
傭兵であると云う事を差し引いても、気に入った相手に見せる懐の広さと敵意を抱いた相手に対する冷酷さ……激しい気性を持つアルミシアのソレはその振り幅の大きさゆえに魅力、と表現しても間違いではないであろう……だが同時にそれは歪んだ狂気の深さ、と例える事すら出来る危ういモノであったのかも知れない。
「お金……稼いだ……団長……偉い」
野太い手を、ぱちぱち、と叩き賛美するグレゴリオにまんざらでも無い様子で胸をはるアルミシア……それとは対照的に、はあ、と頭を抱える勢いでヴォルフは溜息を吐く。
戦場で傭兵相手にその場凌ぎで交わした約束を貴族が本気で守るとはヴォルフには到底思えない……それでも相手が一廉の人格者ならば、と考えはしたが今のアルミシアの話ではそれも望み薄……となれば後日訪れても良くて門前払い……いや……最悪、醜態を見られた相手を亡き者に、と考えていたとしてもおかしくはない。
どちらにしても約束を反故にされれば間違いなくアルミシアは相手の貴族を殺すだろう……それだけは疑いようもなく……国内法に置いて貴族殺しは当然重罪であり、逃亡すれば国内外に手配書が回り、懸賞金が懸けられ、捕まれば死罪……どう転んでも楽しい未来図とは言い難い……。
――――まあ、いいか。
充てもなく、目的もなく、大陸を気儘に旅をするのも悪くはない、とヴォルフは思い直す。
この辺りがアルミシア曰く、良くも悪くもヴォルフらしいという所以であろう。
「団長……そろそろ失礼しますね」
と、席を立つヴォルフにアルミシアは何処に、とは聞かない。
小銭を稼いだ傭兵が酒の席を離れて次に行く場所など決まっているからだ……幸いと云うべきか、今日に限っていえばこの時間でも通りに出れば女たちは選び放題であろう事だけは間違いない。
「こんな良い女が目の前に居るのに他の女に浮気とは随分とつれないじゃないか」
潤んだ蒼い瞳が恨みがましくヴォルフを見つめる。
「団長……あんた、男に興味ないじゃないですか……なんですか、それとも今日こそは相手をして貰えるんですかね?」
「男の相手は御免だけど……ヴォルフが女を連れて来るんなら三人で……てのは悪くないかもね」
予想外に乗り気な言葉にぎょっ、とするヴォルフに対してアルミシアは席に座ったまま招く様に、抱く様に、両腕を広げるが――――瞬間、素早く自身の胸元で腕を交差させ、からから、と笑う。
全身で拒否、を示すアルミシアの仕草にヴォルフは渋い表情で頭を掻き、隣のグレゴリオは何故か無言のままに、うんうん、と頷いていた。